ブログ 「ごまめの歯軋り」

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北朝鮮の人権無視と棄民政策を糾弾しようではないか

2006年12月12日 | 時事問題
asahi.som 2006年12月12日16時46分
脱北日本人妻ら「日本に130人」 シンポで支援団体
「北朝鮮人権侵害問題啓発週間国際シンポジウム」が12日朝から東京都内であり、脱北者支援など北朝鮮の人権問題にとりくむ日米韓各国の非政府組織(NGO)関係者が参加した。
 「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の山田文明代表は、脱北し日本にきた元在日朝鮮人やその日本人妻は約130人いると明かし「日本に戻ってきた日本人妻らを支援する親族はほとんどいないのが実情。日本に定着できる社会のしくみが必要だ」と訴えた。

脱北日本人妻に暖かい支援を! 
北の人権侵害を調査すべき最大の情報源ではないか

 1950年代に北への帰国事業が夢をばら撒いて華々しく行われた。北朝鮮へ行った日本人妻は恐らく日本で朝鮮人と結婚し夫と北へ移ったものと見られる。彼女らが夫が死亡するなりして生活できなくなり、身寄りのなくなった北朝鮮から命からがら逃げて日本にたどりついた。彼女らの日本での生活を保護出来ないものか政府関係者に問いたい。北での生活は想像を絶する生活であったのだろう。戦前の東北地方の農村の疲弊に似た生活であったに違いない。このような北の棄民政策はどこからきたのか。
 北には実は経済政策の名に値するものは金日成の建国以来存在していなかった。経済計画とは即ち中ソからの援助を貰う計画に過ぎなかった。ソ連邦が崩壊し1990年以来冷戦が終了すると、北への援助は急減し最低限の配給制度も崩壊した。三百万人とも言われる餓死者がでた。この時点で実質北朝鮮は崩壊したといえる。あとに存在しているのは金一族と軍部の専制体制のみである。外交内政を司る政府らしいものは存在せず国という体も消失した。
 そして彼女ら脱北日本人妻らは北の生き証人ではないか。北の状況を分析する機会である。政府関係者は彼女らの生命生活を保証して情報を集める活動をすべきではないか。

ボット対策ソフトが総務省・経産省から出ました。

2006年12月12日 | 写真館
今朝のテレビでBOTボットウイルスに感染したパソコンが日本で40万台あることが報じられた。迷惑メールなどを無数に送りつけるウイルスらしいが、罹った本人は分らないので総務省・経産省が感染パソコンにはメールで連絡するらしい。
http://www.ccc.go.jpにアクセスしてCCCクリーナーソフトをダウンロードした。そしてチェックしたが幸い私のパソコンはBOTウイルスには感染していなかった。未だ駆除していない人はアクセスしたらどうですか。

「硫黄島」の渡辺謙 太平洋戦争の無意味さを語る

2006年12月12日 | 時事問題
asahi.com 2006年12月12日09時38分
「戦争、悲惨で無意味」、「硫黄島」主役の渡辺謙さん
 第二次大戦末期の硫黄島を舞台に旧日本軍の死闘を描いたクリント・イーストウッド監督の米映画「硫黄島からの手紙」で主役を演じた俳優の渡辺謙さんが11日、ニューヨークで報道各社とのインタビューに応じ、加害者、被害者という枠を超えて「戦争の悲惨さ、無意味さをきちんと知ることが大事だと感じた」と感想を述べた。
 渡辺さんが演じた栗林忠道中将は、硫黄島の守備隊総司令官として1カ月以上にわたる攻防戦を指揮した後に戦死した。渡辺さんは知米派とされる同中将について、グローバルな考え方を持っていたと説明した上で、「そういう人がとても生きにくい時代だったし、だからこそ最前線に送り込まれた」と分析。また、日本人は過去の戦争についてあまりにも知らないと苦言を呈した。(時事)

一番米兵に死傷者が多く出た「硫黄島」の戦い 知米派栗林忠道中将の無念を語る

米国をよく知る将軍として真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令官と知米派栗林忠道中将がよく語られる。山本は終始対米戦争反対、日独伊同盟反対を主張して失脚同然でリタイヤー職である連合艦隊司令官のとき太平洋戦争勃発となった。そして自ら死場所を求めて真珠湾攻撃を計画した。実行したのは南雲中将である。「硫黄島」の戦いで知米派栗林忠道中将もやはり硫黄島に死地を求めた。両者最初は極めて冷静に成果を上げたが、敵としてはいけない米国の圧倒的軍事力の前に玉砕した。生き難い時代を生きた侍であった。

漢詩   「漢詩の成り立ち」

2006年12月12日 | 漢詩・自由詩
漢詩は世界でも最も美しい文芸の一つであろう。それは日本においても奈良平安時代を通じて教養の最も重要な部分を占めてきたし、明治の森鴎外に見るように文筆家の文体の美を形作る物であった。日本の短歌、俳句などと並んで言語や感性の特色を構成してきた。我々日本人は悲しいかな唐時代の中国語の正確な発音を知る由もない(中国においても失われた発音であるそうだ)。漢詩という言葉は「漢時代の詩」という意味ではなく、広く中国の詩であり狭く捉えると「唐時代に確立された詩形」をいう。今回の「漢詩の詩形・・・そのリズムと美のあり方・・・」の表題は狭い意味での唐詩を指す事にする。末尾に私が勉強した参考文献を示しますので、興味のある方は詳細を勉強されるのもよいかと思います。

