ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

浦和レッズ初優勝 昨年の覇者ガンバを倒す

2006年12月02日 | 時事問題
asahi.com 2006年12月02日15時51分
浦和、悲願のJ1初優勝 直接対決でガ大阪下す
 J1最終節は2日、勝ち点69で首位に立つ浦和と、勝ち点差3で追うガ大阪との優勝をかけた直接対決が埼玉スタジアムであり、浦和が3―2で制して悲願の年間初優勝を遂げた

北朝鮮核問題六ヶ国会議 開催は悲観的・微妙な段階に

2006年12月02日 | 時事問題
asahi.com 2006年12月01日06時21分
核実験場の閉鎖など要求 6者再開に向け日米韓
 6者協議の再開へ向け、11月29日まで北京で開かれた米朝中の首席代表による話し合いで、米側が北朝鮮に履行を求めた措置の内容がわかった。寧辺の黒鉛減速炉など核関連施設の凍結・閉鎖や、核実験を実施した咸鏡北道豊渓里(プンゲリ)の実験場の閉鎖などを重点項目として求めている。複数の協議関係筋が明らかにした。 重点項目は4点で、「国際原子力機関(IAEA)の査察官復帰と査察再開」「現在あるすべての核計画・核施設の申告」も要求している。

asahi.com 2006年12月01日11時55分
ライス長官、米朝再協議「排除せず」
 ライス米国務長官は30日、6者協議再開に向け「さらに話し合いが行われるかもしれない」と述べ、再び米朝中などで話し合う可能性を排除しない姿勢を明らかにした。訪問先のヨルダンで記者団に語った。米朝中協議では、次回6者協議の日程の合意には至らなかった。だが、ライス長官は再開は「既定路線」と強調

asahi.com2006年11月30日15時40分
北朝鮮外務次官「核廃棄、一方的にできぬ」
北朝鮮の核問題をめぐる6者協議について、北朝鮮代表の金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官は30日、「現段階では一方的な核の放棄には応じられない」と語った。米国代表のヒル国務次官補は同日、29日までの米朝中3カ国協議で、金次官が米国の事実上の金融制裁問題に対して「現実的な対応を示した」と明らかにした。米国による制裁解除の態度表明などでも柔軟に対応する姿勢を示したものと見られる。

北朝鮮核問題六ヶ国会議の成果は全く期待できない。北の核放棄幻想で石油を騙し取られるだけ
 今の北の核技術は畏れるに足らない、1-2個の原子爆弾(水素爆弾ではない)で核抑止力なんて笑わせるのではない。しかも第一回実験は殆ど失敗といっていい。その技術解決のめども立っていない。その証拠に次の核実験が出来ない。ミサイルに実装できる段階でもない。
 六者協議再開の条件は米国は「核廃棄」、北は「金融凍結解除」を上げるがこれは対等に議論できるレベルの問題ではない。金融解除と核放棄はあまりに次元が異なる。北は核を放棄する気はまったくない。匂わせて金融制裁解除と石油を騙し取ることが目的で時間稼ぎをして(1-2年)、その間に核実験をやり直すのが意図である。我々は北のスケジュールに付き合ってはいけないし、まして韓国の援助クリスマスプレゼントは絶対に避けねばならない。

環境書評  鯖田豊之著 「水道の思想-都市と水の文化誌-」 中公新書(1996)

2006年12月02日 | 書評
1) 鯖田豊之京都府立医科大学名誉教授のプロフィール
 鯖田氏は医者ではない。医科大学に勤める西洋史学者であった。ヨーロッパの上下水道の発展と都市衛生問題は密接な疫学的関係にあった。特にコレラの流行と上下水道は有名な話である。国の水道水質へのこだわりをヨーロッパと日本の文化誌として捉え比較した著者は慧眼である。あれほど地表水を敬遠し地下水・湧水にこだわったヨーロッパでも水質が硬質であるため飲用にしない。塩素・凝集剤の薬漬けにした日本の水道水でも直接飲用する人は多いというのは謎である。その答えが本書にあるわけではないが、近年益々悪化しつつある水道水質を考えるヒントは提供してくれそうである。

2) ローマの水道思想
 古代ローマの首都、ローマの人口は紀元前2世紀には100万人を越した。ローマへは11本の水道が建設され、市中は鉛管で1人1日500リットルの上水が供給された。さらに下水も設備され都市国家の快適な生活が保障されたが、476年に西ローマ帝国がゲルマン人により滅ぼされてしまうと水道は破壊されヨーロッパは農村世界に回帰した。近代になってヨーロッパが水道を建設するときの方針は古代ローマの水道思想に復帰することであった。古代ローマの水道思想とは次の2つが原則になっている。

水源の異なる水道の混合配水は禁忌された。古代ローマには11本の水道があり内8本は湧水、2本は河川表流水、1本が湖水であったが、決して交わることなく用途別に供給されたと見られる。
地表水は敬遠し、湧水、地下水、表流水の順に優先された。どんなに距離が遠くとも良質水源を求めて直接自然流下で導水することが原則であった。

