アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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明仁天皇「ビデオメッセージ」と「教育勅語」

2019年04月15日 | 天皇・天皇制

     

 明仁天皇・美智子皇后の「被災地訪問」や沿道の「国民」への「手振り」などをメディアは「平成流」ともてはやしています。確かに明仁天皇は裕仁天皇とは違う手法を使ってきました。しかしそれは、けっして賛美されるものではなく、憲法の「象徴天皇制」の原則を逸脱したきわめて危険なものであることに留意する必要があります。

 その最たるものが、天皇がテレビの「ビデオメッセージ」で「国民」に直接語り掛ける手法です。

 明仁天皇の「ビデオメッセージ」は2回ありました。1回目は「3・11東日本大震災」直後の2011年3月16日。2回目は「生前退位」の意向を表明した2016年8月8日です。

 天皇の「ビデオメッセージ」は憲法が定める国事行為でないことはもちろん、「公的行為」(仮にそれを認めるとしても)は「内閣の助言と承認」(憲法3条)によらねばならないとする原則(憲法学会の定説)にも反する違法行為です。

 同時に重要なのは、それがたんに違法であるばかりか、大日本帝国憲法(天皇主権)の戦前回帰に通じるものだということです。

 原武史氏(放送大教授)は、1回目の「ビデオメッセージ」について、「天皇がテレビを通して一般国民に直接メッセージを伝えたのは、これが初めて」であり、それは「天皇が政府や国会、地方議会などを媒介とせず、直接国民との一体感を強調した」ものと指摘。天皇が震災後、関係者を次々皇居に呼んで聴聞したことを含め、「まるで『昭和』(正確に言えば「戦前」)が復活したような錯覚にすら襲われます」(『平成の終焉―退位と天皇・皇后』岩波新書2019年3月)と述べています。

 さらに注目されるのは、三谷太一郎氏(東大名誉教授)が明仁天皇が直接「国民」に語り掛けることは「教育勅語」の手法に通じるものだと指摘していることです。

 三谷氏は、「象徴天皇制は将来に向かっていかにあるべきなのか」と問いかけて、こう述べています。
 「天皇は自らの意思を主権者である国民に対して直接に伝えることが可能なのか、可能であるとすれば、それはいかなる方法によるべきなのか。この問題はすでに述べたように、実は今から127年前、1890年に『教育勅語』を天皇が自らの意思表示の形式で当時の臣民に対して直接に伝達するに際して、『教育勅語』と憲法の両方の起草に深く関わった法制局長官井上毅が最も脳漿(のうしょう)を絞った問題でした。今やそれは現天皇の直面する問題であるとともに、主権者である国民全体の問題でもあるのです」(『日本の近代とは何であったか』岩波新書2017年)

 三谷氏の同著によれば、井上は「憲法に拘束される立憲君主としての天皇は、『教育勅語』に体現される道徳の立法者としての天皇と両立しうるのか」という問題に苦悩。その結果、「教育勅語は国務大臣の副署をもたないものとなり、それによって立憲君主制の原則によって拘束されない絶対的規範として定着するにいたった」「国務大臣が責任を負わない、天皇自らの意思表明という形式の勅語」となったのです。

 三谷氏は明仁天皇の「ビデオメッセージ」にこの「教育勅語」の位置づけ・手法を想起したのです。

 三谷氏は元宮内庁参与で、明仁天皇が初めて「生前退位」の意向を明らかにした参与会議(2010年7月22日)にも出席しており、天皇による「生前退位」の表明は「戦後の日本国憲法が当面した最大の問題」だと苦悩した人物です(写真右。3月25日のブログ参照)

 「天皇は自らの意思を主権者である国民に対して直接に伝えることが可能なのか」。明仁天皇が独断専行したこの問題は、三谷氏が指摘する通り、憲法の根本にかかわる問題であり、「象徴天皇制」のあり方を考える(もちろん廃止を含め)上できわめて重要な、「主権者である国民全体の問題」です。

 

 


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