ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

環境書評  中村靖彦著 「狂牛病-人類への警鐘-」  岩波新書(2001年)

2006年12月14日 | 書評
2001年9月21日深夜、農水省は緊急記者会見行い千葉県のある農家で狂牛病が発生したことを発表した。これまで狂牛病の発生の恐れは極めて少ないとして対岸の火事視していたが、リスクが足元まで迫っていたことに気が付いていなかった。中村靖彦著「狂牛病」は食文化の落とし穴という立場でこの問題に迫ったが、書評ではリスク管理から捉えたい。まず狂牛病(BSE)と変異型クロイツフェルトヤコブ病(vCJD)の発生に関するデータと英国、欧州、日本の対応の変遷を下表に纏めた。

[BSE,vCJD発生件数]
狂牛病 BSE発生件数
英国
1998年-2510件 1992年-36906件 1995年-14389件 1996年-8075件 1997年-4370件 1998年-3217件 1999年-2294件 2000年-1807件 2001年-311件 合計179729件
欧州EU
1998年-0件 1992年-36件 1995年-101件 1996年-159件 1997年-160件 1998年-229件 1999年-347件 2000年-527件 2001年-471件  合計2207件
日本
1998年-0件 1992年-0件 1995年-0件 1996年-0件 1997年-0件 1998年-0件 1999年-0件 2000年-0件 2001年-3件  合計3件

ヒト変異型クロイツフェルトヤコブ病 vCJD発生件数
英国
1998年-0件 1992年-0件 1995年-3件 1996年-10件 1997年-10件 1998年-18件 1999年-15件 2000年-28件 2001年-12件 合計96件
欧州EU
1998年-0件 1992年-0件 1995年-1件 1996年-0件 1997年-0件 1998年-0件 1999年-3件 2000年-0件 2001年-0件 合計4件
日本
これまで発生なし

[狂牛病問題に対する英国、EU、日本の対応の変遷]
英国
1986年12月 狂牛病を認定
1988年7月 反芻動物への反芻動物から肉骨紛投与禁止
1989年7月 88年以前の英国産牛輸出禁止
1990年6月 生後6ヶ月以上の英国産牛輸出禁止
1990年9月 牛特定部位の飼料添加禁止
1991年1月 牛特定部位を含む飼料の輸出禁止
1994年11月 哺乳類からの肉骨紛を反芻動物に与えることの禁止
1996年3月 肉骨紛の輸出禁止

欧州EU
1998年7月 狂牛病対策
1989年7月 反芻動物から肉骨紛輸入禁止
1990年6月 英国産牛輸入禁止
1990年4月 牛特定部位の飼料輸入禁止
1994年7月 哺乳類からの肉骨紛輸入禁止
1996年3月 牛乳を除き英国産牛製品輸入禁止
 
日本
1951年 口締疫病より英国産牛肉輸入禁止
1996年3月 英国から牛精液,受精卵輸入禁止
1996年 反芻動物への反芻動物からの肉骨紛投与禁止

上に見るように英国での狂牛病発生頭数が圧倒的に多く、英国で発生し欧州へ伝播したことは明白である。英国での肉骨紛投与禁止により8年後より急速に事態が終息にむかいつつあるが、欧州ではわずかに増加の傾向にある。これは肉骨紛販売経路の不透明性から欧州での使用が継続していたことを示す。

[英国での狂牛病発生の要因]英国は羊王国と言われたように牛1100万頭に対して羊4400万頭が飼育されている。羊には古くから震え病スクレイピーが知られていた。狂牛病と同じ海綿状脳症である。食用にならない羊の屑肉、内臓、骨の廃棄物が大量に発生しリサイクルするため、牛のカルシウム補充と牛乳増産のため肉骨紛が開発された。(このことは有害物を含む材料のリサイクル問題として今日でも頭の痛い問題である。)ところが1980年ごろより石油ショックによる燃料節約のため100℃以上の煮沸処理を変更し80℃くらいに下げたためプリオン蛋白が残留し危険性が増大した。そして潜伏期間(5年から10年)の後に1985年より狂牛病が発生した。

