先日切っておいた板四個を井型に組み合わせ、ミツバチの巣箱の継箱を一つ完成させました。餅を蒸すためのせいろのような形です。なお、ミツバチの巣板落下棒用の丸棒を通しながら板を井型にしました。丈夫に作ったため人が載っても大丈夫です。あとは、ミツバチ達が気に入ったくれるかどうかです。
完成したミツバチの巣箱の継箱、中央に巣板落下防止の丸棒を十字に
板を組み合わせる前に巣板落花防止用の丸棒を通す穴を開けました。丸棒の直径が6mmでしたので、同じ6mmの木工用ドリルを使って開けました。ただ穴を開けた後に丸棒が通るか確認すると、きつくて通りません。そのため、紙やすりで丸棒の両端を削って径を細くしました。きつきつでしたが木槌でたたくと何とか通りました。
径6mmの穴を開ける 丸棒を叩いて継箱に通す 残り一枚の板を組むだけ
丸棒を十字に通しながら残り一枚の板を組付けました。板を組付けながら一番注意したのは、ぴったり30cmになることです。この値がずれると巣箱の昇降が難しくなります。昇降器が30cmの巣箱を掴むようにしているからです。
そんなこんなで継箱が一つ完成しました。巣箱の昇降機に今回作った継箱を載せるとピッタリ合いました。あとは、実際に巣箱に継箱を取り付けるだけです。ミツバチを飼っている友達に来てもらう日付も決めました。無事に継箱を取り付けることができるでしょうか。
継箱の板を次々に木ネジで固定 巣箱昇降器にピッタリ収まる
のろのろとやって来る台風10号。勢力が強いため襲来時の風雨が心配されています。今日は勤務日でした。昼前、郷土館を臨時休館にする(8/29午後と8/30)との連絡が役場からありました。図書館も同様に臨時休館となり、一方で公民館は避難場所となります。数年前にも台風で臨時休館になったことがあります。台風は明日30日に通過するようですが、冠水や崖崩れなどの災害がないといいですね。
午後1時に郷土館入口に急遽張り出した臨時休館のお知らせ
毎年の今頃、昔からよく台風が襲来していました。今は川や水路の堤防がしっかりしているためか被害が昔ほど多くないように思います。
私が子供の頃は天井から雨漏りがよくありました。漏れ落ちる直下の畳に洗面器やバケツを置いたものです。私の古い家は田んぼとほぼ同じ高さでした。そのため、台風時には床下浸水がよくありました。畳を剥いで下を見ると一面水びたしでその水がゆっくりと流れているのです。もしかして、家の中で釣りができたかも知れません。
朝の通常の会館表示 だんだん雨が強くなる 臨時休館の表示をする
8月末日にチャレンジ創造コンテストの田布施大会があります。そのための作品作りを支援をしています。ところが、台風10号が来るため作品作りの日程が減りました。そして、今回が最後の支援となりました。3~5年生の女子チームは田布施町の名産であるイチジクを主体にした作品を作っています。しかし、モーターやギアを使うカラクリを考えることが苦手のようです。そのため私がこのチームを少し支援しています。
作品のための装飾を作っているイチジクチーム
大まかなカラクリを私が支援して形作り、その装飾やPR説明を子供達が考えました。残り30分、三人で大会のための練習をしました。二人がそれぞれ二台のカラクリ台車を動かし、一人がそのPR説明をします。私から見てまだまだ未熟でハラハラします。まずはカラクリ台車をちゃんと動かせるか心配でなりません。
男の子チームの太鼓 女の子チームの台車 本番に備え大会の練習
