ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

漢詩  「至日有閑」

2006年12月23日 | 漢詩・自由詩
雲奔北樹転凄     雲奔り北樹 転た凄涼

風吼南枝動一     風吼え南枝 一陽動く

老懶不知冬欲半     老懶知らず 冬半ならんと欲す

中温酒夜方     中酒を温め 夜方に長し

(赤い字は韻:七陽   七言絶句平起式)

自由詩  「来生たかお アンソロジー 」

2006年12月23日 | 漢詩・自由詩

空寒く いま泣きそうな 昼下り

夢うつつ 境も消えて 心さえ

もの憂いに 静かに動く 恋心

かったるい セカンドラブの メロディも

恋さえも コンクリートの 籠の中

ねむらない 都会の明かり 追い続け

疲れた日 ねじれたハート そのままに

つらくなる 頭の中で うずいてる

今は過去 遠い思い出 消えそうな

この気持ち 未だ上げそめし 前髪に


小林秀雄全集第12巻「我が毒」より翻訳 サント・ブウブ著 「我が毒」

2006年12月23日 | 書評
翻訳 サント・ブウブ著 「我が毒」

サント・ブウブ(1804-1869)はフランスの評論家。本書は彼の未発表の手帖(メモ)で、生前ひそかにメモって隠し持っていた覚書のようなものである。あまりに人を傷つける内容が多いので死後もしばらくは公開されることはなかった。関係者が死に絶えたころを見計らってフランスの批評家ヴィクトル・ジローが1926年に整理分類し題名をつけて発表した。人に見せないものに序があるわけはない。あくまでジローのセンスで章分けをし命名したものである。全文は23章と断章からなる。メモなので断片的・散文詩的に書かれている。そこで私は各章ごとに印象に残った名文句・肺腑をえぐる警句を少しばかり列記するに留める。小林氏が近代批評の先輩として、彼の批評技術・批評家魂に深く心髄していた形跡があるので全訳を行ったのであろう。

1.序に換えて
・ 「この手帖には濃い、毒薬の状態にある顔料がある。少しばかり薄めると、物を生動させる色彩が手に入るわけだ。」
・ 「此処にあるのは、むき出しのままの僕の思想だ。」
・ 「これは僕の兵器廠だ、ここでは僕は本当のことを語っている。」
・ 「僕の描く肖像画では賞賛は外観だ。批評が中身だ、海綿を圧してみたまえ、酸が出てくるだろう。」
・ 「もし人々が本当のことを大声で語り始めたら、社会というものは瞬時も持つまい。」
・ 「極めて寛大であるためには、あまりに鋭敏な」

2.自己について
・ 「僕は偽善者だが、何食わぬ顔をしている、そして名誉の事しか考えていない。」
・ 「あらゆる小説は,真のキリスト教に反する。」
・ 「僕の批評の仕事では、僕は自分の心を他人の心に当てはめようと努力している。」
・ 「文学において、僕は新しい土地の立派な目利きである。」
・ 「精神と眼との不思議な透視力を授かった。僕にとってはあらゆる人間がカメレオンのように透視できる。」
・ 「自分を愛すことも信じることも出来ない。その代り、贋物の偉さは直ぐ看破して憎悪する。」
・ 「僕には春も秋もなかった。乾いた、燃えるような、悲しい、辛い、一切を食らいつくす夏があっただけだ。」
・ 「有名になった大部分の人々は、売淫の状態で死ぬものだ。」

3.様々なる判断
・ 「僕の批評の慧眼は、忠実な詩人、尊敬すべき作家としての彼らの運命に結ばれていた。」
・ 「最近一番害毒を流したのは、美辞と宣伝と大言壮語とであった。」
・ 「ラマルチイヌは支配し飛翔する、ユウゴオは泥の中を歩く。彼らはもう歌いはしない、喋り散らしているのである。」
・ 「優美は、なにかしら繊細とは全く異なったものである。ユウゴウもジャナンもサンドも繊細というものが欠けている。」
・ 「わが国の詩人たちは、皆堕落を経験したのだ、そしてめいめい自分のもち場所に這いった。」
・ 「ユウゴウという腫れ上がった詩人、キネという騒々しい詩人。」