[日本での対応の問題点]
1988年英国では肉骨紛の使用を禁止し,直ちに欧州でもこれに追随した。しかるに日本で使用が禁止されたのは1996年であり実に8年間の遅れが生じた。肉骨紛の販売経路は複雑であり統計にないヤミルートを含め把握しにくい。これが日本でも狂牛病の発生をみた要因である。さらに政府の対応を後手後手にしたのは英国,欧州の経験をふまえた対応マニュアルが作成されていなかったためである。政府・政治家が安全を声高に叫んで牛肉をたべて見せる愚にもつかない猿芝居はリスクの本質を知らない人のやることである。いつもリスクと背中合わせにあることは自覚しなければならない。

小林秀雄全集第8巻 「精神と情熱とに関する八十一章」

2006年12月14日 | 書評
 第8巻は哲学者アラン(1868-1951)による哲学概論(1917年刊)を小林秀雄が1936年に翻訳した全文である。アランはフランスのモラリストの伝統に立つ哲学者である。フランスのモラリストの伝統とは日常的なものの中に常に深い意味と連関を見出して、そこに倫理学と道徳を築こうとする哲学の一派である。アランは第1次世界大戦のさなか負傷してこの作品を書いたといわれる。標題の「情熱」とはほぼ「感情」と置き換えて読んでよい。アランは序文と前書きの中で、次のように目論みを述べている。
「自分の知っていること以外は喋らないという条件付で哲学概論を書いたが、理論上・実践上の哲学の重要問題は全て含まれていると信じる。」
「一番通俗的な意味で、感情自体の認識と制御という常に倫理上のあるいは道徳上の教理を目指している。」
「情熱の因子には2種類あって、人間的な因子の認識批判が対象である。曖昧で魔力や前兆の世界を批判の対象として人間性の学を導きたい。」

ここにアランが述べている2つの因子である「機械的因子」とは恐らく科学で片がつく人間の大脳皮質が支配する理性の分野のことだと思う。私見だが「人間的な因子」とは人間の闇の世界すなわち魑魅魍魎が跋扈する情熱(=感情)の世界のことで未だ大脳生理学のメスが入りきれていない脳幹・脳髄の分野のことであろう。この本が書かれた年代から比べると現代は科学とくに医学の進歩は著しく、哲学の分野は益々狭まってきた。それでも自立的生命と感情・情念を支配する脳幹・脳髄の科学は不十分である。ここに哲学存在の根幹的秘密がありそうだ。

アランの哲学概論は7部81章から構成される。

第一部ーー感覚による認識
第二部ーー秩序ある経験
第三部ーー推理による認識
第四部ーー行為
第五部ーー情熱
第六部ーー道徳
第七部ーー儀式
第一部はいわゆる哲学の認識論のことであり、あるがままの感覚では対象は認識できず経験による理性の整理総合的推論が認識論の基本だ。第二部は悟性論につて述べ、認識は全て経験によるとする。第三部は論理学・修辞学について述べ現在では記号論理学で全て整理できることを言葉で言い表しているのでかえって分かりにくくなっている。科学的思考法(数学、力学、量子論など)の確立が哲学の分野を道徳的秩序に関する探究に追いやった。第四部から第七部までは哲学体系というよりは芥川龍之介ばりの「人生の箴言集」になり、フランスらしい気の利いた風刺・皮肉の名文句が述べられている。

哲学については私は本格的に勉強したことはない。私は科学の徒であったためむしろ哲学は原始人のたわ言にしか思えなかった。少なくとも認識や論理学は科学という分かりやすい言葉で解き明かすほうが人生理解の早道であると信じてきた。哲学の言葉で述べられる範囲では、契約・戦争・富などなどの分野でも現在は社会科学の言葉で解き明かす場合が多い。すると哲学の分野で残るものは宗教と道徳のみであろうか。道徳も社会科学の言葉のほうが分かりやすい。恐らく哲学という分野は早い時期に消滅するのではないか。アランも述べている。「哲学を学ぶということがどういうことか。この種の探求が面白くないというなら、それはもう神様のお言葉のようなもので、こんな本を読まなくてもよろしい」と、私も哲学なんかとはおさらばだ。

