ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

嵐山を流れる川の名は?「京都検定」

2006年12月16日 | 京都案内
上の写真は嵐山の渡月橋ですが、ここを流れる川の名は大堰川とも言います。その上流を保津川(亀岡でも保津川といい、保津川の船下りは有名です)といいますが、下流は桂川といいます。このように三通りの名前があります。まるで出世魚のようですね。

教師も受難の時代になりました

2006年12月16日 | 時事問題
asahi.com 2006年12月16日06時01分
公立教員、病気休職7017人 精神疾患も過去最高
 昨年度中に、病気で仕事に支障が出たりして休職処分を受けた公立学校の教員は7017人で、12年連続で過去最高を更新したことが15日、文部科学省のまとめでわかった。このうち6割にあたる4178人は、うつ病やストレスによる神経症などの精神疾患と診断された
懲戒などの処分を受けた教員についても総数は4086人で、前年度より10%増えた。 内訳では、交通事故関連が過去最高の2406人。児童買春やセクハラなどのわいせつ行為は15%減って142人。

教師の実態は日本全体でどう評価されるのか
教師も大変だなーということは理解できても、この数値が深刻なのか特異なのかさっぱり分らない。まず日本の教師の総数が分らない。そして問題事項を教師千人あたり何人かという数値に直して欲しい。次に同類の世界(公務員ぜんたい)の数値と比較して教師のみが特異なのかどうか示さなければならない。さらに別の世界(民間会社員、流通業、運搬業、職人など)の数値とも比較して特性があるかどうか議論しなければならない。最後に外国と比較して議論しなければならない。そうしないとこの文部省の発表は何を言いたいのか分らない。
「教師はどうしょうもない連中で何とかしなければという教師いじめなのか」、
「この状況下でよくがんばっているのか」、
「すばらしい職業なのか」

環境書評  三橋規宏著「ゼロエミッションと日本経済」 岩波新書(1997年)

2006年12月16日 | 書評
日本経済新聞社論説主幹 三橋規宏氏のプロフィール
三橋氏は経済記者から日経ビジネス編集長などを歴任され、経済問題・環境問題を担当された。しかし本書は経済理論を述べたものではなく、廃棄物ゼロをめざす取り組みを新聞記者の目で取材した報告である。「百の説法よりも、ひとつの実行を」をスローガンに環境に挑む人、企業、地域の姿をルポした。

環境に挑む人、企業、地域
世界自然遺産に登録された屋久島の自然共生の道、未利用材から集成材を開発し省エネ住宅にこだわる北海道の住宅メーカ、交通信号用省エネ青色高輝度発光ダイオードLEDを開発した日亜化学工業、自動車シュレッダーダストの溶融燃焼発電センタに取り組む自動車金型メーカ、ISO環境認証機構を設立した日立製作所の福島氏、オフィス街の紙回収に先鞭をつけた東電の中谷氏、川崎製鉄と協同でゴミ固形燃料化RDFセンタを設立した伊藤忠の滝本氏、25年をかけ公害都市を克服しその経験を中国に伝える北九州市、最悪の大気汚染地域からの脱却を図る板橋区の取り組み、地域企業が協同して廃棄物処理を行なう山梨県国母工業団地、風力発電所建設にとりくむ山形県立川町などの活動が紹介されている。若干サクセスストーリ臭さがあり、現状はどうなのか疑問は残る。だが「小さな一歩が重要」を肝に銘じよう。

資源循環型社会への道
経済成長と環境保全、地球資源枯渇は地球規模での矛盾(グローバルトリレンマ)であるが、持続可能な発展のためには資源循環型社会への転換が不可欠である。そのために産業クラスターの形成(企業協調)と環境税など経済的手法の導入(政府政策)が車の両輪になる。



小林秀雄全集第9巻「文芸批評の行方」より「菊池寛論」

2006年12月16日 | 書評
菊池寛論

昭和の始めの通俗小説なぞ今では読む人もいないだろう。菊池寛作「父帰る」という劇は今でも上演されることがあるのだろうか。この小論は私にとっては今ではどうでもいいような話題である。ただ菊池寛、志賀直哉などの人が書いた通俗小説(主に新聞小説の形をとった)は100%大衆向けの娯楽読み物であった。間違っても当時流行の芸術至上主義や、告白小説、感覚派、自然主義文学などという冠はかぶっていないところが爽やかだ。そこが世の動きに超然とした大御所たるところである。菊池寛氏の作品は「人間的興味の小説」といわれる。文学的意匠もなく人生だけを知っている人の小説でさすが手堅いと評判であった。と言われてもいまさら読む気はしないが。