ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 豊下楢彦・古関彰一著  「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書)

2015年07月10日 | 書評
集団的自衛権の憲法解釈変更の閣議決定は日本の安全につながるのか 第12回

第2部 憲法改正と安全保障 (古関彰一)
第1章 憲法改正案の系譜


 いつまでも戦後ではないという気持ちは長い歴史を持つ。中曽根首相は「戦後政治の総決算」を掲げ、今安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を訴える。が簡単には戦後は終わらない。まず日本からアメリカ軍の基地を全部撤去しなけれ独立国とは言えない。ということは当分ありそうにない。平和国家は保守陣営から非難の的になっている。過去69年間つまり1945年8月16日以来日本は戦争をしていない希有な国である。まさに世界遺産である。ノーベル平和賞を5回くらい貰っていい国家である。戦後に何を終わらせなければならないのか、何を終わらせてはいけないのかそこをじっくり考えてみよう。政府自民党からは平和憲法と戦後は脱却しなければならない対象である。憲法はアメリカから「押し付けられた」という言説が後を絶たないが、アメリカ政府あるいは国務省が憲法改正案の作成に関与したという事実はない。憲法改正案の原案は連合軍GHQの手によるものであり、GHQの事情で急遽作成された。幣原喜重郎首相は「天皇制は連合軍では非常に分が悪い。せめて象徴性として残れば後はどんな要求も受け入れる」という態度であった。マッカーサーのGHQの憲法草案をもとにした政府憲法案には当時の2大政党である自由、進歩党は原則賛成を表明し、帝国議会では全員一致で可決された。憲法学者の美濃部達吉氏だけは枢密院顧問として反対した。当時の政治家はGHQとの力関係に戦わずして敗北し、憲法論議にはならなかったという。GHQと交渉に当たった幣原喜重郎首相も吉田首相も新憲法を押しつけとは見ていない。「押しつけ憲法論」が出てくるのは1954年占領軍が撤退してから、自由党を中心に保守政党が憲法改正を志向し始めたといえる。鳩山一郎氏や岸信介氏が改憲を唱導し「押しつけ」を叫んだ。マッカーサーは権力を持たない象徴としての天皇制と引き換えに、日本が2度と戦争をしない国家になる保障として「戦争放棄」第9条を定めたのである。マッカーサーは日本の再軍備を目指した米国務省と国防省に対して、「沖縄を要塞化すれば日本本土に軍隊を維持する必要はなく、日本尾安全は保障される」と述べたという。つまり第9条は沖縄の犠牲の上になっているのである。ここに日本の無力化が実現したのである。マッカーサー構想とは、天皇に戦争責任があると考えていた連合軍を納得させるため、無力な天皇と戦争放棄(戦力の不保持)を宣言したのである。日本国憲法の3原則とは①国民主権、②人権の尊重、③戦争放棄であるといわれるが、それはそれで正しいとしても、マッカーサー構想は少しニューアンスが異なっていた。「徹底した平和主義を掲げたことによって、天皇制が残り、沖縄の要塞化ができたというべきであろう。」 1955年自由党と民主党が連合して自由民主党ができ、左右社会党も統一して、いわゆる「55体制」が始まった。憲法論議で見ると「改憲か護憲か」という対立軸となった。自民党は改憲を志したが選挙結果から改憲は不可能となった。これが自民党のトラウマとなって今も後を引いているのである。1956年岸信介の提案で「憲法調査会」ができたが、社会党が脱退し長期間の論議となった。1964年に最終報告書がだされたが、意見は一本化できず両論併記という形になって終結した。自民党は何度も改憲を叫んできたがその骨子は①軍隊の合憲化、②人権制限、③天皇制強化であり、これを「改憲原理主義」と呼ぶ。それからすでに50年近くが経過し、2012年自民党は再改正案を発表した。恐ろしいような内容であるが、「平和の裡に生存する権利」が削られ、「和を尊び」とかいう17条の憲法が挿入されるようない時代感覚にはびっくりする。個人より共同体を優先する国家主義への回帰が述べられている。それにしても歴史観が喪失している。「美しい日本」と言った情緒的な言葉、「和の精神」と言った時代錯誤の道徳観の持ち込みなど読むに堪えない憲法前文である。そしてもっと恐ろしいのは人権に留保条件が付けられ、公益・公の秩序が優先するという。言論の自由は無条件であったが、改正案では法律の許す範囲内という留保がついている。戦前の検閲や治安維持法に戻るつもりなのであろうか背筋が寒くなる。自民党の改正草案は人権規定を「戦前レジーム」に戻すものである。「家族は助け合わなければならない」という表現も道徳なら構わないが、これが家族を助ける義務があるとするなら福祉の切り捨て、家制度の復活となる。

(つづく)