The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

ケネディ暗殺の日 11月22日

2008-11-22 00:43:41 | Weblog
日本じゃいい夫婦の日とかいうらしい。1963年11月22日。日本だと23日。
さて、何故ケネディが人気かといえば、やはりこの暗殺のおかげじゃないかと思う。この後、彼の兄弟やらみな死ぬことになる。ここまで執拗に追う死は何だったのか。謎のまま時間は経過した。まあ、リンカーン暗殺でさえ、はっきりしない点があるようで、未だにいくつかの謎を持ち出す人もいる。

これからいくと、最近の元厚生省官僚の殺人がテロって言うのは、騒ぎ過ぎように思う。あの秋葉原事件もそうだけど、単に反抗者は自分の不満だけで行っただけで、テロというところまでの思想行為とは考えにくい。
事件がないからって、騒ぎを起こすような発言をする有名人やら政治家やらまったくもって何を考えているのかわからない。君たちは、国の責任ある地位にいるって自覚がなさ過ぎる。それよりも首相の方がまともじゃないか。
確かに失言と評される言動はあるかもしれないが、自分からすれば失言だとは思わない。医師会は確かに医者の給与保証を基にして医師養成数を減らしたのは事実だ。それとインターン制度にしても安い給与の割りに何故高い医師会やらいろんな会費を医師が納めなければいけないのか、そこまでマスコミは医療業界をつっこむ取材を何故しないのか不思議だ。昔から薬品、医療機器会社との汚職は有名だとしてもそれが最近はなくなったっていうのか、報道もないしね。それほど医療業界がクリーンだとは思えないんだけどさぁ。就職にしても教授やらの推薦とかいろいろあるし、最近だとあの医師国家試験に関係する謝礼事件とかどうしたんだ? あれも追求なしってのがマスコミの姿勢じゃないか。医療問題が多発して医師不足になったからって報道しないのなら、それは大きな間違いだろ。

政治にしても、何故民主党小沢の金問題やらを追及しないのか、不思議だよ。
彼が国のリーダになれない理由は、今までフィクサーとしてのスキルは十分発揮はしてきたが、政策のリーダシップとしての功績はないじゃないか。
それを持ってあの年でリーダってのは、それこそ矛盾してないか?
年齢差別じゃなくて、現実体調不良で公務は放棄するわ、とてもじゃないが最高責任者って自覚がなさすぎる。リーダが重要と知っているからこそ、引退するもんだろ? それが正しい責任者の行動だと思う。まあ、企業責任者じゃなくて、誰もが簡単になれる政治家のリーダっていうなら、そりゃ責任追及は不要だと思うけどさ。その無責任者にいいかげん首相もあきれたのか、「信用できない。」と言っただけだ。確かに首相からすれば、就任してから休みもなくひたすら動き続けている。おまけに内部からの協力も一部からの不満やらで決して楽じゃないはず。

ところで首相がいないと政策って進展できないもんなのか? 最後に承認すればいいだけで残された内閣、与党で進めればいいだけじゃないの? まったくもってリーダが不在だからって君たちは何もできないなら、さっさと政治家辞めたらどうだって気がしないでもない。任されているなら何も言わずに粛々と淡々と仕事すればいい。マスコミに感想聞かれて口を開くような政治家なんて信用できないなぁ。
自由というより、集中力がないというか、自分が何をしなければいけないのか、わかってないのか、それとも私利私欲にならないから党のリーダの足をひっぱりたいのか、わからないなぁ。評価としては下がる。本当に自分がなすべきことを理解しているなら、リーダと自分は違うなどと語る必要はまったくない。まあ、きっと彼らも票のためだけに政治しているだけだろうからさぁ。これは野党と同じ穴のムジナでしかない。実際にこういったメンバーが多いとプロジェクトの進捗状況は悪いし、質も落ちる。リーダとしてはどこかでこういったプロジェクトの妨害になる行為を推進するメンバーの異動も必要になる。その例が先の小泉首相だ。反対の理由が経済効果からすれば説得力がないにも関わらず、それを押し切る人たちは、民営化を推進する目的からすれば、いらないメンバーでしかない。目的は民営化。だから、それに対しての問題点を指摘するなら、しっかり対策まで考えるのが責任だろう。しかし、対策まで提案できた人はいない。なのに再選されている。

日本の政治は政策とかじゃなくて、どうも人情の政治でしかない。だから、民主主義なんて偉そうなお題目つけていても内容は近所やら顔見知りに任せようって感覚は未だに変わらない。問題はこの感覚で選択する選挙は、自分たちが望んだ結果を即出さないと、今度は引きずりおろしたくなるって点だ。即効を望むならそりゃ独裁政治だって力をフルに使ったって2-3ヵ月じゃ無理だと思うんだけどね。

2次補正予算だっていい加減でいいなら、さっさと出せると思う。問題は来年度の税収入が減り、かつ年金出費は増える状態で赤字国債発行をしないでやるって点だと思うんだけどね。こりゃパズルのような簡単なやりくりじゃない。
どこかを重く予算編成すれば、どこかを削る結果となるんじゃないのか? 
そうなれば削られた影響も想定するだろうか、即出せるもんじゃない。それが先行きが見えないときの予算編成じゃないのか? それとも今までのように赤字国債を先に出して、あとからそれを埋めるべく改革やらすればいいというなら、そりゃ簡単だろう? 民主党の案ってこの手順じゃないのか? だから簡単なんだよ。
予算を削られた被害を想定してないと、現在のように医療危機とか招くかもしれないのに、いいかげんな予算案を望む国民ってのは、自分のためだけしか考えてないようだ。

100%の国民が納得する政策なんかあり得ない。数の理論だけに頼れば、日本経済は破綻する。そうならないようにしながら、できるだけ多くの国民の意向に沿うような政策を決めるってのは、端から見るよりうんと難しいと考える。
いや、簡単だったら今頃日本国民は世界のどこよりも労働しないで楽しい生活ができる国としてトップの地位だったと思う。

テロ、暗殺ってのは、誰かの私利私欲にそぐわないから発生する。
自分としては、個人やある団体の私利私欲よりも国益優先で決めてもらえればいいと考える。国が健全経営じゃないと国民、企業も、労働者も心も懐も豊かになれないと信じている。
その例が明日の飯を心配しなくてもいい人たちですら、低所得層の人への救済案で自分たちの取り分が減ることは反対するんだからね。
心がきしむってそうゆうことじゃないのだろうか。





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