追記して補正する。
私は哲学について少し苛立って性急な結論じみたことを書いたが、ここで私の私見を補い若干の軌道修正を促す文章があった。それは小林秀雄全作品集第26巻の巻末寄稿にあった茂木健一郎という脳科学者の文である。「合理主義・科学を貫き通してもなお分からない問題のひとつに心脳問題というものがある。さらに説明しきれない精神感応問題(正夢)がある。合理主義のかなたに広大無辺な領域が横たわっている。だから体験の個別性・私秘性(クオリア/感覚の質)に寄り添ってみると見るもの聴くもの全てに不思議の霧が立ち込める。是を精神のエロスという。」

この問題は、科学の徒から見れば「恐らく哲学という分野は早い時期に消滅するのではないか。」という暴言を導いた。私見で述べた「人間的な因子とは人間の闇の世界すなわち魑魅魍魎が跋扈する情熱(=感情)の世界のことで未だ大脳生理学のメスが入りきれていない脳幹・脳髄の分野のことであろう。自立的生命と感情・情念を支配する脳幹・脳髄の科学は不十分である。ここに哲学存在の根幹的秘密がありそうだ。」のことを茂木健一郎・小林秀雄の意見をいれて修正する。「合理主義では認識できないことがある、だから人生は摩訶不思議だ」

書評  リチャード・ドーキンス著 「利己的な遺伝子」   紀伊国屋書店(2006年5月)

2006年12月14日 | 時事問題
本書は30年前1976年に出版され、生物学に留まらず各界に多大な思想的影響を与えた。著者はイギリスの行動生物学(エソロジー)の流れにある。決してこの本は遺伝学の本ではない。まして遺伝子工学や医学の本ではない。最新の遺伝子学の成果(D.ワトソン著 「DNA」 講談社 など)を十分に採用しているとも言いがたい。そんな必要はないのであって、実は古い生物生態学や行動学を遺伝子のキーワードで解説するものである。メンデルの遺伝子程度の知識で十分である。したがって遺伝子の内容はきわめて広大である(多数の遺伝子の総合効果ともいえる利己的行動、利他的行動というマクロな概念である)。ダーウインの進化論というものは所詮実証不能の学説であって、之を科学と言うのか哲学と言うのか、何百年議論をしても一向に一定のドグマ的体系をなさない。一人の学会のボスが(日本で言えば今西錦司のような)唱えて弟子が賛同するような類かもしれない。すべからく動物の観察に基づく学者の説は「一を言えば百の反論が出てくる」類である。解釈だけでなく、しかも反対の事象もある。私個人の偏見かもしれないが、生物学は既に解体していて、遺伝子工学や細胞生理学へ向かう学と社会学へ向かう学が存在する。京都大学の生物学者は今西錦司以来サルの研究をはじめ生態学から社会学(文明・文化論)へ偏向している。これらは自然科学と言うより観察学・博物学・社会科学の流れにある。

さて最初から私の偏見を述べて結論じみた予見を与えてしまった。それは私の本意ではない。確かに動物(本書は植物学や細菌学、ウイルス学、医学などについては一切言及していない)の世界は面白い事象に満ちている。人間だけが神のような存在である。動物の行動を目的という意識で完全に説明することは無理がある。擬人的説明はしばしばお笑いものである(キリンの首が長いのは、高いところの葉を食べるために長くなったという類である)。目的意識を持てば遺伝子にまで影響する説はラマルクの用不要説といって現在の遺伝学では否定されている。さすがそんな馬鹿なことは本書では述べていない。リチャード・ドーキンスは自身熱心なダーウイン進化論信奉者だといってはばからない。「自然淘汰には二つの見方がある。遺伝子からの見方と、個体からの見方である。」、「我々個体は生存機械つまり遺伝子という利己的な分子を保存すべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ」というセンセーショナルな書き出しで本書が始まる。そして動物の利己主義とか利他主義の行動が意識的なものではなく行動上のものであって、これを遺伝子の自己複写量を最大にする戦略(之も擬人的比喩にすぎない、遺伝的には個体が死んでしまって遺伝子プールが喪失することを防ぐ戦略、或いは逆に言えばある行動遺伝子をもったものだけが生き残って遺伝子が受け継がれるということ)と言う一貫したセオリーで進化を説明しようとするものだ。之には一理ある。

