ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

漢詩  「歳 晩」

2006年12月29日 | 漢詩・自由詩
詩材吟苦白頭     詩材吟苦す 白頭翁

酒債無心半酔     酒債心無く 半酔の中

燭尽奇寒燈欲凍     燭尽き奇寒 燈凍らんと欲す

鶏鳴月落年将     鶏鳴いて月落ち 年将に窮まらんとす


(赤い字は韻:一東  七言絶句平起式)

環境書評  加藤尚武著「環境倫理学のすすめ」 丸善ライブラリー(1991年)

2006年12月29日 | 書評

京都大学文学部教授 加藤尚武氏 プロフィール
哲学科教授で専門は生命倫理学,環境倫理学である。現在の教授の環境観を簡単に纏めるとすれば以下となる。「地球を破壊してきた技術と地球を守る技術とは同じ技術である。近代科学は総じて手段の体系を提供する。科学には目的を設定する能力はない。目的の設定は行為としては社会的契約である。しかしその社会的契約の前提となる目的は自然主義的に決定される。その目的設定の根拠は人間存在の同一性である。人間が平等に生きられるために地球を救い、維持可能な地球を守る必要が生まれる。」

環境倫理学の三つの命題
1960年代から米国で開発されてきた環境倫理学は次の三つの命題を掲げている。これには米国の経済と自然観、欧州の哲学・社会経済思想を色濃く受け継いでいる。
1)自然の生存権
人間以外の種・生態系・景観にも生存の権利を拡大する。人間中心主義から人間非中心主義への脱皮
2)世代間倫理
未来の世代の生存可能性に対して責任をもつ。
3)地球全体主義
地球は閉じた系(宇宙船地球号)地球的課題は個人の自由主義に優先する。

社会経済思想と環境倫理
マルサスが人口の増大の運命を提起した時、マルクス・エンゲルスの社会主義理論は永遠に自然を加工して発展させうるとする楽観主義をだした。ミルはその経済学原理において早くも「地球が自由な個体を不可能とするほど満員になるまえに人口と産業規模の縮小をして発展を停止させる。」という見解を示した。20世紀はまさに経済、人口規模のビックバンとなり、誰の目にもミルの心配が的中した。
環境問題の本質は資源エネルギー問題と人口・食料問題である。経済成長を犠牲にしないで環境保護を達成することは出来るはずはない。出来ないと分かっていて当面はできるみたいな幻想を振りまいて時間稼ぎをしている。当面は第3世界への分配制限でなんとかやりくりできるつもりでいる。現在世界で公認されている社会目標が経済成長以外にないことに世界の危機が迫っている。そのため経済成長そのものの目的を問い直す必要がある。(右肩上がりの経済成長神話からの脱却) このあたりの加藤教授の辛口評論はみごと本質に迫っているようである。

権利の拡大
環境倫理学の一つの柱である人間中心主義から人間以外の生物、自然物、環境まで権利を拡張させる思想で人間非中心主義と言われる。権利拡大は米国社会の歴史そのものであった。貴族からアメリカ入植者、奴隷、婦人、原住民、労働者、黒人、自然へと権利は拡大した。ここまではだれにも異論はないだろう。しかし権利が自然へ移行する際、野生生物の権利主体の根拠として知的能力が挙げられるが、胎児、死んだ人間の意思、植物人間には権利がないのだろうか、法理論としては矛盾だらけである。
この自然主義に対して、やはり常識的には人間が認識の主体であるかぎり、世界、地球、自然の認識は人間にしかできない。人間が自然と主観と客観の関係にあるとする近代的二元論(デカルト的二元論)を守る事なしには地球の生態系を守る事は不可能である。功利的人間主義の範疇から出られない宿命。
「コギトエルゴスム(われ考えるが故に我あり)、ひとが自然を考えるから自然が存在するのであって、破壊するのも保存するのも人間の能力にかかっている。」というのが結論か?



小林秀雄全集第13巻「歴史と文学」より「歴史と文学」

2006年12月29日 | 書評
歴史と文学

小林秀雄が日本の歴史上の人物や古典について傾斜してゆく記念すべき論文である。第2次世界大戦中いよいよ日本の文学界は良い材料たる対象を失い真理と性格とかいう幻に閉塞沈没した。その間小林秀雄は現代小説に興味を失い、歴史と文学の接点から古典に活路を見出そうとする姿勢があらわに見られる。
「歴史を唯物史観や合理主義史観から見てはいけない。人間がいなければ歴史はないことは疑う余地のない真理です。」という公理から、乃木将軍、「平家物語」、「大日本史」、「神皇正統記」などを取り上げて紹介している。まだ評論するほどの内容ではないし、時代に迎合した匂いもする。成果はこれからである。


東京の美術館散歩  「根津美術館」

2006年12月29日 | 書評
根津美術館

地下鉄銀座線表参道で下車して閑静なブティック街を約20分ぐらい歩くと、道が交差するところに白壁の塀がみえ緑の邸宅が出現する。これが鉄道王といわれた東急の創業者根津嘉一郎の邸宅跡である。今は邸宅跡に根津美術館と庭園が公開されている。数多い収蔵品の中でもやはり光琳の国宝「杜若図屏風」、「那智滝図」および茶道具が目玉であろう。 「近世装飾画の名品・杜若図」、「国宝那智滝図」、「琳派の造形・伊勢物語と草花図・国宝八橋蒔絵硯箱」などを見た。根津美術館に来たら日本式庭園を見ておきたい。深い谷のあちこちに茶室を設置しさりげなく随所に石の造形を配する本格的な日本庭園の美もまた堪能できる。30分ほど散策して深山幽谷を味わい森林浴をされるのも来た甲斐があったというものだ。



禅宗五山の七堂伽藍  「相国寺 勅使門」

2006年12月29日 | 京都案内
京都臨済宗五山とは、足利義満が定めた。別格として南禅寺、五山には天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺(現在は東福寺に吸収されて塔頭になっている)がある。
禅宗(京都臨済宗五山)の七堂伽藍とは、勅使門、三門、佛堂、法堂、方丈、鐘楼、経堂を基本として指しますが、ほかに浴室、庫裏も必須要素であります。さらに東福寺には坐禅堂、東司(トイレ)があり、南禅寺には僧堂、建仁寺には開山堂など大変バラエティに富んでいます。通常庫裏は方丈と並んで連絡しています。。総門が勅使門と並んで南面している寺(相国寺、妙心寺、南禅寺)もあります。
他の宗派、真言宗、天台宗、浄土宗、真宗などではまた伽藍の構成要素は異なります
さらに伽藍の配置ですが、南に勅使門があり一直線上に北に向かって、三門、法堂、佛堂、方丈と並び、左右に浴室、経堂、鐘楼、禅堂、東司、開山堂などがあります。京都の禅寺は基本として南北配列ですが(東福寺、大徳寺、妙心寺、建仁寺)、東西配置(南禅寺、天龍寺)もあります。この七堂伽藍を完全に保存する禅寺は大徳寺、妙心寺であり、他の禅寺では戦乱・火災で焼失し復興のとき欠けてしまった堂もあります。
今回紹介する相国寺は佛堂を欠いています。欠いている堂の部分には広い空間(松林になっているところが多い)がありますので、再建できなかったのだということが一目瞭然です。相国寺の一堂をアップしてゆきます。今日は勅使門です。