The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

「ペトロ岐部と百八十七殉教者」の列福式

2008-11-23 21:46:20 | Weblog
http://christiantoday.co.jp/main/domestic-news-893.html

日本が侵略国家だどうかよりも、信仰の自由が君主から迫害を受けた事実の方がずっと重要だと思う。つまり信仰という自由すら許されなかった時代があったってこと。
キリスト教は、確かに魔女狩りやら十字軍やらで血なまぐさい歴史の記録もたくさんある。しかし、日本では信者がときの権力から迫害を受けたってことだ。

遠藤周作氏の「沈黙」の話だよ。たぶん、まじめな信者にすれば、「他人のために自分の信仰を捨てる恐怖」は、すごい難題な決断になる。なにせ信仰をすてるってことは死んだら地獄に落ちることになるんだからね。当時、信仰は希望だった。
何故か広島の原爆や長崎の原爆記念よりも「二十六聖人」の方が自分の心には強く残っている。それはひとつには「沈黙」を読んだってこともある。
神ならばそれぐらい許容するもんじゃないか、とさすがにご都合主義の自分なら考えて、あっさりと踏み絵をするし、信仰も捨てるだろうって思うからだ。
だけど、その考えも「希望」という言葉ですごくショックを受けた。

マスコミは、40歳過ぎた容疑者の親からコメントを取る。マスコミに犯人像を語る権利があるんだろうか? 報道や表現の自由とは個人の生活や情報を犯してもいいということではない。まだ容疑者であり、結審していない。親御さんの気持ちを察するなら、コメントなど取るな。これも視聴者や読者のためというなら、自分たちがどれだけパパラッチ化しているかわかってないんだろう。チンピラうんぬんという言葉を政治家が言ったような記事も同じ。そうやって与野党闘争をあおり、国政不安を国民に与えて、マスコミは一体何様なんだ? 事件を大きくするのは、マスコミの得意ってところなんだろう。マスコミは世界遺産暫定リストに載った場所でのイベントなんだけどあまり報道しないようだ。寺とか神社なら報道するかもしれないのに教会だとしないのか? この事件って日本史でも出てくるはずだしね。
つまり衝撃的な事件に仕立てないと記事にならないらしい。 

国民に希望を、という現政府の方がずっとまともだと思う。むしろ、野党やマスコミの方がなんか変だ。日本を明るくするなら、先ずは国際経済の安定だろ? 国内は現時点では駄々っ子野党が私利私欲のために政策を利用している限りはどうにもならない。それと選挙なんか来年3月決算期までやれないって考えないのは、社会人の常識。そもそも日本の大半の会社は3月決算。外資系は12月末だからね。よって、今のうちに米国やらEU系の会社には立て直し計画をしっかり発表してもらわないと、また市場は荒れるってことなんだ。あの野村證券ですら、がんばっているんだしね。株がどれだけ大事かといえば、大企業に関係していない業種って日本にどれだけあるんだ? 大半は関係しているんじゃないのか? それとメディア会社だって株下がると困らないのか? 

個人的には、全国紙だけじゃなくて地方紙も含めてだけど新聞社多すぎると考えている。紙の無駄になるだけ。別に新聞社がなくなっても印刷関係が困るだけなんだけど、これからの時代を考えると紙や印刷物の減少ってのは環境保護にはいいことだ。だけどマスコミとすればこれもなんだかんだと言うんだろ? 何をいっても紙もインクも環境に悪いことには変わりない。
必要最低限の新聞でいいし、無駄な広告紙とかいらない。そんなもん、携帯電話に広告でも載せて、料金を割り引きにするとかすればいいじゃないか。
まあ、携帯電話もEUでは電波の影響で脳腫瘍とかで問題になっているんだけどね。
真偽はわからないが、そういった騒ぎもしない日本の方がおかしい。
とにかく、ゴシップ記事の記者の感想や所感など一切不要。5W1Hだけでいい。
あとは、政府が発言を文字起こししてe-mailで配布でもいいんじゃないか?
漢字うんぬんとかいいそうだから、全部ひらがなでいいよ。日本語のプロなんだから文脈でちゃんと内容は理解できるはず。たまに都合よく理解しているんだけどね。