3)現行水道法規
フランス:湧水と深層被圧地下水が第1選択である。地表水には浄化処理と塩素消毒が要求される。
ドイツ:水源の選択には規制はないが、湧水と深層被圧地下水が第1選択である。 
日本:1957年の「水道法」には水源の選択の規制はないが、上水道公営の原則がある。また給水栓での遊離残留塩素を0.1ppm以上とする下限設定がある。ヨーロッパにこの概念はない。これは戦後アメリカ占領軍が持ちこんだ規定である。民営、多様な水源、水質追求が改革ターゲットか
 
4)各国の水源と浄水技術
 日本には湧水源がないこともあり水源の70%は地表水である。それに対しヨーロッパでは1981年の上水道統計によると人工的地下水が32%、伏流水が29%、地下水・湧水が28%、谷川水が6%、地表水は工業用水専用で5%であった。地表水をやむを得ず利用する場合浄化処理にどんなに時間がかかっても薬品を多用しないとしてきたが、日本ではどんなに薬品を多用しても短時間で浄化しようとする技術背景が存在する。これは日欧の文化の違いと言えよう。

湧水: 古代ローマの水道思想を最も色濃く受け継いでいる都市には、パリ、ウイーン、ミュンヘン、ローマがある。どんなに水源が遠くとも良質な水を求める姿勢が生きている。特別な処理はしない。
地表水: 緩速濾過システムと凝集沈殿急速濾過システムがあるがヨーロッパでは活性炭濾過を加えて薬品をできるだけ使用しない。ロンドン、ベルリン、ロッテルダムがその例である。それに対し日本では水源水質の悪化につれ薬品凝集沈殿-オゾン接触-急速砂濾過-オゾン接触-粒状活性炭濾過-塩素消毒の高次処理技術が普及しつつある。

小林秀雄全集第7巻「作家の顔」より 「作家の顔 」

2006年12月02日 | 書評
「作家の顔 」

 要するにこの文章は、「作家は作品のみが命であって、作家の顔なんて見えてこない」ということである。自分の実生活を綴った文章はきっときれいごとに違いないという小林氏の私小説批判が見えてくる。優れた作品として北条民雄氏の「いのちの初夜」を挙げ、腐敗するらい病患者の肉体に命の輝きを見た作者の筆力を絶賛した。フローベルの「ジョルジュ・サンドへの書簡」では「人間とはなんでもない、作品が全てなのです」を引用した。ローレンスの手紙では「文学的素質とは生命のありとあらゆる下層に浸潤して成長の根源に密着する宿命を持つ」という文学者の態度を論じた。其処にはふやけた作家の顔はない。



書評 澤口俊之著 「あぶない脳」 ちくま新書(2004年10月初版)

2006年12月02日 | 書評
澤口俊之氏は北大医学研究科高次脳機能学分野教授である。ただし医者ではない。専攻は脳科学(生物学)である。本書は「あぶないデカ」をもじった「あぶない脳」となっており、一見すると精神病理学か犯罪心理学を想像してしまって、暗い世界の本かと身が引けてしまう。ところが本書はまじめな?脳科学の本である。養老先生や茂木健一郎氏らとよく似た内容(傾向)の本である。むしろ脳科学の最前線で研究されているので脳科学の知見をふんだんに取り入れ、最も私には納得が行き易い説明である。
「あぶない脳」という題に忠実に、脳が壊れたらどうなるというのは正常な脳の働きを理解した上での、刀の切り返しみたいなものである。なぜなら先生は神経精神病理学の医者ではないからだ。そんなアプローチはしていない。教育専門家でもない。したがって本書を理解する上で「あぶない脳」ということは本質ではないと思うので、私の書評では正常な脳機能のみを説明する。
本書は、いくつもの仮説から単刀直入に結論を書いてゆく文学(心理学テスト)ではなく、実験科学に限りなく近いアプローチである。人の行動の直接的因子は脳科学的な説明がつくが、生物の最終目的は「遺伝子を残す」戦略だという「落ち」にはなじめない。つまり私には進化論的目的論にはどうしてもついてゆけない。あまりに鮮やかな断定にはすぐに無数の反論がある。食料のことも考えずに膨大な人口を有するインド、中国が生物学的目的に沿っており、西欧社会のような人口減少国家は破滅的道を選択したということになるのだろうか。生活の質の向上というもっと知的な目的戦略もあっていいのではない。また自分を犠牲にしてまで種族の繁栄を図るという論理を果たして個体がとるだろうか。これは社会や文明論であって生物学の論理ではないはずだ。利己的な遺伝子とは関係のない論理だ。したがって私は本書の「行為の最終目的」は除外して考えたい。ということで私は本書から「病理」と「進化論的最終目的」は除いて解説する。最初から評論してしまって申し訳ない。まずは澤口先生の著書に従って最新脳科学の明かす脳前頭連合野の知性の働きをよくみてゆこう。