4.ヴィクトル・ユウゴウについて
・ 「僕はユウゴウの力を幼児の力でもあり、同時に巨人の力でもあるという。野蛮人の若い王様だ。」
・ 「ユウゴウは詩の押韻万能のかって見たこともない邪道に踏み込んでしまった。」
・ 「俗悪さ。白い大縄で縫い合わされた悪戯の塊」

5.ヴィクトル・クウザンについて
・ 「クウザンはほとんど人間ではない。流れる星、響く激流だ。避けて楽しもう。」
・ 「クウザンの文体は、いかがわしい挙動に満ちている。才能ある香具師、天才あるおっちょこちょいだ。」

6.ヴィルマンについて
・ 「ヴィルマンは魅力ある文学の才能を持っているが、裏側には厳しい意味で何もない。」
・ 「ヴィルマン。この卑しい根性曲がりは、華々しい才気で武装している。」

7.ギゾーについて
・ 「ギゾーの雄弁を誉めることは彼の文体を誉めることと同様、腹痛い。」
・ 「ギゾーを破滅させたものは傲慢であり、自信であり、ドクトリネルの特徴である。奴は誠実な陰謀家。」

8.恋愛と婦人について
・ 「苦痛は恋愛を消費し、憤慨は恋愛を破壊し、最後に無関心に達する。」
・ 「虚偽の世界では、正直な女ほど人を騙す。」
・ 「執念深い恩知らずの恋心に捉ったら我慢して黙従せよ、そして隙を見て止めを刺せ。」

9.ラマルチィヌについて
・ 「ラマルチィヌは詩のサルダナパロス、神の贈り物の最大の濫費者、放蕩者。」
・ 「政治的香具師と文学的実業家の第一人者」

10.ラムネェについて
・ 「彼の世界はいわば人間はどのくらいであわてて結婚するかその程度を示している不可思議な狂熱である。」

11.ベリェについて
・ 「詩人に生まれ、詩人になれなかった雄弁家があるとすれば彼だ。」

12.サンマルク・ジャルダンについて
・ 「ジャルダン、無神経な汚らしい心」

13.メリメについて
・ 「かれは確かに自省しすぎる、あまりに超然ぶる。欠けているのは情熱だ。」

14.アルフレッド・ド・ミュッセ
・ 「バイロン卿の叫喚と情熱的な調子を持っているが、同時にバイロンから傲慢と痴呆も受け取った。」

15.ジョルジュ・サンド
・ 「あらゆる種類の気取りや虚栄、誇張、騒動、本当に困りものだ。スキャンダルを犯しながら、崇高なことを書く。誰も信じまい。」

16.バルザックについて
・ 「バルザックは医者だ。わが国で一番多産な男は花も咲かせない肥料ばかりを積み上げる。」

17.ミシュレについて
・ 「最も不健康な公衆の衛生には一番いけない男、天賦の才もない衒学者。」

18.エドガル・キネについて
・ 「キネの詩はノアの洪水以前の時代、半分はライオンで半分は泥、尤も泥のほうが多いが。」

19.チェールについて
・ 「チェールには雄弁家の感動はあるが、文学や批評の分野では何となく窮屈で陳腐だ、そのうえ軽薄だ。」

20.自作について
・ 「僕がやっているのは、文学的博物史」
・ 「誰か他人を描くという口実の下に描きだすものは、いつも自分の横顔である。」

21.批評について
・ 「僕は偉人たちのか絵草子屋に過ぎない。僕はその人になる、文体さえもその人になる。」
・ 「人間をよく理解する方法はただ一つ、読めゆっくり読め、そうしている内に彼らは彼ら自身の言葉で彼ら自身の姿を描き出す。」
・ 「僕にとって、批評とは様々な精神を知る喜びであって、指導する喜びではない。」

22.哲学的感想 ・ 「自分で知っている事柄を研究し、自分の愛している人たちを見直す、これが成熟した人間の楽しみである。」
・ 「人は若いときには心の中に世の中があるが、年をとると少なくとも思想や感情は孤独を慰めるには足りなくなってきている。」

23.人生について
・ 「趣味のいい人はこれをしっかりとした肉感の粗野のなかで鍛え、精妙で自然な状態に保つことである。」
・ 「死の感情によって生を磨くこと。」
・ 「人生の後半でしくじらない方法は、過去は捨て去り、自分自身で自然で誠実で、自分が本当に愛しているものしか愛していると信じないこと。」

