The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

ゆすり、たかりはテロ行為

2012-06-20 22:40:57 | Weblog
他国にして自分たちの権利ばかり主張し、義務は無視するような外国人にはうんざりする。これは日本国だけではなくどの国でも同じだとしたら、主張する人たちの国とは一体何なんだろうか。こうやって人権が悪用されるから、地球上からいつまでたっても本来の人権が実現できないと感じる。
テロ国家と言われる国でさえ、こんな自己中心な権利を主張し、世界中でわがままを言うことはない。むしろ、彼らの信じる宗教ではそんな我がままは認められない分、ある程度は異文化も受け入れつつ共存共生は可能だ。しかし、一部の派によって、和すら否定した行動としてのテロ行為で被害を受けている人もいる。

日本はもう少しこういった身勝手な国から来た国民と共存共生を模索する国から来た国民を分けて考える必要があると思う。これは差別ではなく区別だ。
そうでなければ日本国民および共存共生を模索する外国人にとっても迷惑を越えて、悪影響を与えるだけに他ならない、と現実を見る目をあけて欲しい。
本当の平等とは、共存共生を目的にすることであり、一部の身勝手な国からきた国民の特別扱いではない。言語、宗教が違っていても、同じ人間という前提があればこんな身勝手こそ、迷惑千万だと誰もが感じる。手を共に差し伸べ、助け合う文化の日本としても、いい加減こういった害を排除する方向へ変わらなければ、共存共生を目的とし、和を尊ぶ日本的価値観に共鳴してくれる外国人は着てくれなくなる。
こういった当たり前のことができない日本という国の政治家はどうしたらいいのか、と選挙民として頭が痛い。なにせ自国民は税金さえ払えばいいだけで、本来主権を持つ国民の生命、財産の保護などどうでもいいのだからだ。戦後、虐げられた日本国民はいい加減うんざりしてきたからこそ、こういった身勝手な国からくる国民を嫌うようになった。やがて憎むようになればどうなるんだろうか。
どんな国だろうが平等という扱うは、既存で生活している自国民や外国人をないがしろにしている、と感じる人が増える危険性を権力で封じることはできない。

また、領土問題を実行支配で実現した外国との外交もいい加減、方向転回しなければ、続いて他国が同じように実行支配による領土問題化を実現するようになる。こういった悪例を放置してきた日本国の政治家をどう躾ければいいのだろうか。自由は好き放題とは違うと誰が教えれやれるのだろうか。
武力によるテロ行為だけではなく、他国からの文化、思想林略の危険性も自分たちは理解しているのだろうか。我慢はいつか爆発する。主張はしなければいけない時期を逃せば、言う機会は二度とこない。ゆすりやたかりを国規模で実行するのはテロではないだろうか。

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