ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦著 「集団的自衛権とは何か」(岩波新書)

2015年07月19日 | 書評
集団的自衛権という日米安全保障体制の強化はさらに日本を危険な道に誘い込む 第3回

序(その3)

 2005年10月自民党は結党50周年を迎えるにあたって、新憲法草案を発表した。問題の第9条は「戦争の放棄」を放棄し「安全保障」の変更し、9条第2項では「我国は自衛軍を保持する」、「自衛軍は国際的に協調して行われる活動を行うことができる」と書かれている。「集団的自衛権」は自民党内でもまだ議論の余地が残る課題であった。2006年に首相となった安倍氏は早速集団的自衛権の行使に向けて「有識者懇談会」を設けるなど、戦後初めて集団的自衛権を政策課題とした。安倍首相は「美しい国へ」(文春新書)において、戦後体制からの脱却を唱え、憲法改正、集団的自衛権の行使をできるようになって日米の「対等」の関係を目指すとした。集団的自衛権という問題に対する歴代政府の見解は安倍氏の夢に大きな障害となっている。1972年10月田中角栄首相は社会党の質問に答えるため、参議院決算委員会に次のような政府見解資料を提出した。まず集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず、実力以て阻止すること」と定義した上で、国際法の上では日本も集団的自衛権の権利を有しているとの立場を明らかにした。憲法9条は戦争を放棄し、戦力の保持を禁止しているが、個別的自衛権の行使は認めていると解釈した。しかし自衛のための措置は無制限に認めているとは解されないとしてその行使には厳格な制約がはめられていると強調した。そして「我国の憲法の下で許されるのは、我国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られ、他国に加えられた武力行使を阻止するためのいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」とはっきり述べた。つまり「国際法上保有するが、憲法上行使は不可」というのが今日に至る政府見解の原点である。1981年5月鈴木善幸首相は答弁書において、集団的自衛権の行使はできない旨を明示した。ところが安倍氏は「美しい国へ」という本のなかで「権利があっても行使できないという論理はいつまで通用するのだろうか」という疑問を出した。この論はいわゆるもっともらしく見える俗論であって、国際法の京都大学浅田教授や東京大学の大沼教授らは次のように論駁した。「権利を保持する能力と権利を行使する能力というのを峻別することは、法律学では常識である。それ矛盾だという方が意味が全く理解できない。」と述べている。2004年安倍氏が幹事長であったときの集団的自衛権の行使に関する質問に、秋山内閣法制長官は次のように答えた。「国家が国際法上有して権利は、憲法や国内法によってその権利の行使を制限することは有り得ることで、法律論として特段問題があることではない」、「我国に対する武力攻撃が発生していない状況では、外国のために実力を行使することは我国への攻撃が発生している条件を満たしていないため自衛権の行使ではない。自衛権行使の3条件という制約においては、最小限とかいう数量的な概念で許容するという問題ではない」とはっきり否定した見解を示した。本書は徹頭徹尾、第1次安倍政権の「集団的自衛権」批判であり、日本が米国戦略に完全に巻き込まれる危険性への警告である。

(つづく)