ブログ 「ごまめの歯軋り」

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平成経済 衰退の本質

2021年04月25日 | 時事問題
京都市中京区麩屋町通三条上がる 「旅館 柊屋」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第3章 転換に失敗する日本 (その1)

② 周回遅れの「新自由主義」

2000年代前半の小泉首相の「構造改革」は周回遅れの新自由主義であった。市場原理に任せることで経済が成長するというシンプルなスローガンであった。2003年より構造改革特区が始まり04年に道路公団などの特殊法人が民営化された。そして郵政民営化は大波乱があったが、小泉首相は解散総選挙で「小泉劇場」選挙(観客民主主義)に勝った。そして小選挙区制度では、自民党本部の公認が得られないと当選できないため、旧派閥は没落しタカ派が主流になり、かつ当選第一に有利な地盤・看板を引き継ぐ2世3世議員の比率が高まった。そして自民党内部では派閥色が薄れ多様性を失った。経済政策としての規制緩和、構造改革によって経済成長は実現しなかった。小泉政権の雇用規制緩和や社会保障費削減は格差を一層広げ、地域はますます格差が広がり(東京1極主義)弱体化した。外交的には小泉首相はブッシュの大義なき対テロ戦争に関与し、自衛隊海外派兵の道を開く法案が目白押しに成立した。小泉政権では竹中平蔵経済再生財政相が金融危機対応にあたった。97年の金融機関の経営破綻には公的資金が投入されたが、金融危機は収拾せず政府系金融機関の一時国有化がなされた。99年竹中ら経済戦略会議は、銀行経営者の責任を3年間棚上げして申請方式で公的資金の注入(7兆4500億円)が行われた。2002年10月に金融再生プログラムが作成され、ようやく10年遅れで不良債権の厳格な査定とりそな銀行と足利銀行の国有化、そして公的資金投入となった。こうして公的資金は12兆4000億円がずるずると注入された。結局48兆円もの公的資金が注入されたが、経営者はだれも責任を問われるものはいなかった。そして大手銀行は「三大メガバンク」に再編され大きくて潰せない状況を作り出した。財政出動に加えて金融緩和もエスカレートし、ついに99年にゼロ金利政策が導入された。日銀としてはこれ以上金利政策は取りようがないので、政策目標を金利から、民間銀行が日銀に預け入れる当座預金残高という「量」に変更し、市場に潤沢な資金を供給する「量的金融緩和政策」に転換した。

小泉首相の「構造改革」は結局なにも新しい産業は生まなかった。それどころか規制改革会議のメンバーは「改革利権」をあさった。国家戦略を欠如した成長政策はIoT、ICTといった情報通信産業の発展に乗り遅れ、労働規制緩和によって若い労働力の使い捨て、キャリアーづくの機会を奪った。大学予算を毎年1%ずつ削り、研究者の有期雇用を進めた結果、基礎研究と基盤技術開を弱体させた。小泉政権は長期化したが、2008年のリ―マンショックではその経済の脆弱性が露呈した。直接サブプライムローン関係証券を買っていないにもかかわらず、先進諸国間で一番GDPの落ち込みが激しかった。小泉構造改革の最大の弊害は年金制度の切り下げであった。「三位一体改革」という名で行われた地方自治体の予算削減は地域経済を疲弊させ、地方から若者がいなくなった。診療報酬改定で3回連続の引き下げが行われ、中小市町村の中核病院は大きな打撃を受けた。赤字が拡大し、大学医局から派遣されてくる医師の引き揚げによって経営が成り立たなくなった。地方交付税削減政策が続いたため自治体の財源不足から病院の赤字補填も出来なくなった。こうして地方の中核病院は閉鎖され、統廃合、民営化、診療所への格下げなどに追い込まれた。2025年までに政府はベット数を最大20万床減少させ、30万人を自宅や2000年から始まった介護保険の介護施設へ移す計画である。要介護3以上でないと特老ホーム施設への入所が認められなくなった。欧州では1990年代に財源と権限を地方へ移す地方分権改革が行われたが、日本では10年遅れの改革でも、財源も権限もない改革に終わり、予算削減に伴う「改悪」だけが目立った。これはずるずるしたバブル処理のための公共事業政策に地方財政が動員されたためである。小泉首相の「三位一体改革」という地方財政改革は、①国から地方へ財源を移す、②国庫補助金を削減する、③地方の自主税源が増えた分だけ地方交付税を削減することであった。欧州では地方分権化の流れに沿って地方税源を充実させるものであったが、日本ではこれに財務省の予算削減だけが目立った財政再建「改革」に終わってしまった。国の所得税の10%を減税し、その部分を地方の個人住民税に10%上乗せする形であったが、3兆円の財源移譲は2006年まで行われなかった。その一方で国庫補助金は4.7兆円削減、地方交付税は5.1兆円も削減された。その結果2004年地方財政危機がもたらされた。これは国の地方に対する約束違反もしくは「詐欺」である。こうして夕張市が財政破綻した。この地方財政危機を背景に市町村合併が推進された。「平成の大合併」である。3213あった市町村は2010年には1727と半数近くまで減少した。その結果国の地方財政管理を強め「財政健全化指標」が課せられた。国の約束違反の結果を地方の財政放漫にすり替えたデマゴギーである。こうして地域の格差が拡大した。

(つづく)





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