ブログ 「ごまめの歯軋り」

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平成経済 衰退の本質

2021年04月14日 | 書評
京都左京区大原 「大原女 撮影会」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

第1章 資本主義は変質した  (その1)

① バブルを繰り返す時代へ (その1)
2019年5月1日で平成時代(1989-2019の30年間)は終わった。その間に資本主義は大きく変わった。10年おきにバブル崩壊が起きており、仕組まれた「バブル循環」である。1987年のブラックマンデー、1997年の東アジア通貨危機、2007年のパリバショックと続くリーマンショックである。昭和の戦後の時代は復興と高度成長の時代であったが、バブルは不動産を中心に1980年代におこり、平成の始まりと期を合わせたかのようにバブルは崩壊した。本格的な不良債権処理を怠ったため、1997年には北海道拓殖銀行、山一證券などが経営破綻する金融危機に陥った。どうしてバブル循環になるのだろうか。国際通貨制度は変動相場制の下で、不況時には金準備高に縛られて貨幣発行が縛られるため経済の縮小を招きやすい。そこで1971年アメリカのニクソン大統領の「新経済政策」によって、金とドルの関係が断ち切られ「紙幣本位制」(管理通貨制度)に移行した。「紙幣本位制」になると実物経済との連動根拠を失うので、通過発行量に関して歯止めを失いがちとなった。それはバブル依存症を生みだす原因となった。アメリカはドル基軸通貨の強みを生かして、産業資本主義から金融資本主義に重心を置いた。景気循環は、財やサービスの生産・取引の実体経済が主導する景気循環から、80年代後半には株や土地住宅価格や金融商品が主導するバブル循環へ変質した。大量の貨幣が向かうところバブルとその崩壊が仕組まれるのである。政権は選挙戦を戦うためにバブル景気感を煽りやすい。だが政府と中央銀行の信用がなくなれば紙幣の信用もなくなる。したがって1990年代の中央銀行は政府と距離を置いて「独立性」を保った。その中心がFRBのグリーンスパン議長の金利政策であった。しかし2008年9月のリーマンショックを契機にして、中央銀行の「独立性」も失われ、アメリカのFRB、欧州のECB、日本の日銀の政策金利はゼロとなり、マイナス金利を適用するに至った。

変動相場制の下では中央銀行は金融緩和政策を取って為替レートを切り下げることができる。そして第2次世界大戦前のように為替レートを意図的に切り下げ自国の輸出に有利に動くものである。それが各国の為替切り下げ競争にならないように、G7という先進国の協議体が形成された。アメリカは、通商代表部が各国と協議して、貿易収支の不均衡を政治的に調整する仕組みを作った。日本に対しては、86年日米半導体協定でダンピングを防止し、91年には2割の外国製品輸入割当が義務付けられた。これを契機に日本の先端産業は国際競争力を失った。90年代金融自由化がはじまると、金融革新によって当局の規制が及ばない決済手段や信用システム・証券化が創造されバブルが膨らんでゆく。リスクを回避する金融派生商品が生み出され、グローバルな規模で資金移動が激しくなった。世界中を投機マネーが走り回る「カジノ資本主義」時代となった。証券化手法は逃げ足が速いので世界中を通貨危機が襲うようになった。92年欧州通貨危機―94年メキシコ危機―95年アルゼンチン危機―97年東アジア通貨経済危機―98年ロシアのデフォルト危機となった。21世紀になるとアメリカでは、当局の規制の効かない「影の銀行システム」投資グループによって証券を使ってレバレッジ(梃子原理)を利かす手法が生まれ、長期の住宅や自動車ローン証券を切り刻んだ証券化商品が、バブルを膨らませた。住宅バブルが崩壊してリーマンショックを発生させた。救済策にFRBが住宅ローン担保証券を大量に買い込んだ。決済機構の中枢が不良債権に侵されると、それを救済するためにゼロ金利政策に踏み切り大量の国債を中央銀行が買う「ありえない金融緩和政策」を実行せざるをえなかった。

(つづく)