ブログ 「ごまめの歯軋り」

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平成経済 衰退の本質

2021年04月13日 | 書評
京都御所 「葵祭 皇女勅使」

金子勝 著 「平成経済 衰退の本質」 

岩波新書(2019年4月)

序にかえて

② 金子勝・児玉龍彦著「日本病 長期衰退のダイナミクス」岩波新書2016年  (その5)
これ以上の金融緩和策効果は全く期待できない。官製株価相場に年金基金をつぎ込んでいるため、新規の融資を行う余裕はない。実質賃金は上がっていないので国内市場は期待できない。インフレターゲット論に従って物価上昇に期待しているが、唯一の株高が崩れると、日本経済を再び大きく落ち込ませる。戦争やハイパーインフレだけがリスクではない。日本国家が破産するというソブリンリスクも起こりかねない。こうして1000兆円を超える国債価格に低下が始まり、長期金利が上昇する。国債返済で国家財政は破綻する。福祉・公的医療が維持できなくなり、国民負担が上昇しさらに投資が減少する。外国へのインフラ投資に依存する輸出策が重視されているので、海外のショックは事態を悪化させる。制度やルールに関する軋轢が始まっている。TPPでアメリカのルールに協力している日本の選択肢は狭い。そしてアメリカの戦争の下請けとなって武器輸出をするしか道は残されていない。米国や中国の圧倒的な軍事力に勝てない日本に戦争を起す力はない。結局日米安全保障枠内で、中東での米国の戦争の下請けということになる。そして国内でテロの発生を見ることになる。アベノミクスは政治的にはマスコミ支配を通じて不安定な独裁政権を目指すことになるだろう。これは安倍政権の強さではなく、脆さにつながり早晩政権崩壊は必至である。 異常な金融緩和と硬直化する財政赤字の下で、格差が固定し社会基盤の解体が進んでいる。社会は深刻な亀裂と不安定に直面している。それを防ぐには格差や差別ではなく「共有」を基礎とする新しいルール作りが唯一の解決策である。年金と健康保険制度の一体化、社会保障を普遍的制度に統一すること、地域単位での子育て、社会参加を目指す雇用創出などの制度設計が求められる。そのためには地方に財源と権限を委譲することである。雇用制度と同じように産業政策の基本は地方の問題である。「逆東京問題」である。東京だけに建築ラッシュが起こり、東京オリンピックをやることはむしろ日本経済の衰退を加速化させるのである。東京で労働の集約を行い地方が過疎になり、東京のための発電所や基地を地方が負担するジレンマを解消しなければならない。いわゆる迷惑施設の地方への集約が、沖縄基地問題や福島・刈羽崎原発の過密化を招いた。東京への膨大な人口の集中は、雇用機会を失った若者が東京に吸い寄せられ、東京は若者の生活に不安定と困窮と過重労働を強いて、子どもの特殊出生率を最低にし、少子高齢化問題を悪化させた。TPPで農業破壊を進めて補助金漬け農業で保護し、不良債権化した原発の再稼働、原発輸出産業に東芝・日立・三菱といった電機・重工業メーカーを追いやる政策は長期衰退の速度を加速させるだけである。むしろ地域分散ネットワーク型の産業社会を目指さなくてはならない。安倍政権はマスコミ対策に強権を発揮し情報を歪めている。こうしたデータ操作・マスコミ支配は後進国の独裁政権のような出口のない政策を暴力的に進めることに他ならない。出来上がるのは戦前の大政翼賛会か大本営発表のような閉鎖的なタコツボ社会であろうか。国際的には安倍政権は「極右」として評価されている。科学を自然科学と人文科学に分けると、次の時代の価値を予測するには優れて人文科学・社会科学的な人間把握が必要である。歴史、倫理、哲学と美術、言語学や教育学が大きな要素である。フィッシャー統計は分散したデータを扱い危険率を設定して仮説の妥当性を計算するが、内部構造を持つものは正規分布には従わない。設問の分岐点の設定次第で決まるデータのねつ造はアンケート世論調査では常態化している。人間生活のための産業構造の転換は、理系人間のスペック(仕様)思考では限界がある。物と情報の結びつきはもっと人間的で、現場的であり当事者主権の予測の科学でなければならない。アベノミクスは歴史修正主義ノスタルジアに基づき、時代遅れの自己中心の愛国主義しか中身がないため、本質はファッシズムであり、人文科学を敵視する。文科省の「人文・社会系学部の削減統廃合」案は笑ってすまされない、まさにファッシズムである。歴史の全体をバイアスなしに経験として捉える文化が「日本病」の出口である。人の数だけ推論サイクルを繰り返すのが民主主義の根幹である。それがベイズ推定によって無秩序にならないで収斂するやり方である。アベノミクスはすでに危険水域にある。

(つづく)