The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

自国を自国民が守る行為を右翼化というのなら、売国行為こそ左翼化なのか

2014-03-21 20:10:22 | Weblog
イデオロギーで左右をカテゴリー分けすることこそ、時代に合ってない。グローバル化の今、国とその自国民がどうやって自らのアイデンティティーを守ることこそ、最もホットな話題だからだ。他国による思想、経済や文化侵略を拒否するのは、自国民が積み重ねた社会の崩壊を意味するからだ。これを単に右翼化とか、閉鎖的という言葉だけで差別とする短絡的な議論はおかしい。

難民が何故できるのか、難民以外の移民が自国を捨て、他国に定住するのか、という基本的な問題解決が議論されない限り、移民問題はなくならない。なにせ、自らの国を民主主義化して、自分たちで作り上げるという努力をせず、御身だけ助かりたいというのが移民の意図だからだ。日本国は、日本人にとって住みにくい国なのだが、いっこうに自国民のために生活の安定、治安の維持、社会保障の支払い見合うだけの補助という問題点は解決されない。世界で移民を重視したために自国民が犠牲になった国は、すべて移民政策に失敗している。反面、自国民が生活しやすい国での移民政策は厳しい条件があっても、移民者が途絶えることはない。

人道的見地という点であれば、自国民は国がなんとかできるから犠牲になってもいとわないとでも言いたいらしい。だから自国民がみな不満をためて、移民に対して法をかいくぐる方法で排除をしてきている。しかし、社会にとけ込み、ボランティア活動など貢献している移民は排除されない。むしろ、法的違法だっても、それをどうにかしようとする活動もある。この違いが何かわかるだろうか。移民側も既存の社会へのとけ込みの努力をしているかどうか、ここがポイントだろう。つまり、イデオロギーなんてどうでもいい。差別にしても、個人的恨みや生理的嫌悪という意外に、具体的な理由がない。あるとすれば、反国的な言動や活動を継続しているのに、未だに嫌悪している国に定住している矛盾が嫌われているだけだ。こういった言動や活動をリードする組織も堂々と存在している日本という国は、いかに自由を尊重し、かつ言論の自由を守っているのか、と自分は誇りに思う。諸外国なら、こういった政治的関与をするような外国組織に対して、監視対象どころか、廃止まで法的処理をする。
そろそろ、日本人も現実に見合うような平等と日本国憲法下にある自由を守ることを考えてもいい時期だろう。

思想団体や宗教団体が社会において不利益になるような活動は、テロの温床になる。これを自由という言葉で放置した結果が、先の地下鉄サリン事件を生んだことを日本人は忘れてはいけない。地域社会による住民同士のコミュニケーションの意義は、ある意味、お互いの監視でもある。個人のプライバシー保護ばかり叫ぶ風潮は、テロリストを育てる温床という点をどう説明できるのか、と問いたい。今の地球上に個人の勝手気ままによるやりたい放題の自由や、犯罪とも言える行為による人的危害を含むプライバシーなど存在しない。家庭内暴力ですら、議論されず、子供の権利、妻の女性としての権利ばかり取り上げる不思議さがなんとも違和感がある。

少なくてもメディアによる報道内容が虚偽かどうか、訴訟が増えてくれるのを望む。政治的か思想的か意図的な情報操作による報道内容の偏向については、もっと真摯に取り調べして、処罰をして頂きたい。これがないと、本当に社会にとって必要な報道という産業がなくなってしまうからだ。

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