Ⅰ 前頭連合野の働き・・最も人間らしい高度な機能
米国の認知心理学者ガードナーの「多重知能理論」が指摘するように、知能には言語的知能、空間的知能、論理数学的知能、音楽的知能、身体運動的知能などがあって、脳の機能単位モジュールに割り当てられる。感情についてもいくつものモジュールが存在するらしい。この多くのモジュール群からなる脳を統一するのが自我である。澤口氏はコンピュータの構成とアナロジカルに、前頭連合野の自我はオペレーションシステム(OS)、側頭葉記憶系はハードデスクHDDに、前頭連合野のワーキングメモリ機能はRAMに想定した。自我とは自分の行動を意識的に制御する「自己制御」と自分自身を意識する「自己意識」の2つ重要な働きがある。ワーキングメモリの働きは長期記憶を呼び出して組み合わせ、行動や計画を導くことである。こうして自分自身の現在の情況は感覚情報を処理し操作し「自己意識」が生まれる。ワーキングメモリの脳内位置は大脳新皮質前頭連合野にあり、多数の入力情報がこの領域に集まっておりしかるべき処理(選択、保持整理、統合、目的情報の生成)をして出力情報(制御行動)を送り出す機能を持つ、いわばCPU(中央演算処理デバイス)である。他の脳領域では殆どの場合単機能情報しか扱わない。例えば形情報は下側頭連合野、空間情報は後部頭頂連合野)などなどである。そこからさらに高次なセレンディピティ選択と創造性が生み出される。

Ⅱ 幸福感を誘起する脳内物質セロトニンは大脳辺縁系と前頭連合野に作用する
大脳辺縁系は感情システムを受け持つが、前頭連合野は大脳辺縁系から情報を受けつつその活動をコントロールする。幸福脳内物質セレトニンが大脳辺縁系と前頭連合野に作用して幸福感が得られる。逆にセレトニンが不足すると不安感や絶望感が続くことになる。鬱病の薬にSSRI(ルボックスなど)がありセレトニン濃度を高めることが治療目的である。幸福感は性関連行動や冒険心にはなくてはならない報酬系を作るものである。これがなければ、人は前向きな行動にはでられない。

Ⅲ 「心の理論」は人類の心の中核
認知心理学の重要概念である「心の理論」は、他者の心を理解し(推測し、感情導入)、他人の立場で考えることができる人類に固有のすばらしい能力のことである。「心の理論」は自我と他人の関係構築に必須の要素であり、かつ前頭連合野の働きによる。養老先生は脳の肥大化が言語を生み出したというが、澤口先生は言語の獲得が引き金になって脳は爆発的に拡大したという説をとるようだ。使うことで肥大化することは筋肉と同じことでこの説にも一理あるようだ。それはさておき澤口先生は「言語の役割にはコミュニケーションの手段としての側面はあるが、より本質な機能は対象をシンボル化して操作することつまり思考し理解することにある。これが言語の本質だ」と喝破される。言語による他者の心の理解(心の理論)が私達人類の心の中核である。また前頭連合野の生後の発達は良好な社会環境に恵まれて12歳ごろまでに終了する。なお言語機能の発達の臨界期は8歳までである。この臨界期の生育環境に問題があると、欠陥人間が発生する。これがいわゆる「あぶない脳」である。社会的理性は社会の中でうまく生きるために自分の感情や行動を適切にコントロールする働きをいう。

Ⅳ 働くこと、宗教は人の属性。高齢になると結晶性知能が高まる。
私達ヒトは自分と家族の糧を得るために働く(なんて当たり前のことをいう)。澤口先生はその究極的目的は自分の遺伝子を残すためであるという。鶏を殺すに牛刀を用いるが如き、大業な言い方だ。そのとおりなのであえて反対はしまい。
ところで面白いことを先生は言われる「ヒトの大きな特徴は幼稚性にある(ネオテニー)。脳をいつまでも柔らかく保ち、好奇心旺盛な脳は変動しやすい厳しい環境に適応するのに都合がいい」。つまり私のような幼稚性の残った人間にも存在意味があることになり、大いに気持ちを強くした次第である
さらに人間の属性として霊魂を信じ、神を創造して宗教を作ったことが養老先生の持論でもある。それは必ず来る死を怖れずに迎えるという実利と、いつまでも生きたいという高度なヒトの想像力のなせる業である。
赤瀬川氏が言い出した「老人力」に相当する「結晶性知能」とは豊富な知識、経験(記憶)を結集して適切な答えを出す知恵のことである。年老いてなお高まる脳機能があるとはうれしいではないか。神経細胞ニューロンは赤ん坊の時が最大で成人では1/6に減少する。つまり使わない細胞が淘汰されるわけである。ニューロンは年とともに減少するが、訓練によって、ヒトによっては、前頭連合野は逆に大きくなることもあるそうだ。記憶を司さどる海馬も増加するようである。それには有酸素運動が効果的だと(思い切りテレビのようないい加減なネタではない)もいわれる。うれしいね。