 漢詩の成り立ち
漢詩の美を構成する要素として[Ⅰ]詩人とその時代背景 [Ⅱ]主題とイメージ [Ⅲ]詩形とリズム [Ⅳ]史跡(和歌でいう歌枕) [Ⅴ]日本語読み(文語読み下し文)の美とリズムがあります。ここでは[Ⅰ]詩人とその時代背景と [Ⅲ]詩形とリズムを取上げて説明します。まず[Ⅰ]詩人とその時代背景について簡単に漢詩の成り立ちと歴史をまとめて漢詩を理解します。漢詩の成り立ちは大きくは次の2つに区分されます。

古体詩
唐以前に製作された詩や絶句・律詩の規則に従わない詩
近体詩
唐以降に作られた作詩法(押韻・平仄)に則って、絶句・律詩・排律の規則に従う。
漢詩の成り立ちを時代区分で4つに区別し、特徴と代表的な詩人を記します。

詩経・楚辞の時代
「詩経」は周の時代(紀元前10世紀から6~7世紀まで)の歌を孔子が編纂したと言われる。「曰く思い邪なし」風(国風)、雅(宮廷雅楽詩)、頌(先祖を祭る歌)の3つに分類される。全て無名の作品(伝承)である。分かりやすい「詩経」の本として海音寺潮五郎氏(中公文庫 1989年)の訳文がある。紀元前4世紀の戦国時代南方の楚の国に一人の詩人が現れた。屈原である。「楚辞」は楚の国の詩である。三言プラス休止形の「兮」プラス三言を一句とする典型的な形を持つ。屈原の詩「離騒」から末尾に「兮」を持つ詩体を「騒体」と呼ぶ。

漢・魏・普・南北朝の時代
紀元前2世紀から紀元6世紀ごろの中国は漢で統一王朝が出来たがすぐに分裂した。後漢の時代から魏の時代には「建安の七子」が気骨ある詩風を謳った。西普から南北朝にかけて国は破れ動乱が絶えず、無為・自然を尊ぶ老荘思想の影響のもとに「竹林の七賢」が清涼な詩が主流となった。この時代の代表的な詩人には項羽、高祖、曹操、陶淵明、謝霊運、斛律金がいる。日本人に一番親しまれているのは田園の詩人と言われる陶淵明であろう。

初唐・盛唐の時代
謳われる内容に深みが増すと同時に詩形の主流は五言詩(絶句・律詩)の近体詩が成立した。中国古典詩は芸術性にあふれる名詩が輩出した。7世紀初唐の時代には陳子昂、宋子問、王渤などが自由闊達な「風骨」が流行した。8世紀盛唐期に入ると詩の形式はさらに整えられ対句の決まりも確立され、強烈な美意識で深い思想を謳うようになった。この時期の代表的詩人には李白、杜甫、王維、王昌齢、孟浩然、王翰、高適、などの優れた詩人が澎湃し、まさに百花繚乱の時期を迎えた。

中唐・晩唐の時代
盛唐時代の安史の乱の終結から9世紀中頃までが中唐期、9世紀末までが晩唐期である。代の乱れを反映し杜甫の詩風を継承しながら政治批判や世相風刺の詩などが多い。代表的詩人には白居易、韓愈、銭起などの「唐宋八大家」、「大暦の十才子」が有名である。晩唐では杜朴、李商隠等の詩人が挙げられる。




環境書評 中西準子著 「環境リスク論」 岩波書店(1995年)

2006年12月12日 | 書評

リスク論とは何か
本書は環境問題の具体例として、半分量ほどを水銀問題(水俣病)と大気環境基準(ベンゼン等)に費やしているが、本質は新しい環境論の基礎をなすリスク論の原則を説くところにある。従来の公害問題の捉え方では広域未来型環境問題には対処しえないという認識が出発点になっている。その由来は米国の発ガン物質リスク評価への批判に基づくようである。非発ガン物質では従来の安全基準が適用されるが、無閾値モデルである発ガン物質リスク評価では10-6という確率を許容しうるレベルとする。これに対し中西教授は動物実験結果からリスク評価する際の不確かさをリスク論の本質とみて、化学物質の許容リスクレベルを科学的国民的合意により決定する社会の構築を目指して取り組んでおられる。
 リスク論はもちろん客観的にみてまだ曖昧な状態であることは論を待たない。行政は安全を繰り返し、環境保護団体は危険と不信の砦にこもっている。教授が提案される共通のエンドポイントとしての損失余命や種の絶滅係数は計算実例に説得性がなく、性質の異なるリスクの評価は滑稽でさえある。またリスク・ベネフィット論はまだ価値計算ができない場合が多いため定量性はない。
 しかしひとつのリスク回避のため膨大なエネルギーを使用したり、別のリスクに暫定的に置き換える愚をさけて合理的な判断を行なうためにはリスク・ベネフィット原則は不可欠である。以下に中西教授の言葉を示す。
「リスクの許容レベルは環境管理に振り向けられるその国の財力できまる。」
「我が国の環境行政はすでに被害の出てしまった水銀には無限の費用をかけ、その他の被害には目を向けなかった。だからこそ我が国では10や20とかの化学物質しか規制されていない。」
「リスク評価は不確かである。このいい加減さを知らずしてリスク論を振り回してはいけない。」