The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本国の未来を本当に政治家に任せられるのだろうか

2012-06-23 09:41:38 | Weblog
経済政策のけすら口にしない政治家ばかりで本当に日本はどうなるんだろうか。景気悪化に伴い国からの金を無心するのに必死な外国人も未だ日本に滞在できているぐらい放任されている。それでも武力衝突が起きないのは日本国民が温厚だからではない。希望がないから不満があっても行動する気になれないだけだそうだ。日本国民が望む国など未来になってもできない、という絶望感は実現した。本来、大陸の大国を含めて、アジア経済をどう発展させるのか、共に利益をどう手にするのかとポジティブな議論を継続しているなら日本国内ももっと活性化していたと思う。体制がどうであれば同じ人間として文化としても理解できる部分もあるのだから、もっと友好関係は築けるはず。だって国が利益を得たとしても、それが国民の利益にならないのは日本も大国も同じだと双方の国民は知っているからだ。ならば、無駄な争いより共に利益になる食料などの資源をどう増やして行き、安定供給するのかと考える方が双方の国民にとっては利益になる。

芸術的にも理解できる国同士、争う理由が本当にあるんだろうか。名誉だとかそんなものを守って本当にみんな幸せになるんだろうか。その例が別な国が示してくれている。何十年も過去の亡霊を引き出して、自分たちの正当性を無駄な金を投じてまで主張する国。彼らはそれが彼らの幸福なんだろう。
しかし、多くの人間は自分や自分の家族、友人と共に食を楽しみ、健康を喜ぶ生活が欲しいと思う。金があっても食もなく健康でもないのなら、それは幸せと言えないだろう。言語が違っても、人間として日々の生活は同じ。家族を失えば哀しいだろうし、家族が増えればうれしい。家族に和が生まれなければ分裂して、新しい家族を自ら築くこともできる。そういった基礎を守るのが政治家の役目のはずが、基礎をシロアリのごとく食尽す不良外国人を放任して好き放題にさせている。それも特別待遇を税金で与えてだ。これに対して、日本国経済や文化に貢献する外国人には特別待遇などない。あるのは特定国出身という身分だけだ。まさに現代の身分制動そのものだ。
自ら変わる努力もせず、かつ和を尊ばないような人間と集団社会を平和に維持することはできない。同じ人間として本当に目指す平和で安全な社会を実現するには本当の平等を目指さないと難しい。その出発点になるのが日本という国の国民なんだが。
日本国民が手をのばし、その手を取り、共に未来に平和で安全な国を実現したい、という気持ちがなければ移民など成功はしない。あるのは古来からの力での統治だろう。そんな未来を誰もが望んでいるんだろうか、と問いたい。また、そういったことすら認識してない政治家に未来を任せていいのか。



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