昔から海岸に生えている笹のような背が高い植物は暖竹と呼ばれる植物です。国道や県道に当たり前に生えているため、いつも通り過ぎていました。最近のその暖竹を使って籠を編めることを知りました。ただ、古来から編まれている竹,アケビ,藤,そして葛にはない素材です。友達に聞くとポルトガルで編まれているとのこと。そこで、その暖竹で籠が実際に編めるか試してみることにしました。その第一歩として皮を剥ぐことから始めました。
鎌やノコギリで刈り取った暖竹
暖竹が群生する国道188号線沿いの海岸に行ってみました。そして、いろいろな太さや長さの暖竹を刈り取りました。根元は笹のように硬いためノコギリを使って切りました。10本位刈ったでしようか。あまりに長いものは車に入らないため、半分の長さに切りました。
我家に戻ると早速加工してみました。久し振りに茎を6分割する笹割り器を使いました。八王子に住んでいる頃に笹細工で使っていたものです。ところで、私はナイフを使って上手に皮を剥げないため小型のカンナを使って皮を薄く削りました。
国道脇に群生した暖竹 刈った暖竹を車に積む カンナで皮を薄く削る
暖竹の特性が全く分からないため、籠に編めるようになるまでの加工がよく分かりません。編む前に水に浸すのか、煮るのか、曲げてくせを付けるのかなど分かりません。あるいは、暖竹を冬に採集して使った方がいいのかも知れません。
皮を薄くする過程でカンナ屑のような紐状の皮が出ました。紐か何かに使えるかも知れません。暖竹で籠を編むため、今後いろいろと試行錯誤することになるのではないかと思います。
笹割り器で暖竹を一気に六等分 薄く削った暖竹の皮
ミツバチの巣箱を待ち上げる装置が完成したのですが、肝心の継箱の余分がありません。そこで、継箱を作ることにしました。必要な木材を探しに行ったのですが、探していた厚さ3cmの板がありません。仕方が無いので厚さ2.5cm、幅180cmの板を購入して作ることに決めました。
私が使っている継箱の幅は30cmです。そのため購入した板を27.5cm間隔で切りました。電動ノコギリを正確に設定して次々に切りました。
継箱にするため、板を次々に電動ノコギリで切断
電動ノコギリで板を直角に切断するため、丸ノコギリの角度を90°に設定しました。そして、幅を正確に27.5cmに切るために、板を止めるネジを正確に27.5cmの位置で固定しました。この設定することで次々に同じ幅の板を取ることができます。この電動丸ノコギリは購入してから20年位になりますが、とても役に立っています。丸鋸が少し錆びてきたのでそろそろ取り替え時期かも知れません。
次々に板を切断 切り出したたくさんの板 丸棒の直径を計測
板を切った後、継箱の中央に丸棒を通す穴を開ける必要があります。丸棒の直径をノギスで計測すると6mmでした。次回、継箱を完成する時、丸棒を継箱内で十字にクロスするように組み込むつもりです。なお、継箱にする板を仮組みすると幅がピッタリ30cmになりました。予定とおり継箱を作ることができそうです。
切断した板を仮組みして物差しで長さを計測、ピッタリ30cm
数日前、我家の水回りが大変なことになりました。ずっと気が付いていなかったのです。我家の裏が田んぼのように水浸しになっていたのです。漏水です。今から50年位前に建てた時に水回りも整備したはずです。50年位経ってからの水漏れです。
その他にも、水道の蛇口からも水漏れするし、排水時に不快な音もします。このさい、業者の方に修繕をお願いしました。その結果、我家の周りを取り囲む排水路に樹の根が入り込んでいたのです。そして、詰まらせていたことが分かりました。その根を引っ張り出すと、水路のパイプの形になった根がごっそり出てきました。
水路のパイプから取り出した樹の根っこ、これが詰まって漏水
