アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

明仁天皇と「琉球併合」

2019年04月08日 | 沖縄と天皇・天皇制

     

 「140年前の琉球の人々が今の沖縄を見たら何と言うだろうか。当時から連綿と続く植民地支配のにおいをかぎ取るに違いない」
 琉球新報は社説(4日付)で、140年前の「琉球併合(琉球処分)」以来、沖縄の軍事植民地化が今日まで継続している実態をこう告発しました。

 その「琉球併合」に元号が重大な役割を果たしたことは先に見ましたが(3月26日のブログ参照)、見過ごせないのは、まもなく退位しようとしている明仁天皇も、たんに天皇(明治天皇のひ孫)として「琉球併合」に連なっているだけでなく、直接的な関係もけっして浅くないことです。3点挙げます。

 ①   処分官・松田道之を激励したアジア植民主義者・福沢諭吉の思想を叩き込まれる

 福沢諭吉は巷間言われているような評価とはまるで逆に(特に後期)、アジア植民主義者、朝鮮・中国蔑視者であり、明治天皇制政府のアジア侵略・植民地支配を理論・言論分野で先導しました。

 「琉球併合」に関しても福沢は、処分官・松田道之に書簡を送り(1880年3月4日)、琉球支配の方法を直接伝授しています(『福沢諭吉全集第17巻』岩波書店所収)(2018年2月3日ブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20180203)。

 明仁天皇は少年期の教育係・小泉信三(福沢に傾倒する元慶應義塾学長、写真中の左)から「帝室論」「尊王論」を中心に福沢の思想を徹底的にたたきこまれました(2018年3月1日ブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20180301)」。

 明仁天皇は、小泉信三、福沢諭吉を通じて、「琉球併合」・アジア侵略・植民地支配と思想的につながっていると言っても過言ではないでしょう。

 ②   度重なる「沖縄訪問」で皇民化・同化を図り、「最後の訪問」は「琉球併合」の日

 明仁天皇は皇太子時代を含め11回沖縄を訪れました。これを「沖縄に寄り添っている」と評する向きがありますが、逆です。11回の訪問の中で、沖縄戦で沖縄を「捨て石」にし、敗戦後も保身のため沖縄をアメリカに売り渡した実父・天皇裕仁の責任に言及したことは一度もありません。

 裕仁が「国体(天皇制)護持」のために行った「全国巡幸」でも行くに行けなかったのが沖縄。その裕仁に代わって沖縄に出向き、県民の天皇・天皇制に対する批判を抑える役割を果たしてきたのが明仁天皇(皇太子)の「沖縄訪問」の本質です。それはいわば今日における「琉球の皇民化・同化政策」と言えるでしょう。

 その仕上げともいえる最後の沖縄訪問が2018年3月27日。なんと139年前に松田道之が武力で首里城を制圧したまさにその日だったのです。これはけっして偶然とは思えません。

 しかもその日は、安倍政権が八重山諸島に配備しようとしている「日本版海兵隊・水陸機動団」が発足した日でもありました。重大なその日に、天皇・皇后は沖縄を訪れ、「県民の歓迎」を受けたのです。

 ③   「盗骨」を主導した人物の「進講」に影響受ける

 大学による「盗骨」が日本の植民地主義を今日に引き継ぐ重大問題であることは先に述べましたが(3月23日のブログ参照)、この「盗骨」にも明仁天皇は無関係ではありません。

 『大学による盗骨』(松島泰勝・木村朗編著、耕文社)によれば、明仁天皇は皇太子時代の1958年7月(明仁24歳)、北海道大学を訪問しました。その際、アイヌ民族の遺骨を「盗骨」した中心人物である人類学者の児玉作左衛門から説明を受けました。その直後の記者会見で明仁皇太子はこう述べています。

 「[アイヌは]意外に[色が]黒かった。白色人種の系統だからもっと白いと思っていたんですが、ギリヤーク[ニブヒ]、オロチョン[ウィルタ]となると日本人とは区別がつきません」(北海道新聞1958年7月7日付)

 これについて前田朗・東京造形大教授はこう指摘しています。
 「アイヌを白色人種としているのは、当時の児玉の持論を真に受けたものである。
 大日本帝国時代も、現在の日本国憲法体制になってからも、天皇及び皇太子が、北大におけるアイヌ民族の盗掘の成果を『学問』として謹聴し、差別思想の正当化に大きな役割を果たした」(前田朗氏「学問という名の暴力」、『大学による盗骨』所収)(明仁皇太子に先立ち、天皇裕仁は1936年と54年の2度北大を訪れ、いずれも児玉の「説明」を受けています―同前田論稿より)

 「アイヌの盗骨」と「琉球の盗骨」の根は1つ、日本の植民地主義です。

 明仁天皇は皇太子時代から、植民地主義の教育を様ざまな人物から教え込まれ、今日にいたるもその反省を一言も口にすることなく、天皇として行動し続けてきたのです。


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