ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦著 「集団的自衛権とは何か」(岩波新書)

2015年07月20日 | 書評
集団的自衛権という日米安全保障体制の強化はさらに日本を危険な道に誘い込む 第4回

第1章 憲章51条と「ブッシュ・ドクトリン」

 安倍氏の「美しい国へ」には国連憲章第51条には個別的自衛権と集団的自衛権が定められている。だから日本も自然権として集団的自衛権を有するのは当然だと述べている。国連憲章第15条を見ると、「国連加盟国に武力攻撃が発生した場合には、安保理事会が何らの措置を取るまでの間、個別的自衛権または集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」と規定されている。安倍氏に理論的影響を与えたといわれる拓殖大学の佐藤教授は、個別的・集団的自衛権の権利は固有の権利というのはそれが自然権とになすことである。犯し得ぬ・奪い得ぬ権利として個別的と集団的自衛権を定めた国連憲章は画期的であると絶賛する。果たしてそう読めるのだろうか。そのために国連憲章成立のいきさつをみる。1944年8月米英中ソ4か国は国連憲章の基礎となるダンバートン・オークス提案をまとめた。そこには「武力行使の一般的禁止」と「いかなる強制行動も国連安保理事会の許可がなければ、地域的にとってはならない」と述べられている。ところが1945年2月のヤルタ会談において常任理事国に拒否権が認められたため、安保理事会が機能しない場合が想定された。そこで4月のサンフランシスコ代表者会議で安保理が機能しない場合には自衛権を発動することが可能となる憲章第51条が導入された。こうして個別的自衛権は認められることになったが、米国修正案により個別的自衛権と集団的自衛権とを明確に峻別し、後者の集団的自衛権には個別的自衛権以上の厳しい縛りをかけることとなった。イギリスとフランスは戦争に訴える権利を確保したい考えであったが、米国案は完全な行動の自由は国連を破壊するとして、「固有の自衛権」は安保理の行動を前提とした自衛権であり、その発動は武力攻撃の場合に限定され、国家がとりうる行動の自由は制限されるとした。そしてソ連は「安保理が必要な措置を取るまで」という文言を挿入した。こうして憲章第51条が生まれたわけであるが、原則として紛争の解決手段としての武力行使(交戦権の否定)は禁止され、武力攻撃が加えらた場合に限り国連が必要な措置を取るまでの暫定的権利として個別的自衛権と集団的自衛権が認められたのである。「犯し得ぬ・奪い得ぬ権利として個別的と集団的自衛権」と言った「自然権の概念」は全く否定されているのである。安倍氏・佐藤氏はどこをどう読み違えたのであろうか。日本の平和憲法第9条にも通い合う精神である。戦争をする権利(自然権)を否定し、紛争解決は国連安保理事会が行い、加盟国は自国に武力攻撃が加えられた場合に限り、国連が機能するまでの間には、個別的自衛権と集団的自衛権を認めると読むべきものである。1984年米国レーガン政権がニカラグアを攻撃した事件に対して国際司法裁判所は「米国の集団的自衛権の行使であるとの主張は正当化されない」と判断を下した。1979年ソ連のアフガニスタン侵入なども集団的自衛権の濫用であり、大国による集団的自衛権の濫用が横行している。次にブッシュ政権のイラク戦争、イスラエルのオシラク空爆などに見る「自衛権」概念(論理)を検証する。

 政府の集団的自衛権の定義は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず実力をもって阻止する」ことができる権利とされている。ここで自国と密接な関係にある外国とは戦後の歴代政府にとって安保条約を結んでいる米国のことである。とすれば日本が集団的自衛権を行使する相手国の、現在の米国のブッシュ政権(本書が書かれた2007年段階で)がいかなる自衛概念を持っているのだろうか。そこで2003年のブッシュのイラク戦争が参考になる。イラク戦争の正当化の根拠は国連安保理決議678「イラクはいかなる大量破壊兵器も使用、開発、入手してはならない」(1991年4月3日)と、同決議1221「大量破壊兵器の武装解除の義務に違反するなら、重大な結果に直面する」(2002年11月)などである。しかしブッシュは「安保理決議案に拒否権を行使すると表明する国がある。国連安保理は責任を全うしなかった。それゆえ我々の責任において立ち上がる」と言明した。ここでは憲章51条の「武力攻撃の発生」も「差し迫った脅威」も前提とはされていない。行動するのが手遅れとなる前に、危険を排除するという「予防戦争」(先制攻撃論)である。こういう自衛権概念は2002年9月20日の「米国の国家安全保障戦略(ブッシュドクトリン)」で展開された概念である。「ならず者国家」、「危険な人物」、「狂人」やテロリストといった従来の用語にはない情緒的な概念で戦争が起せるとした。その先駆をなす例は1981年6月7日のイスラエルによるイラクのオシラク原子炉空爆である。国連で激しい議論が交わせられイスラエル代表は「自己保存のための固有かつ自然権としての自衛権の行使である。イラクは1980年半ばまでに核兵器を製造する能力を獲得するだろう。フセイン体制は残忍で無責任で破廉恥で好戦的である。イラクが核兵器をもてばイスラエルにとって重大な危険が生み出される」から原子炉を破壊したという論理を主張した。こうしたイスラエルの先制的あるいは予防的侵攻に対して各国から非難が出され、「武力不行使の原則」を破った国連憲章第2条侵犯行為であるとした決議を全員一意で採択した。自衛権の無制限な拡大解釈が横行する状況で、アナン国連事務局長は2005年3月国連憲章の根本的な再検証を行い、「アナン報告」がまとめられた。国連憲章第51条は変更する必要はないことを確認した。ブッシュ政権の自衛権概念が、国際法レベルで論理的に否定された。むしろブッシュ・ドクトリンが「核の拡散」ならぬ「先制攻撃の拡散」をもたらす現実的な危険性にあった。中国は2005年3月の「反国家分裂法」において、平和帝再統一の可能性が潰えた時に台湾を非平和的な手段で併合する、つまり先制攻撃を明言している。このようなテロに対する先制攻撃論の自衛権概念であるブッシュ・ドクトリンに従えば、日本は国家でない集団(テロリスト)に対する先制攻撃に否応なく巻き込まれるのである。日本も先制攻撃に加わるのかという議論はなされていない。

(つづく)