ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦・古関彰一著  「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書)

2015年07月06日 | 書評
集団的自衛権の憲法解釈変更の閣議決定は日本の安全につながるのか 第8回

第1部 「集団的自衛権」症候群 (豊下楢彦)
第1章 今 「集団的自衛権」とは (その2)


 2014年5月の安保法制懇の報告書は、「尖閣問題」をめぐって日中関係がかくも先鋭化したのかということの分析がなされていないし、2003年ブッシュ政権のイラク戦争の総括が全くなされていない。確かに1990年代のアメリカ帝国論に象徴される湾岸戦争では飛びぬけた戦力を持つアメリカを中心とした多国籍軍の優勢さは、2003年のイラク戦争には見られなかった。そもそもアメリカの予防戦争的なもので戦争の動機が不明であったこと、フランス・ロシア・中国などの反対でアメリカ1国とその寄せ集め同盟軍が戦争に突入したことや、唯一の動機と言われる大量破壊兵器は虚構であったことから、アメリカの戦争に正当性は見いだせない。何よりもその間の「パワーシフト」つまりアメリカの総力の総体的衰退が歴然とした戦争であった。ブッシュ大統領の強がりにもかかわらず、アメリカの指導性の弱体化が露呈しただけの戦いであった。戦費は約4兆ドル(約400兆円)に上るといわれ、これがまたアメリカ帝国のボデーブローとなって急速に国力が低下した。この間に中国の国力が急上昇したのである。このアフガニスタン戦争とイラク戦争から「深刻な教訓」をくみ出していないのは、アメリカのブッシュ大統領のみならず、日本の安倍首相である。又報告書および各自決定文書にはいわゆる「駆けつけ警護」という聞きなれない「おっとり刀を掴んで」式の言葉がある。国連PKOなどにおいて自衛隊が、他国の部隊を支援するために行う武力行使である。イラク戦争では造水任務を引き受けた自衛隊は他国の駆けつけ警護を受ける立場であった。ところが自衛隊が行けるところは「非戦闘地域」に限られるのに、自衛隊は迫撃砲の攻撃を受けた。これ自体がイラク特別措置法違反であり憲法9条違反である。そんな危険な場所に入ってはいけないのである。この時点で自衛隊は撤退しなければならないのに、自衛隊は2万4000人近い米兵の輸送活動に独断で従事していた。現地から見ると自衛隊は米軍と一体化していた。砲撃を受け?危険は十分予測されたはずである。自衛隊という軍隊の独断専行は何時ものことである。2010年オランダはイラク戦争を「国際法違反」と総括した。正義はアメリカにはないというのだ。2004年アメリカの調査団はイラクに大量破壊兵器はなかったと調査報告書を提出した。イギリスでは2009年独立調査委員会が設置された。中東の最大の不安定要因はイスラム原理主義者にあるというより、世界の孤児イスラエルのNPT不参加とイランへのミサイル攻撃の可能性にある。そこからイランによるホルムズ海峡封鎖という戦術も出てくるのである。安保法制懇の報告書は、最小必要限度の自衛権はの中に個別的自衛権は含まれるが、集団的自衛権は含まれないとする政府見解を変えようとするもので、最小必要限度の集団的自衛権の行使も含まれると強引に解釈したいのである。1972年度の政府資料も1981年の政府答弁書も「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」との見解を明示している。曖昧な国際情勢の変化を理由に憲法解釈が内閣の手でなされていいものだろうか。主権者たる国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹にかかわる侵害行為である。そんなご都合主義なら政府交替の度に憲法解釈が変わることになる。日本の場合憲法9条を前提に自衛隊が保持できる装備は「自衛のための必要最低限の実力」に限られ、大陸間ミサイルや長距離爆撃機や輸送機はいかなる場合にも保持は許されない。つまり攻撃的兵器の不所持の原則は、集団的自衛権を行使しないという原則と表裏一体である。2004年秋山内閣法制局長官は、「必要最低限度の範囲」とは数量的な裁量概念ではなく、集団的自衛権は我国に対する武力攻撃という自衛権行使の第1要件を満足しないと明言した。つまり質的に要件を満たすことであって、「ほんの少しならいいじゃないか」という馴れ合い概念ではないということである。憲法96条(憲法の改正にはっ両議院の2/3以上の賛成が必要)の改定によって、改憲をやり易くするという96条改定論はやはり憲法改正になるので2/3以上の賛成が必要である。これを法律でどうこうできるわけはない。安倍首相らはとても憲法改正ができるとは思えないので、姑息な手段であるが内閣決議という身内の裁量で決め、漸次法改正で実体化する道を選択したと思い込んでいる。これはますます憲法の法理論を不安定化する(いわゆる憲法の骨抜き・形骸化)に他ならない。安保条約は日本の施政下にある領域に対する武力攻撃を対象とし、日米の共同対処を決めたもので、最初から日本の領域外での集団的自衛権問題とは無縁であった。アメリカにとって最重要のものは条約第6条の基地使用権限であり、この使用条件をきめてるのが「日米地位協定」である。1951年の旧安保条約じゃ、極東条項に加え、日本には米軍に基地提供の義務があるが、米国には日本防衛義務はどこにも書かれていない。文字通りの不平等条約であり、片務条約であった。沖縄を犠牲にしてなった独立であった。60年安保改定では米軍の動きにチェックをかける「事前協議制」(核搭載艦寄港を含む)が設けられたが、一度たりとも「事前協議制」が発動されたことはなかった。つまり原稿安保条約では集団的自衛権の棚上げと極東条項の堅持が2つの柱であったTぴえる。なかでも焦点は、全土基地化と自由使用という占領条項を具現化した日米地位協定にあった。沖縄と横田基地が安保条約の占領事項を象徴している。横田空域は首都圏全域を含み、民間航空機はこの領空を自由に飛ぶことができないのである。これでは日本は独立国ではない。

(つづく)