The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

憲法改正を棚上げや放置という人たちの無責任さ

2014-03-05 18:02:26 | Weblog
戦後、70年を経過しても在日と呼ばれる朝鮮半島出身者との共存は実現できなかった。ならば、彼らは自国に戻って安定した人生を送ることもできたのだが、それもしない。ここに疑問を解く鍵がある。国がまずしいのなら、貧困から抜け出すために民主主義政治であれば、経済成長政策を政治に求める。しかし、他国に滞在する外国人にはできない。これは日本国だけではない。客観的に見ていると、自分たちにとって利益がある国以外には移民もしない。また、滞在する国で自分たちの存在感をアピールするために経済効果なりの組織化活動もしない。
彼らが求めるのは、安全な寝床と食。これが滞在国から与えられる限り、社会への貢献の必然性も移民は意識しない。これが移民政策が失敗した原因だ。法的に違法を探し、移民排除に各国が動くのも、今ではどの国も社会保障の負担率が高くなり、国家予算があっぱくされるからだ。日本も同じなのだが、今だに在日と呼ばれる外国人には特別待遇を与えている。反面、合法的な外国人の滞在者は優遇されない。ここで外国人全てが優遇されるようになれば、労働による経済活動をせず、社会保障による生活維持の外国人がふえるのは当然だろう。
高度スキルのための教育を受けた外国人であれば優遇しようとしても、具体的な策が出てこない。基本が同じであれば違う部分だけの教育を施せば、時間も短縮でき、かつコストもかからない。また、建築関係の現場での作業員だとしてもスキルアップができる人なら優秀な人材だろう。思想が反日であろうが日本で居住する限りは、日本国の法律に従うという誓約書が必要な理由がここにある。もし、誓約に反した行動があれば、速やかに強制国外退去とできる。同時に罰金としての徴収も検討する。特に脱税に関しては永住許可の却下を10年期間とし、刑には服させずに入国拒否でいい。同時にすべての人が税金申告を義務とし、地方税のように翌年徴収という仕組みを廃止する。当月分を翌月に徴収するか、所得税か、消費税に含める。地方自治体は税収範囲のみで生活保護をはじめとする社会保障を賄う。教育費も準じる。過疎地域については、居住地以外に国策も含めて経済的自立を推進する。緑地、治水と必要な公共施設への補助は政府が支援し、運用面においても雇用形態を準公務員とし、外国人雇用の対象を制限する。

日本に必要な人材とは、政治より経済自立および経済利益のための起業を目指す外国人を優先する。投資の場合い、金融投資ではなく、起業および日本人雇用に貢献するビジネスと制限すればいい。雇用においては日本国の法律に準拠させればいい。製造コストが安い国から製品を輸入して、売るだけでもいい。ただし、安全基準、消費者保護は日本国の法律に従ってもらえばいい。外国人を雇用する場合、賃金も日本人と同じにし、かつ健康保険、年金や失業保険も同等の民間企業への加入を義務付け、毎月労働管理局に申請させる。加入している先の支払い証明書も添付させる。こういった管理業務だけでも雇用が増える。退職金は契約社員増加に伴い財形貯蓄を個人ベースで金融機関と契約できるようにし、引き出し期間の制限によって、利子への課税率を変える。つまり、誰もが必ず、何らかの積立をする。年金を掛けてないでも最低限の老後の資金は自己責任とする土台を作る。
こういった仕組みからこぼれた人の受け皿は共同生活で、食と寝床の提供をする。医療についてはか、既存の健康保険料の収めた金額によって適用する疾病を制限する。高度医療は別途保険への加入とする。代わりに一般医療保険の賭け金は安くする。

公務員が怠惰でなければこういった改革は難しくない。法的整備も即用意して適用すればいい。現場のままでは健康保険は老人増加によって破綻するからだ。

移民政策をより充実させるためにも憲法改正は不可欠なのだが、反対する人何を持って変えたくないのかを教えて欲しいものだ。いい加減、現実と未来への変化を想定した憲法改正をじつげんできなければ、日本国の未来は相当暗いと気づいてもいいはずだが。
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