西宮市議会議員 しぶや祐介の活動日記

「子育てするなら西宮」「文教住宅都市・西宮」「住み続けたいまち西宮」の実現を目指す西宮市会議員のブログ。

【続報10】3月下旬に1日、登校日が設定されます!+コロナが悪性化した場合に起こりうる、最悪の事態を考えてみる。

2020-03-16 13:15:29 | 主張・広報と活動のお知らせ

新型コロナウイルスの感染防止のため、市立小・中・高・養護学校が3/3(火)から春休みまで臨時休校されているのは既報の通り。
そんな中、以下の通り、市立小・中学校に登校日を設定することになったとのお知らせがありました。
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小学校:3/26(木)または3/27(金)
中学校:3/24(火)または3/25(水)
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正確な登校日時・持ち物については、通学している学校から3/18(水)以降に連絡があるとのことですので、暫し、お待ちください。
なお当日の内容は、通知表の受け渡し・春休み中の生活や家庭学習&新学期に向けての連絡等とのこと。
また、今回の登校日は授業日数に含めない&少しでも体調が悪い場合は家で休養してください!との留意事項が付されておりますので、ご注意ください。
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西宮市立小・中学校 登校日のお知らせ@西宮市HP

閑話休題。
今回の新型コロナウイルスに関わる対応については賛否両論、様々な立場からのご意見をお聞きしております。
で、その中で、つくづく思うのが「今後、どの程度、感染するか?悪質化するか?という点への見解によって、立場が大きく異なってくるんやろうな...」というところ。
現在、世界的に取られている対応は、最悪の場合を想定したものである面が強いように思うんですよね。
一方で、「最悪の場合のイメージが、どうにも湧きにくい...」という向きも多いことかと。
というわけで、本棚から引っ張り出してきた「人類が知っていることすべての短い歴史」で見つけた、それを想起させる内容を以下、引用抜粋。
少々長いですが、お付き合い下さいませ。
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~前略~ その病気は、豚インフルエンザともスペイン風邪とも呼ばれ、たいへんな猛威をふるった。第一次世界大戦は四年間に二千百万人の死者を出したが、豚インフルエンザは初めの四カ月で、同じだけの命を奪った。最初の世界大戦におけるアメリカ軍死傷者の80%近くは、敵の砲火ではなく、インフルエンザで命を落とした。部隊によっては、死亡率が80%にも達した。
 豚インフルエンザは、1918年春の発生時は普通の非致死性の感冒だったが、どういうわけか、数カ月を経てーどこでどう変化を遂げたのかわからないがーより恐ろしい疫病に変容した。患者の1/5は軽い症状ですむが、残りの4/5は重症となり、多くの場合、死亡する。ある者は数時間のあいだに息絶え、ある者は数日持ちこたえた。
 アメリカでは、1918年8月下旬、ボストンの水兵たちのあいだで最初の死亡が記録されたが、疫病はあっという間に、国じゅう至るところに広がった。学校も公共の娯楽施設も閉鎖され、どの地方でも人々はマスクを着用したが、効果は見られなかった。1918年秋から翌年春にかけて、アメリカでは548,452人がこのインフルエンザで死亡し、イギリスでは、22万人、フランスとドイツでもそれに近い人数が死亡した。第三世界の記録は当てにならないので、全世界での合計は誰にも分らないが、二千万人は下らず、おそらく、五千万人に近いと思われる。推定値によっては、一億人としているものさえある。
~中略~
 この1918年のインフルエンザに関して、多くのことが、ほとんど、あるいはまったくわかっていない。謎のひとつは、海洋や山脈やその他の地理的障害物に隔てられたあちこちの場所で、どうやって突然、ほぼ同時に発生したかだ。ウイルスは宿主の体の外ではせいぜい数時間しか生きられない。だとすると、どうやって、マドリードとポンペイとフィラデルフィアで同じ週に現れることができたのか。
 それに対する信憑性の高い答えは、おそらくウイルスが潜伏していて、ごく軽い症状か、まったく症状がない人たちによって広められたというものだろう。通常の発生でも、およそ10%の人がインフルエンザに感染するが、症状がまったく出ないので、気づかずに活動を続け、病気を大きく広めてしまいがちだ。
 1918年の発生が広範囲に及んだことはこれで説明できそうだが、ほぼ時を同じくしてあちこちで爆発的に発生する前、どうして何カ月もおとなしくしていられたかについては、いまだ解明されていない。それよりもっと謎なのは、ウイルスが人生の盛りにいる人たちをおもに狙い撃ちにしたことだ。インフルエンザは通常、幼児や高齢者にいちばん打撃を与えるが、1918年の発生においては、二十代、三十代の死者が圧倒的に多かった。高齢者のほうは、以前同じウイルスに暴露して抵抗力ができていたということも考えられるが、なぜ、幼い子どもたちが発症を免れたかはわかっていない。そして、いちばん不可解なのは、ほかの大半のインフルエンザと異なり、1918年のインフルエンザがなぜあれほどまで猛烈な致死力を持ったかだ。その点は、いまだ手がかりも得られていない。 ~後略~
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もちろん現時点で、新型コロナウイルスがどのような変容を遂げていくのか(あるいは遂げずに消えていくのか)は誰にも分りません。
でも過去に、こうした事例が存在したこと、その詳細について未だ(おそらく永久に)謎な部分が多いということを知っておくと、また思う内容に違いが出てくる面もあろうかと思うんですよね。
危機管理の要諦が、最悪の場合を考えて、早期対応することにあると考えるなら、尚更なわけで。
つくづくと事後になってみないと、正解なんて分からないのだと思ったりもします。。。

というわけで、今日のブログは、このへんで。
それでは失礼いたします。


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