一昨年も似たような水漏れ現象があり修繕をお願いしました。水道管の一部が錆びて穴が開いたことによる漏水でした。その時は、穴をふさいですぐに治りました。今考えれば、その頃にすでに水路に樹の根が入り込んでいたはずです。
水路に加えて水を貯める桝にも根がはっていました。パイプを占領していた根は、パイプと同じ細長い形をしていました。そして、桝を占領していた根は、桝と同じ四角柱の形をしていました。
来ていただいた業者 樹の根を取り出した桝 家から遠い桝
自宅を保有した方がいいか借家に住ん方がいいか、よく議論になります。今回のケースは借家の方が良いです。水回りは大家さんの責任です。当然ながら大家さんが修繕します。自宅だと今回のように自分の責任で、自分の費用で修理しなければなりません。
定年後年金だけだと、このような家の修繕にお金がかかります。そもそも自分の健康にも責任と費用がかかります。お金がかかる旅行や遊びには容易に出かけられません。今回のような非常事態の出費にそなえて、安給料でも働いていて良かったと思います。
桝に溜まった水を取り出す 次々に取り出される樹の根
ミツバチの巣箱を持ち上げる装置がようやく完成しました。ジャッキをハンドルで回すと、ゆっくりと持ち上がります。巣箱の1箱の高さは18cm位です。持ち上げることができる高さは24cm位なので、継箱を十分に取り付けることができます。
蜜が詰まった巣箱は相当重いです。そのため、漬物石を載せてみるとなんとか昇降できました。最初、手でハンドルを回して昇降しましたが時間がかかります。そのため、電動ドライバーを使ってハンドルを回せるようにしてみました。すると楽に昇降できます。近いうちに巣箱を継いでみようと思います。
漬物石を載せ、ハンドルを回して昇降を検証
ネットで同じような巣箱持ち上げ器を見かけることがありますが、ほとんどは溶接して作られています。私は溶接技術を持っていないためもっぱら木で作りました。比較的手に入りやすい2 x 4の木材を使っています。そのためノコギリとネジ回しがあれば容易に作ることができます。木材と木材の接合部は基本的に木ネジを使っていますが鉄板を取り付けて強度をつけています。
昇降部の板材を加工 鉄線で昇降部を上下 ジャッキとの接合部
9月上旬に継箱を取り付ける予定ですが、その継箱を数個作っておこうと思います。その継箱内に巣が落ちないようにする細丸材を取り付けるのがやや面倒そうです。10月頃、友達に手伝ってもらい最初の蜂蜜を採取して見ようかと思います。また蜜蝋も抽出したいと思っています。今年はミツバチに関してなんでも初めてです。猫,犬,ハムスター,金魚などを飼うのとは違った楽しみがあります。
電動ドライバーで昇降 体重58kgの私が載る
8月末に行われる田布施大会のための工作を進めています。その工作で困っているのは、当の子供達が学校や地域の行事で工作になかなか集まれないことです。一応三人で一チームなのですが、一人でも来てくれればと気をもんでいます。
一番心配しているのは指導員さんです。指導員さんには仕事などの合間をみて工作の指導をしていただいています。ところが肝心の子供が来ないと指導する気持ちをそがれてしまいます。毎年の事ですが、この8月が最も工作が忙しい時期です。来年はもう少し子供達や指導員さんの忙しさに合わせて、工作に関わる企画を考え直した方がいいかも知れません。
集まった子供達と工作の仕上げに奔走
チャレンジ創造コンテストは短期間に工作を仕上げなければならず大変です。エアコンが無く扇風機だけの教室は汗だくです。タオルで汗をぬぐいながら時々水分を補給しています。あまりに暑いと良いアイデアが出ないうえに気力も出ません。それでももくもくと工作の指導をしています。子供がどうしてもできない仕組みやカラクリを主に考えます。この忙しさも8月までです。毎年のお祭りのようなものです。
