百田尚樹のベストセラーを映画化した大作だが、あまり期待せずに観た。期待以上でもあり、やっぱりという感想も相半ば。
期待以上だったのは、映像のリアル感。ハリウッド進出してより磨きの掛かった白組のVFXの映像は、戦争オタクの眼にも満足の行くできだったのでは?とくに空母赤城やある意味での主役零戦二十一型五十二型による空中戦の映像は、ハリウッドに負けてはいない。
戦中生まれの筆者には先の戦争は親が実感した世代で、生身での戦争記憶はないが戦後の食糧不足が想い出として残るのみ。ただ戦後の貧しさは今の繁栄とは別世界で、小学校時代の二部授業、脱脂粉乳を息を殺して飲み、油だらけのモヤシ入りシチューと空胴のコッペパンの苦い思い出は今も忘れない。
主人公の健太郎は、祖父賢一郎とは血が繋がっていないことがキッカケで、本当の祖父・宮部久蔵を通して戦争を知ることになる。
久蔵を知る零戦パイロットの生き残りを訪ね、人となりを取材するうち「帝国軍人の恥さらし」という長谷川や「優れたパイロットだが、<私は死にたくありません>という言葉に最初に違和感を覚えた」という井崎や「教官だった久蔵に不可ばかりで邪魔され不信感があったが、上官に生徒を庇ったために殴られた久蔵を改めて尊敬した」という武田。
そして久蔵のライバル元ヤクザ・景浦から家族のために生きて帰ると約束したのに、特攻隊志願兵として出撃していった祖父の最後とともに、隊の名簿を手にして愕然とする。
「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの山崎貴が、大長編を「歴史認識に留意しながら、人間描写に腐心した」144分。
最大の謎は、優秀なパイロットでありながら出撃しても必ず乱戦を避け帰ってくる臆病者の久蔵が、生きて帰れない特攻に志願したのか?ということ。
このドラマでは多くの若い命を犠牲にするために生まれた<特攻隊の教官としての罪の意識>として描かれている。これは終戦記念日に必ず上映された、従来の洗脳されたヒロイズムと紙一重。
原作にはない、健太郎が合コンで「特攻がテロと変わりない」と言われ憤慨して席を立つシーンでもその違いは若者達には伝わってこない。むしろ元アメリカ兵の言葉、大新聞社への戦争加担を批判した久蔵を描いた原作に一日の長があった。もっとも軍幹部、高級官僚、マスメディアを非難する作品では原作者や後援団体・企業から支援は得られず本編は製作できなかったことは明らか。
反戦映画でもなく国ために命を捨てた英雄でもない人間・宮部久蔵の物語である。これでもかという感動の嵐に持って行く手法は賛成できないが、久蔵役の岡田准一、松乃役の井上真央、これが遺作となった賢一郎役の夏八木勲、景浦役の田中泯の好演が目立った。