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「シングルマザーの恋人や再婚相手が、シングルマザーの連れ子を虐待する事件。この事象に何らかの名前を付けたい。…名付けることで注目され、困窮するシングルマザーのケアにもつながるのではないかと思うんです。パッとわかりやすい名前がないゆえに、問題が放置されている気がする。…「セクハラ」とか「ヤングケアラー」みたいに、できれば英語で、わかりやすく呼びやすい名前がいいです」(同朝日新聞デジタル)
一方、映画「PLAN75」の早川千絵監督(45)は、「いまの日本、早川さんが名付けると、何社会ですか?」という質問に、こう答えている。
「いまの社会をネーミングするのは難しいですね。そうやってキーワードやわかりやすい短い言葉で表現されすぎていることに、抵抗、違和感があります。なんとか社会という言葉ですべてが語られていると思うのは、危険な気がして。ここからこぼれ落ちてしまうものがすべてないものとされたり、わかりやすい言葉で言った瞬間に問題がわかったような気になったりすると、考えることをやめてしまう。SNSで短い言葉が生産されるようになった故に、短絡的な考え方が増えている気がします」(6月27日の朝日新聞デジタル、写真も)
酒井氏、早川氏、どちらもなるほどと思う。それだけ言葉、とりわけ名付けの力は大きい。諸刃の剣だ。早川氏が警鐘を鳴らす通り、とりわけ「危険」なのは、国家権力が意図的に流布させている「名付け」だ。
「従軍慰安婦(実際は戦時性奴隷)」「集団自決(強制死)」「臨調行革(公共資源払下げ)」、近くは「反撃能力(敵地攻撃能力)」、そもそもの「日米安保(従属的軍事同盟)」「自衛隊(日本軍)」。枚挙にいとまがない。
いま、もっとも要注意なのが、「民主主義」という名付けだ。
アメリカは中国、ロシア、朝鮮民主主義人民共和国などを「権威主義国家」、自らをはじめG7を「民主主義国家」と名付けて二分する。日本の政府やメディアはそれをオウム返しする。「権威主義」には悪のイメージ、「民主主義」には正義のイメージが付く。
しかし、外ではウソをついて他国を侵攻・侵略し、内ではさまざまな差別が後を絶たないアメリカが「民主主義国家」であるはずがない。そのアメリカに追従して憲法の諸原則を蹂躙して恥じない日本も「民主主義国家」であるはずがない。
しかし日本人は、「民主主義」という「わかりやすい言葉」が使われた瞬間に、「問題がわかったような気になって考えることをやめてしまう」のである。
「民主主義」とは何なのか。
プレイディみかこ氏は、「民主主義とアナキズムとエンパシーは密接な関係で繋がっている。というか、それらは一つのものだと言ってもいい」(『他者の靴を履く』)と述べている。
「アナキズム」は「無政府主義」と名付けられてきた。これも国家による名付けだ。その「分かりやすい言葉」によって「恐ろしいもの」という印象を植え付けられ、それ以上の思考を停止させられてきた。しかし、その名付けは誤り(国家による意図的誤訳)で、実は「無支配主義」というべきだと最近分かった。
国家の名付けによる思考停止を打破し、「アナキズム」について、とりわけ「アナキズム」と「民主主義」の関係について学び考えることが、目下の私の重要テーマだ。