都合よくというなら、日本が侵略国家なら、宗教弾圧の時代で死んだ人はどうなるんだ? これも政府が保証しろって言わないのか? 何故? おかしいよなぁ。弾圧だよ。戦前の弾圧は一切追及なしで、戦後だけっていうなら、そりゃ正義だとか政府批判とかするなよ。都合だけじゃないか。かわら版のポリシーをなくしたメディアだなぁ。
まあ、すでに小説も漫画も魅力ある作品は少ない。ひとつはメディアの数が溢れすぎているからじゃないのか? まあ、たくさん作品がでることはいいんだけど、ゴミばかりなら金出してまで買いたくないって消費者の気持ちわかるかなぁ?
読者とか視聴者じゃなくて、消費者だよ。提灯の帯文句や書評を嘘って思うことは多々ある。これは消費者問題にならないもんか? もし、ペイ式になれば払う側は消費者だよなぁ。つまらないと感じた方には半額返金します、なんてキャンペーンでもしないと誰も払わないなぁ。だって、レンタルする映画の方が楽しいもんね。
それでもってもっとDVDの価格が下がれば気に入った映画はもっと買ってくれるだろうしね。自分もレンタルで見て気に入ったらバーゲンで買う。それにしても日本は高い。まあ、字幕付きになるからコスト高なんだろうけどね。
英語が読めれば、サブタイトルだけでどんな言語の映画も見れるから、日本で買わないでも済む。別に字幕必要ないしね。

クリスチャンじゃないとしても「沈黙」はいろいろ考えさせられる小説だと思う。
日本には信仰の自由が憲法で守られている。それでも宗教というだけで無条件で批判をする人もいる。思想や信仰を押し付けるならそりゃ問題かもしれない。しかし、鰯の頭も信じんから、という諺のように、個人の価値観によっては宗教というのは非常に重要だ。押し付けや強制がなく社会に害もなければ自由のままでいいと思う。まあ、なんでも極論は論外だけどね。


補足:希望って宗教だけじゃないと思う。夢も希望のひとつ。他人から馬鹿にされようとも自分に取って生きている活力になるんだったらいいと思う。
そもそも他人の夢にケチつける奴ほど、ネガティブな奴はいないんだけどね。
所詮人間は自己欲のためだけに生命を維持する動物とまで表現されるぐらいに私利私欲が強い。だから地上で最強の地位を築きあげた。だけど1人じゃ生きていけない。この矛盾の中で生き残る智恵とは、先ずは自分の夢と考え方を持て。
例えば、ウイリアムシャトナー氏の語るスタートレックの技術が現代でどれだけ実現されているかってDVDだけど、初代が放送された時代に誰が現代の携帯電話の実現を予測できただろうか、ってのがある。写真もそうだけど、非現実的だと言われてもそれであきらめたり辞めていたら、生まれなかった技術はたくさんある。
大金持ちになりないというなら、金持ちになって何をしたいのか問いたい。
毎日汗を流さないでも生活できればいいだけなら、別に金持ちじゃなくても実現できる。もっと具体的に何をしたいのか、どうしてそれを望むのか、はっきりすることが大切なんだよ。それが自分の進む道だ。自分の進む道がわからないから他人のせいにするだけだと思う。自分の道が見えるなら、誰が何をいっても普通はその道をひたすら進む。それには多くの犠牲もでるかもしれない。その選択をいつもしなければいけないときに、自分が何故その道を選ぶのかはっきりしてなければ選択はできないよ。生きるのは他人じゃない。自分だ。だから自分の人生の責任は自分にある。それを決めるのも自分であり、親でもない。孤独は何よりも辛いよ。落ち込んでも誰も慰めてもくれないし、病気になっても看病もしてくれない。これが本来の姿というか、誰かが助けてくれるってのが一般的じゃないと考えて欲しい。
自立というのは自分できるだけやるってことだ。人知を尽くして天命を待て。
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