アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

象徴天皇制と民主主義―「平成」が深めた矛盾と課題

2019年04月27日 | 天皇・天皇制

     

 天皇の代替わりを目前に、メディア・巷間は異常な「天皇賛美」にあふれています。あからさまな礼賛ではないだけにタチが悪いものも少なくありません。例えば、保阪正康氏は、「元号のイメージ」と「個人としての天皇の性格」を分けるという奇妙な論法で、「平成の天皇は憲法上の象徴天皇像をつくり上げる役割を誠実に果たしたと言って語り継がれるだろう」(23日付中国新聞=共同配信)などと明仁天皇を礼賛しています。とんでもない話です。

 そんな中、明仁天皇(「平成」)が果たした重大な否定的役割と現在の天皇制の問題点、今後の課題を的確に指摘したものとして注目されるのが、渡辺治・一橋大名誉教授の「象徴天皇制と民主主義―憲法との矛盾広がった」と題した論考です(4月19日付中国新聞=共同配信)。以下、その要点を抜粋します(太字は引用者=私)。

 今の天皇の行動は現政権への批判に違いないと忖度し、積極的に肩入れする言論人や憲法学者も少なくない。しかし、ここには、象徴天皇制と民主主義という根本的な問題が含まれている。

 日本国憲法が天皇を象徴にしたのは、政治の全権力を天皇が握った明治憲法下で、植民地支配、侵略戦争が繰り返されたのを反省してのことだ。

 だが、憲法の中に天皇と国民主権が同居したことは大きな矛盾であった。保守政権は天皇の権威を政治の安定に利用しようと、憲法の認めていない行為に天皇を引っ張り出した。平成の時代になると、天皇側からの政治的行為も増大し、矛盾はますます大きくなった。

 平成の時代に高進した天皇制と民主主義の矛盾は二つある。第一は、国民の民主的選出によらない天皇の政治的言動が、政治に大きな影響を与えることである。天皇の「お言葉」や「お出まし」は違憲の疑いが強いが、既成事実となって次の天皇に引き継がれ、保守政権は大いに活用するだろう。

 第二の、より大きな問題は、天皇という権威に依存することで、国民が主権者としての責任と自覚をあいまいにし、問題解決を回避し続けることだ。戦争責任の問題、戦争しない国をつくる課題、原発や沖縄の基地問題は、国民自身が解決すべきである。

 今後の天皇制はどうあるべきか。憲法の目指す象徴天皇制に近づけることが、一つ目の課題だ。天皇の公的活動は厳格に国事行為に制限する方向で見直すこと。「皇室外交」などと称する公的外国訪問はやめるべきだ。どうしても行きたい所があれば、市民つまり私人として行けばよい。宗教儀式を「公的行為」として行うなど、憲法の人権規定に抵触する「伝統」は直ちに見直し民主社会の中に天皇制を埋め込むべきだ。

 二つ目の課題は、戦争責任などの問題について、天皇の「旅」や「お言葉」でお茶を濁すのではなく、国民が主権者として正面から取り組むこと、そうした政治をつくることである。

 それでも天皇と民主主義の矛盾は残るが、それを解消する道は、こうした営みの先にしかない。

 以上の渡辺氏の指摘はたいへん重要です。
 ただ、2点付言します。1つは、天皇の「慰霊の旅」や「沖縄訪問」「被災地訪問」などは、「お茶を濁す」以上に危険な役割を果たしてきました。それは政権の反国民的政策の隠ぺいであると同時に、植民地支配・侵略戦争責任の棚上げであり、今日における「皇民化政策」ともいえるものです。正面から厳しく批判する必要があります。

 もう1つは、これがより根本的な問題ですが、「天皇と民主主義の矛盾」、それは現行憲法の矛盾ともいえますが、それを「解消する道」は、上記「二つの課題」の「先にしかない」という点です。それはけっして段階論ではないはずです(渡辺氏の趣旨も)。
 「二つの課題」に取り組みながら、主権在民・民主主義とは根本的に相いれない天皇制(象徴天皇制)は廃止する、その方向への議論と運動を同時並行的にすすめる。それが必要なのではないでしょうか。


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