断章
・ 「やがて思想は喜びとは相容れないようになる。」
・ 「自分は人間を知ったと思うな。絶えず人間を知ろうとする必要がある。」
・ 「大部分の人々の才能というものは一つの欠陥となって終わるものだ。ただ生きるより仕方がない。全てが見えてしまう。」

環境書評  小宮山宏著 「地球持続の技術」 岩波新書 (1999年)

2006年12月23日 | 書評

東京大学工学部小宮山教授プロフィール
著者である小宮山宏氏は東京大学工学系化学システム工学教授で、地球温暖化問題の専門家である。東京大学工学部の教官が中心となる「東京温暖化ガス半減化計画THP」プロジェクトなるものを展開され、主にエネルギ問題から地球維持策を考えて2050年までに達成すべき具体策を提示された。悲観論から持続的発展楽観論を乗り越えて,エネルギ問題の解決策を考える注目すべき労作と言える。

地球環境とエネルギ問題
20世紀は間違い無く人類の爆発的発展期であった。それを支えたのは宗教ではなく、科学的方法論である。しかし自然環境の破壊が進行し、民族間の経済的利害対立から幾度と無く戦争を繰り返し、石油を始とする天然資源は枯渇の危機に瀕する事態となった。人類の生産活動は局地的には公害であったが、生産規模の拡大により地球環境問題が出現したのが20世紀末であった。「人類はこれからも生存できるのか」はまさしく杞憂ではなく、まじかに迫った問題である。人口の爆発は食料問題、生態系の保存問題、各国特に後進国の経済発展はエネルギ、天然資源(空気,水,自然環境を含む)の分配問題を発生させた。それに対してリオ宣言は地球の持続的発展のため人類がなすべき施策の必要性を訴えたが、はたして人類が持続できるという根拠は必ずしも明確ではない。

ビジョン2050プロジェクト
世界人口が60億から100億人に達し、石油が間違い無く枯渇すると予想される2050年までに人類が省エネルギ型の物質循環型社会を構築するために、本書はビジョン2050を提起した。先進国の資源使用量は飽和しており、すでに膨大な国内蓄積量が存在する。この蓄積を廃棄物とみるのでなく資源として利用すれば、毎年の新規需要量は蓄積物の再利用でまかなえるはずである。また再利用の方が製造に要するエネルギ使用量がすくない。品質からやむを得ざる場合のみ新規天然資源を利用するというのが小宮山氏の主張の骨子である。そのための技術開発課題を明確にしようとするのがビジョン2050プロジェクトで、
①エネルギ効率の三倍向上、エネルギ使用量1/3達成
②物質循環システムの構築
③自然エネルギの開発25%代替の三点を基本とし具体化を図るものである。
小宮山教授の提案には瞠目すべき点が多い。①の省エネルギ策は97年京都議定書の約束をどうして実行するかにつながる。そのためにはヒートポンプなど低密度エネルギ利用技術の推進のみならず、②の物質循環システムとの併用による製造省エネルギ策、③の自然エネルギ利用のすべてを動員しなければ空手形に終わりかねない。自家用自動車のハイブリッド化による省エネルギ策など私達に変革を迫る。プラスチック工業界には再利用が出来る製品設計(マテリアルリサイクル)、最終的には石油代替燃料としてのヒートリサイクルが求められる。日本では包装リサイクル法、家電リサイクル法等(最近は食品も)により循環型社会の構築が間違い無く我々の責務である。

ビジョン2050の提起する問題
しかしビジョン2050の施策と技術課題には考えるべき多くの問題が指摘できる。その第一は原子力発電問題である。石油資源の節約だけでは2050年以降の人類生存は保障されない。原子力燃料も天然資源であるが、うまく利用できれば500年のエネルギ問題は解決できるはずである。やはり原子力問題と真正面から向き合わざるをえない。第2は循環型製品の品質問題である。現在は天然資源の方が安く品質がいいため、リサイクル材料を利用する工業製品はまれである(鉄、アルミ、PET)。 循環材料の収集システムと回収技術など未解決技術課題が多い。この技術課題が解決するまで廃棄物を一時分別蓄積するシステムの提案などが求められる。