The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

国際関係に見る大国の傲慢さ

2014-03-01 13:10:57 | Weblog
話し合いによる問題解決より拒否して抗議という選択はより問題をこじれさせる。しかし、大国は自らの主張を正とし反対意見は悪とする。話し合い? 単なる主張のゴリ押しでしかないと、世界の国でも認識していても反論すれば即制裁をくらいかねないから黙ってる。こうやって世界は大国の意のままに時間を経た。

さて、この大国とはどこだろうか。近隣諸国か、否、海の向こうにある近隣国かもしれない。ここにある正義とは、自国の利益のみで、他国の利益などどうでも良い。これに同調するのは、利益を享受できる関係国のみだ。
こうやって世界は二分化し、歴史において紛争の火種を絶やさずにきた。
日本政府はできる限り中立を貫き、恫喝されても沈黙のみで過ごした結果が今に成る。

事実を基本とし、過去の謝罪が見たしてなければ今後の対応すらできないのだが、何故、近隣諸国は抗議するのだろうか。これ以上傷つけないというのは自国民への配慮としても外交上の対象国に捏造かどうか、証拠も本人の証言しかないような捏造の可能性がかなり高い状況で、外交上の対象国を戒めるのは如何なものか。裁判は証拠に基づき、証言の信憑性も審議される。まして外交上の問題ならなおさらだ。密約ならば、何故そうなったのかまで白日の下に引き摺り出す覚悟も必要だろう。つまり、日本国側も傷つく覚悟があればこそ、決断した結果だと思うが。そもそも外交上の歴史をほじくり返すことが双方に利益を及ぼさない、という知恵がない国が火蓋を切ったのだから、相当の覚悟も当然だろう。この騒動は世界中に影響を及ぼす。なにせ、時効がない上に確固たる証拠すら抹消されているぐらい時間も経過している。数百年前の殺人事件を裁判で結審するいうなものだ。しかし、双方の食い違い担っている状況でありながら、双方で納得した内容に異論を唱えられたら、検証するのは当然だろう。

これは日本国側も過去の外交上の問題に対して異論も堂々と発言できる機会にもなる。他国間も同じで数百年前の虐殺、侵略においての異論も抗議さえすればいいという実例にもなる。まさに世界中に紛争の火種を巻くことになる。平和を求めた話し合いは無意味という意味でも、大国のトップは抗議で世界的トップ会議すら出席拒否とうう選択を正当化する。武力衝突までエキサイトして、果たして誰が利益を手にするのか。決して、一般民でないことだけは確かであろう。
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