うまく動かないカラクリ カラクリの手段を変更・工夫
苗を植え付けた後、そのまま放置していた洋綿。しばらくぶりに行ってみると、綺麗な花が咲いていました。この洋綿は最初白い花なのですが、しぼむとピンク色になりました。その後、しぼんだ花が散ると実が大きくなり、そして綿の実であるコットンボールが収穫できます。すでに3cm位に膨らんだ実がありました。来週頃には実が割れて綿が収穫できるのではないかと思います。
白く咲いた洋綿の花、散ると実がだんだん大きくなる
今年は肥料などあまり世話をしなかったため、背はまだそう高くありません。ただ、綿は栄養成長する植物です。そのため霜が降りて枯れるまでずっと成長し続けます。大人の身長までには育つのではないかと思います。今年も紡ぎを楽しめるだけの綿を収穫できそうです。
猛暑の中、よく育った綿 しぼみ始めた花 大きくなる綿の実
祇園社廃墟の古びた階段を降りると田んぼがありました。田んぼから振り返ると、降りてきた階段はお年寄りなどの足の悪い方が登る緩い階段だと気が付きました。降りた場所に、直線状に登るとても急な階段があることが分かりました。この急階段の方が正式な階段のようです。
その正式と思われる石階段の左右に立派な石塔が建っていました。碑文を読むと明治三十周年頃に建てられたようです。この石塔が建てられた時期が、最も祇園社が栄えた時期だったのでしょう。その後、氏子が絶えるなどして維持管理ができなくなり廃墟になったと思われます。
廃墟となっていた祇園社跡直下から振り返ってみた琴石山
石塔から琴石山方面を振り返ると、少し前に休憩をしていた茶臼山古墳の後円部がちょこんと見えました。その前の方に柳井病院がみえました。この猛暑では琴石山に登っている人はほとんどいないと思います。
祇園社跡の石塔から火伏地蔵尊が見えました。名前からして火事が起きないように願った地蔵尊ではないかと思います。柳井市は江戸時代に大火事があったとか。そのため柳井市各地にお地蔵様が建てられています。そのうちの一体ではないかと思われます。
祇園社跡の階段と石塔 屋根付きの火伏地蔵尊 宮本大師堂
火伏地蔵尊は地域の方々に大切にされているようです。花が活けられており、電気ではありますが燈るロウソクがありました。住居傍なので地域の方々が管理しやすいのでしょう。その点、祇園社跡は山の上ですし、滑り落ちそうな石階段なので特にお年寄りが管理できなくなったのでしょう。
自然を崇拝する神道のような宗教は、山奥や山上などに神社が建てられる傾向があります。一方で、自然と無関係な宗教は人々が集まる町中に教会が建てられる傾向があるようです。後者の宗教施設の方がお年寄りになってもお参りしやすいのではないでしょうか。
久し振りに参拝した代田八幡宮 國木田独歩の三角餅「藤坂屋」
火伏地蔵尊を出ると旧道に出ました。この旧道は江戸時代から明治にかけてのメインルートです。私が幼児の頃、この旧道に親戚が住んでいました。この親戚の家前で、私は自転車に引かれたことがありました。自転車の車輪が手が届かないほど高かったことを覚えています。突然に飛び出したのでしょう。今ならば車に引かれていたかも知れません。
続いて宮本大師堂に行きました。そして、傍にある代田八幡宮を久しぶりに参拝し休憩を取りました。猛暑にも関わらず数家族が参拝をしていました。代田八幡宮を出ると國木田独歩の小説に出て来る三角餅の藤坂屋前を通り出発地点に戻りました。短いウォーキングでしたが良い運動になりました。自分にお疲れ様!
柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見コース
ミツバチの巣箱を持ち上げる装置を続けて作っています。のんびり作っているため、なかなか完成に至りません。今回は巣箱を上下させるジャッキを取り付けました。ジャッキを何にするか迷っていましたが、微妙に上下できる車用のジャッキを使うことにしました。そこで、去年手放した車のジャッキが余っていたためそれを使いました。もう一息で完成です。9月初め、この装置を使って継箱を巣箱に取り付けようと思っています。
天井板に巣箱を上下させるジャッキを取り付け
巣箱を掴んで上下するスライド板を支えるため、そのガイド板を当初設置したものから取り替えました。また、スルスルと上下するように板と板が擦れ合う場所にロウを塗りました。そのおかげか、スライド板がするすると軽く上下するようになりました。初めて作る巣箱持ち上げ器であり、また自分で考えたオリジナル装置のため試行錯誤の繰り返しです。
スライド板のガイド ガイドの取り付け直し ジャッキ底に穴あけ
続いて、ジャッキを取り付けるための穴をジャッキの底に四ヶ所開けました。そして、ジャッキの底を取り付けるためのネジ穴を天井板に開けました。径6mmのネジ穴です。これで、巣箱持ち上げ器の99%が完成です。あとは、ジャッキを取り付けた天井板を支柱に取り付けて、スライド板とジャッキを結べば完成となります。
最後に、大きな石をのせて上下させたり、人を乗せて上下することができればOKです。ただ、一人で巣箱を持ち上げるのはまだ心配です。そのため、友達に加わってもらいこの巣箱持ち上げ器を使ってみようと思います。
車用ジャッキを逆さまに取り付け ジャッキを6mmネジで4個で取り付け
日本の野外に普通にいるミツバチ、天敵のスズメバチと闘うとの話を聞いていました。まさに、その闘いを見ることができました。
朝、ミツバチを観察するため巣箱まで行きました。すると、巣門にミツバチ達が丸く団子になっていました。そのミツバチ団子を見ていると、スズメバチの顔がたまに見え隠れしていました。これが熱殺蜂球と呼ばれるミツバチ団子のようです。一時間後に巣箱に来ると、ミツバチ団子はなく普通にミツバチが出入りしていました。巣門の下にスズメバチの死骸があり、アリがたかっていました。
スズメバチを丸く囲んでできたミツバチ団子(熱殺蜂球)
今回のスズメバチは小柄な黄色スズメバチです。より大きなオオスズメバチの場合、ミツバチ団子はもっと大きくなるのでしょう。
そこで、実験をしてみました。網でとらえて半死状態にスズメバチを巣門に置いてみました。すると、すぐに数匹のミツバチがやってきてスズメバチを巣門の下に落としました。元気なスズメバチでないとミツバチ団子はできないようです。体の小さなミツバチ達、みんなで協力してスズメバチに対抗しているのですね。
普段の巣箱の巣門 半死のスズメバチを置く 巣門下に落とされる
茶臼山古墳を降りて大屋団地に行きました。バスの終点になっている団地です。以前は子供の姿をよく見たのですが、猛暑のためか一人も姿を見ませんでした。ここも少子高齢化なのでしょうか?続いて荒神山公園に行きました。大屋団地から直接この公園に行けるはずなのですが、入口が閉っていました。廃止された公園かも知れません。
そこで、一度脇道を通って市営住宅を回り込んで公園に行きました。公園入口には荒神社の鳥居が立っていました。明治三十年頃建てられたようです。公園内は荒れており、公園として使えないようでした。雑草や灌木をかき分けて荒神社の祠に行きました。
青い空に白い本殿が映える正行院
この荒神山公園、元々は荒神社の参道広場だったと思われます。今は雑草と灌木に覆われていますが、その昔はたくさんの人が参拝していたに違いありません。鳥居に刻んである明治三十年頃は賑やかだったに違いありません。廃棄された祠が寂しく残り、今後は少しづつ山に返るのだと思います。そして、鳥居,手洗い石,そして灯篭だけが残る森になるのでしょう。
寂しげな灯篭 旧荒神社の祠 荒神山公園からの眺め
荒神山公園下の市営住宅も静かでした。花を育てている家が一軒だけありました。その一軒の方が退去すればすべての長屋が解かれるのでしょう。大屋団地にしろ市営住宅にしろ空家が目立ちます。これらの団地を見ていると昭和の風情を感じます。ちなみに私は結婚した当初、青梅市の市営長屋に住んでいたことがあります。洗濯機が外に置いてあり、暖房と炊飯器を同時に使うとヒューズが飛んでしまうようなわびしい長屋生活でした。
樹が生い茂り暗い祇園社廃墟 落葉が積もる石階段廃墟
荒神山公園を出ると、正行院に行きました。お寺は、堂,庵,寺,そして院と立派になります。柳東地区一番のお寺かも知れません。お墓もなかなか立派に見えました。
続いて、正行院の南にある暗い森の中に入りました。ぎりぎり道が続いています。ここはかつて祇園社があったようです。しかし、今は荒れ放題で放置されてから数十年経つようです。落葉が積もる階段を降りました。ここも昭和時代には賑やかだったに違いありません。なぜ放置されるに至ったのでしょうか?
柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見コース
先日のわら細工民具ほぼろ講習会(第1部,そして第2部)で小学生がほぼろを製作しました。ただ、時間が無くて完成に至りませんでした。あとは手下げ紐か肩掛け紐を取り付けるだけでした。
そこで、おせっかいとは思いましたが、紐を作って取り付けてあげました。単に太縄を取り付けるのではなく、三つに裂いたマオランの葉を三つ織りにした紐を取り付けました。三つ織りにしたマオランは平らな紐になります。そのため、肩に掛けやすかったり手に持ちやすくなります。マオランの葉は長さが1m以上になるため継がないで紐にできます。
ほぼろの肩掛け紐(左)と手下げ紐(右)にしたマオラン
去年周防大島からいただいて来たマオランはまだ葉が短いです。そのため、田布施川沿いに植えてあるマオランの葉を数枚いただきました。その葉を三つに裂いて紐にしました。
隙間なくきっちり三つ織りにしましたが、乾燥すると隙間が空きました。しかし、紐としては十分な強度があります。そのため、子供が作ったほぼろとは言え実用的なわら籠になりました。
マオランの葉を採集 三つ織り加工して紐に ほぼろに取り付ける
猛暑の中、来月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。暑いので三時間ちょいの歩きにとどめました。歩いた場所は柳井市の柳東方面です。スーパートライアルの駐車場から歩きました。
最初、柳東小学校を経由して春日神社を参拝後に茶臼山古墳に行こうと思っていました。しかし、猛暑の上に春日神社は何度かウォーキングで行ったことがあります。そのため柳東小学校手前から琴石山の裾野に向かって歩き、直接茶臼山古墳に行きました。
久し振りに訪れた、葺石の間に雑草が生える茶臼山古墳
駐車場を出発すると、最初に旧国道188号線を見守るお地蔵様に行きました。大きく立派な立ち姿のお地蔵様でした。続いて団地(中電社宅?)内にある公園の祠を訪れました。猛暑のためか子供は誰一人おらず、やや荒れた公園でした。公園周辺は立ち枯れた草で覆われていました。除草剤がまかれているようです。
トライアルの駐車場 旧国道を見守るお地蔵様 荒れた公園内の祠
その後、川の上流に向って歩きました。しばらく歩くと、琴石山麓のなだらかな田んぼや畑に出ました。左右を田んぼに挟まれた畦道をのんびりと歩きました。たまたま野良仕事をしている方と談笑しました。この暑いのにご苦労様です。
琴石山麓ののんびりした田んぼ 茶臼山古墳からの柳井市街
緩い坂道を歩いていると舗装道路に出ました。柳井市と大畠の往還道路ではないかと思います。その道を柳井側に歩いているとトンネルがありました。そのトンネルを出ると、左に歩いて茶臼山古墳に行きました。
前方部から登って後円部の頂上に登りました。しばらく眺望を楽しんだ後、資料館前の木陰に入って休憩しました。休憩後立ち上がると、座った箇所がハート型に濡れていました。汗でお尻が濡れたようです(笑)。
柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見コース