ブログ 「ごまめの歯軋り」

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平成経済 衰退の本質

2021年04月19日 | 書評
京都市東山区 「宮川町 歌舞練場」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第2章 グローバリズムから極右ポピュリズムへ  (その1)

① グローバリズムと「第三の道」-1990年代の錯綜 (その1)
この30年で経済政策の裏にある政治イデオロギーと政治構造はめまぐるしく変わった。1990年代初め不動産バブルが崩壊したと同時に、旧ソ連と東欧諸国では社会主義体制が崩壊した。バブルが崩壊したにもかかわらず、「新自由主義」イデオロギーに基づくグローバリズムが世界中で猛威を振るった。それはリーマンショックに行き着き、極右ナショナリズムとポピュリズムを産み落とした。「米国第1主義」によっていまや第二次世界大戦後の国際的枠組みは傷つき、民主主義や人権も脅かされている。「グローバリゼーション」とは情報通信技術と結びついた金融自由化を軸に展開されたのである。英国首相サッチャーは石油ショックによる国際流動性不足の顕在化に対処するため、為替管理を撤廃し外貨で取引できるユーロ市場を拡大した。さらに1986年サッチャーは金融ビックバンを実行し、取引税を引き下げ外資系資本に取引会員権を開放し、コンピューターを導入した。こうした金融自由化が世界の潮流になると、ドルが再びアメリカに還流するようになった。ドルの基軸通貨制で経常収支が赤字でもドルで決済できる「通貨発行特権」を独り占めした。アメリカの対外純債務残高は2018年には10兆ドルと積み上がった。こうした「過剰ドル問題」は実体経済を離れ金融だけが肥大化していった。過剰ドルは投機的に世界中を駆け巡り、開発途上国を金融危機に陥れた。これが「バブル循環」となり、世界中で不動産バブルを引き起こした。1980年代末の日本の土地バブルは深刻であった。1990年後半のITバブルという株バブルとなり、2000年代半ばには住宅バブルが起きた。交替で不動産と株のバブルが10年おきに発生したが、だれも金融危機を予測できなかった。

バブルが発生すると大量の不良債権が発生し、金融危機が引き起こされる。そして政府と中央銀行は金融機関の救済に乗り出す。これの繰り返しが「バブル循環」である。中南米諸国への不動産バブル貸付金が急速にアメリカの金融機関の危機を招き、アルゼンチン、ブラジルの債務危機にはINFが介入して債務返済を援助した。1990年代はアメリカの金融機関が国内外に不良債権を抱えて危機となり、新たな証券化手法が開発された。銀行の不良債権処理の過程で金利の低下が進んだため、人々の証券投資(信託)志向が盛んとなった。銀行の貸付業務も中南米の不良債権化を危惧することから、売り抜ければ済む証券化に拍車がかかった。こうして投機マネーは世界中を席巻し、1990年代には何度も国際通貨・金融危機が繰り返された。1992年欧州通貨危機→94年メキシコ危機→95年アルゼンチン危機→97年東アジア通貨経済危機→98年ロシアのデフォルト危機→中南米諸国への波及であった。証券取引所の監督が及ばないヘッジファンドが世界を駆け巡った時代であった。ドル以外に有力な基軸通貨が尊座しない世界では、各国は外貨準備にドルを用意せざるを得ず、ますます「ドル本位制」とならざるを得なかった。アメリカは何もしなくてもマネーフローが流れ込む金融帝国となった。そしてアメリカに投機マネーが向かい、ITナスダックバブルとなった。そのITバブルも崩壊した。1990年代後半、アメリカではルービン財務長官の下金利規制が外され、銀行と証券の業際規制(グラス・スティーガル法)が一部外された。2000年に入って銀行も証券会社も子会社を作れば相互の分野に乗り入れられることになった。SECやFRBの監督が及ばない「影の銀行システム」が形成された。銀行は傘下に投資ビークルSIVを作り、証券会社は傘下にヘッジファンドを作って住宅ローン担保証券などのロス句を組み合わせた証券化商品を扱った。こうして貧困者向けのサブプライムローンが含まれていても分からないまま住宅バブルが膨らんだ。当時はグリーンスパンFRB議長の「バブルは金融政策でコントロールできる」という神話を信じた時代であった。しかし2008年住宅バブル崩壊はリーマンショックを引き起こした。

(つづく)