「佐渡島の金山」(写真①)に行ってきました。日本政府がユネスコ世界遺産登録時に約束した朝鮮半島出身者(以下朝鮮人)に関する「新たな展示」が実際どのように行われているか確かめるためです。
「佐渡金銀山の旅はここからはじまる」。「きらりうむ佐渡」(写真②)のパンフレットの表紙にはこう書かれています。「きらりうむ佐渡」とは、「現地見学の拠点としてその魅力を伝える目的で」(同館HP)2019年に開館した施設です。レンタサイクルや見学コースの紹介など文字通り金山遺跡見学の拠点です。館内には有料の展示室もあります。
ところがその展示室は、江戸時代から明治始めの紹介に特化しており、朝鮮人労働者については一言も触れていません。
朝鮮人労働者についての「新たな展示」が始まった(7月28日から)のは、「きらりうむ佐渡」から自転車で10分ほどの所にある「相川郷土博物館」(写真③)です。博物館自体は1956年に開設されました。
同館は2階建て、5つの展示室があります。離れの2階のD展示室の1つの部屋が「朝鮮半島出身者を含む鉱山労働者の暮らし」と題した展示場です(写真④)。展示内容は以下の通りです。
▷パネル3枚(①朝鮮半島出身者を含む労働者の出身地②相川の鉱山労働者の暮らし③朝鮮半島出身者を含む労働者の戦時中の過酷な労働環境)
▷資料(複写)5点<①佐渡鉱業所半島労務管理ニ付テ(1943年)②半島人労務者ニ関スル調査報告書(1940年)③特高月報 昭和十五年三月分④特高月報 昭和十七年一月分⑤煙草配給台帳 昭和十九年十月>
▷地図2点(①相川地区の朝鮮半島出身労働者関連施設跡地への行き方案内(寮や共同炊事場跡)②朝鮮半島出身労働者関連施設の地図)
▷展示物Ⅰ点(鉱山で使用した弁当箱)
これらの展示内容には、「朝鮮半島出身労働者の総数は約1500人であったと記録する文書がある」との記述や、朝鮮人労働者が日本人労働者に比べいかに危険な場所で働かされたかを示す表=写真⑤、「待遇改善」を要求」した朝鮮人が「即日」弾圧されたことを示す記述など、朝鮮人労働者が置かれていた過酷な実態がうかがえます。
そうした注目点はあるものの、この「新たな展示」にはきわめて多くの問題点があります。簡潔に箇条書きします。
①展示場所が離れの2階の1室で、片隅に追いやられている。
②館内に入ってすぐのA展示室に「佐渡鉱山の歴史」の大きな年表があるが、そこには朝鮮人労働者に関する記述はまったくない(例えば1939年の半島から動員開始など)。
③展示スペースが狭く、展示物が少ない(弁当箱は朝鮮人労働者が使用したとも記述されていない)
④世界遺産登録にあたって焦点になった「強制労働」の記述はまったくない。
⑤韓国市民団体などが要求している「半島労務者名簿」(新潟県立文書館に保管)は公開されていない。
⑥3枚のパネルにはすべて英語の訳文がつけられているが、肝心なハングルの訳文はない。
⑦「関連施設への行き方案内」が別紙印刷されパンフレットに織り込まれていることは評価できるが、地図が不明確(不親切)でたどり着けない(地元の人たちに聞きながら探したが、分かったのは4カ所のうち「第三相愛寮跡」だけだった(写真⑥)。地元の人たちも朝鮮人労働者の関連施設跡の存在をほとんど知らない)
⑧展示室には上記のほかに実はもう1点展示がある。それは岸田首相が2023年5月にソウルで行った記者会見で「心が痛む」などと述べた文章が首相の写真と共に額縁に入れて飾ってある。政府の露骨な圧力を感じる。
⑨そもそも「金山」見学の拠点である「きらりうむ佐渡」に朝鮮人労働者に関する展示・記述がまったくないのは大きな問題。「相川郷土博物館」の展示を充実させるとともに、「きらりうむ佐渡」でも必要な展示を行わなければならない。
このままでは軍艦島(長崎・端島)の二の舞いです。以上の諸問題を抜本的に改善し、朝鮮人労働者の過酷な強制動員・強制労働の実態を、現存するすべての資料を使って示さなければなりません。そうして日本人はじめ訪れた人が「佐渡金山」の歴史を日本の植民地支配の歴史と関連付けて学ぶことができて初めて「世界遺産」と言えるのではないでしょうか。