リチャード・ドーキンスは遺伝子の発生を生命の起源から推測した。「生命のスープの中でDNAという遺伝子が環境の資源を利用して自己複製の競争を繰り広げた。遺伝子の身を守るためには自分の入れ物つまり生存し続けるための場所を作った。これが細胞・個体という生存機械である」と言う推測であるが、真偽のほどは神話の世界であるから実証できるものでない。神話の時代から歴史の時代すなわちダーウイン的進化に世界へ移ろう。個体が遺伝子の生存機械であることは事実なのだから。

本書の流れは、攻撃という利己主義行動と自己犠牲を伴う利他行動をゲーム理論で分析してどちらの行動が遺伝子にとって有利なのか(これを進化的安定戦略ESSという)判定する。そして血縁淘汰、個体淘汰、群淘汰というレベルを数学的確率で考察するもだが、遺伝子をそのまま残すには大腸菌のように無性増殖(コピー)が一番であろうが、動物の有性生殖では子供に1/2づつしか親の遺伝子は遺伝子しない。四代続けば(ひ孫)遺伝子は1/16に過ぎない。赤の他人といってもいい。そうすると自分の遺伝子を残すのが動物行動の目的だというのは説得力に欠ける。(天皇の万世一系の血累も生物学的にはいい加減なもので、何が遺伝しているのか大いに疑問だ)

さてこの書の本論になる部分は膨大な量で動物学の面白さを教えてくれる。しかし煩雑になるのでここには題目しか取り上げない。興味をもたれた方は是非本書を買って読んでいただきたい。
・子育て、子作り両戦略の混合戦略
・雄と雌の遺伝的争いと結婚戦(最近雌の卵子細胞質遺伝からイブ起源説が盛んであるが)
・群れを成す動物の戦略
・社会的昆虫の役割と戦略
・寄生動物と宿主の関係
・裏切り的利己主義行動と互恵的利他行動のゲーム理論
・人の文化の創造の遺伝子を導く役割
・長い遺伝子発現連鎖としての「延長された表現型」にもダーウイン的進化が支配する(ビーバのダムと言った文化)。


リチャード・ドーキンスはこう言う。「自然淘汰は自らの増殖を確実にするように世界を操作できる遺伝子を選ぶ。これこそが延長された表現型の中心定理である。すなわち動物の行動はそれらの遺伝子がその行動をおこなっている当の動物の体の中にあってもなくても、その行動のための遺伝子の生存を最大にする傾向を持つ。」これが結論である。無性生殖よりも有性生殖の方が遺伝的多形を生み、変異が起こりやすくなるので進化しやすいとか、人遺伝子の持つ無意味翻訳領域エクソンの存在が進化の源であるとかいう最近の遺伝子研究成果などなどについては述べられていない。本書は遺伝子学の本ではないであしからず。

漢詩  「漢詩の音韻形式」

2006年12月14日 | 漢詩・自由詩
 音のリズムの他にアクセントのリズムがあります。各行の終わりにある規則を決めて同じ発音の型と考えられる言葉を使うと各行の読み終わりの音に一種の調和が発生して聴く人の耳に心地よい感じを与えます。漢字の発音の型には四種類あって、これを四声という。

平声・・平らかな発音(平音)
上声・・尻上がりの発音(仄音)
去声・・尻下がりの発音(仄音)
入声・・語尾がつまる発音(仄音)
この発音は現在の中国語の発声が変化したためあまり相関は求められない。むしろ現在では文章語として理解すべきです。大切なのは韻を踏むのは「平声」の言葉でそれが30種類(上平音15種類、下平音15種類)に分かれ、かつ1種類が平均50~70語くらいずつですので、合計2000字ぐらいが平音といい、他の3つの種類は仄音と言います。
上平音:一東、二冬、三江、四支、五微、六魚、七慮、八斉、九佳、十灰、十一真、一二文、十三元、十四寒、一五冊
下平音:一先、二粛、三肴、四豪、五歌、六麻、七陽、八庚、九青、十蒸、十一尤、一二侵、十三箪、十四塩、一五函
漢詩ではリズムを生む形式を「平仄図式」といいますが、それには基本的には四通りしかありません。それを七言絶句で説明します。○は平音、●は仄音、◎は平音で同系韻、△は平音、仄音どちらでも許されます。一例として頼山陽作の川中島より第二式を示します。

七言絶句(頼山陽作)・・正平起第二式・・韻は下平音 五歌
○ ○ ● ● ● ○ ◎      △ ○ △ ● △ ○ ◎
鞭 聲 粛 粛 夜 過 河
● ● ○ ○ ● ● ◎      △ ● △ ○ △ ● ◎
暁 見 千 兵 擁 大 牙
○ ● ● ○ ○ ● ●      △ ● △ ○ △ ● ●
遺 恨 十 年 磨 一 剣
○ ○ ○ ● ● ○ ◎      △ ○ △ ● △ ○ ◎
流 星 光 底 逸 長 蛇

[規則]ここで二四不同(異なる平仄)、二六対(同じ平仄)、下三連禁止(第五字から第七字まで同じ平または仄を連ねない)、四字目の孤平を避ける(第四字の平音が上下で仄音に挟まれる)、同字相犯禁止(同じ文字を2回使用する)の規則がありますので、左の漢詩のような平仄関係になります。まさに字のパズルのように規則の中で字を当てはめることになります。また韻は第1行、第2行、第4行の七字目を踏みます。参考までに第一式、第三式、第四式の平仄関係を示します。

第1式(正仄起)
△ ● △ ○ △ ● ◎
△ ○ △ ● △ ○ ◎
△ ○ △ ● △ ○ ●
△ ● △ ○ △ ● ●

第3式(偏仄起) 
△ ● △ ○ △ ● ◎
△ ○ △ ● △ ○ ◎
△ ● △ ○ △ ● ●
△ ○ △ ● △ ○ ◎

第四式(偏平起)
△ ○ △ ● △ ○ ◎
△ ● △ ○ △ ● ◎
△ ○ △ ● △ ○ ●
△ ● △ ○ △ ● ◎


この表を見れば分かりますが、第一字、三字、五字は平仄は何れでもいいわけですが、下三連禁止や第四字孤平を避ける等の規則を守って字を選ぶ必要があります。

参考文献

松浦友久 「漢詩ー美の在りかー」 岩波新書 (2002年1月)
山口直樹 「図説 漢詩の世界」 河出書房新社 (2002年8月)
新田大作 「漢詩の作り方」 明治書院 (1970年11月)
河井酔萩 「詩語辞典」 松雲堂 (2004年4月再版)
川田瑞穂 「詩語集成」 松雲堂 (1980年復刻版)

私が読んだ漢詩集の本

海音寺潮五郎訳 「詩経」 中公文庫 (1989年)
松枝茂夫 「中国名詩選」上・中・下 岩波文庫 (1983・1984・1986年)
前野直彬 「唐詩選」上・中・下 岩波文庫 (1961・1962・1963年)
黒川洋一 「杜甫詩選」 岩波文庫 (1991年)
小川環樹・都留春雄・入谷仙介 「王維詩集」 岩波文庫 (1972年)
松枝茂夫・和田武司 「陶淵明全集」上・下 岩波文庫 (1990年)
小川環樹・山本和義 「蘇東坡詩選」 岩波文庫 (1975年)
黒川洋一 「李賀詩選」 岩波文庫 (1993年)
白川静 「詩経」 中公新書(1970年)
一海知義 「陶淵明」 岩波新書(1997年)
陳舜臣 「唐詩新選」  新潮文庫(1992)
秦 泥 「李白ー詩と生涯」 徳間文庫(1991)
秦 泥 「杜甫ー詩と生涯」 徳間文庫(1992)

東京の美術館散歩  「千秋文庫博物館」

2006年12月14日 | 書評
千秋文庫博物館(美術館名をクリックしますと付近図が出ます)

地下鉄東西線か半蔵門線の九段下で降りて上に上がると昭和館があり、そこから九段坂を登ると左に武道館への橋がある。さらに品川弥次郎と大山巌元帥の銅像を仰いで桜で有名な千鳥が淵に出る。山種美術館に行くときはここを左折してお堀沿いに下ってゆくわけだが、千秋文庫にゆくならば千鳥が淵を左折せずに少し行って九段坂上を左折し内堀通りを下って九段病院を過ぎ千秋文庫のがっしりした石作りの建築物に到着である。旧秋田藩佐竹家のお宝の展示館である。失礼な話だが私はいつも山種美術館の帰路に立ち寄るので、いつもろくなものは展示していない割りにはよく行く文庫である。「江戸の地図展」、大名の贈呈品であった「中国の山水画の模写作品展」などを見た。