アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「秋篠宮長女結婚」問題の核心は天皇制の是非

2021年10月25日 | 天皇制と憲法

   

 秋篠宮家の長女・眞子氏の結婚問題をメディアは連日大々的に報じてきました。それは量・質ともに異常で、日本のメディアの劣化を象徴的に示すものです。

 「識者」のコメントの中には、「天皇や皇族が自分の意志を持ってそれを貫きたいと思う時、それと国民の反応をどう折り合いを付け、バランスを取っていくのか」(河西秀哉名古屋大大学院准教授、9月8日付中国新聞=共同)が課題だという問題の危険な矮小化もあります。

 この問題の核心は、皇族に憲法上の人権が保障されていないことです。

 秋篠宮は昨年の誕生日会見(2020年11月20日)でこう述べました。
憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」(宮内庁HP)

 これは皇嗣である秋篠宮が、皇族にも憲法が適用されるべきだと公言したものとして注目されます。 

 この発言に正面から異を唱える人はまずいないでしょう。であるなら、これは個人の結婚の問題であり、メディアやそれに煽られた市民が「賛成・反対」で大騒ぎするのはよけいなお世話、人権侵害も甚だしと言わねばなりません。

 結果、眞子氏はPTSDと診断され、一時金(1億5千万円)を辞退するに至りました。眞子氏に憲法24条の「婚姻の自由」は事実上保障されなかったのです。

 なぜこういうことになったのか。それは彼女が皇族に生まれたから、それが唯一の理由です。つまり秋篠宮の憲法発言は建前論であり、実際は 皇族に「婚姻の自由」はないということです。

 それはもちろん眞子氏だけではなく、また女性皇族だけでもありません。男性皇族の場合は皇室典範で、「皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する」(第10条)と定められています。この過程で様々な調査が行われ、結婚相手が選別されます。

 また、皇族に保障されていない憲法上の諸権利は、「婚姻の自由」だけでないことも周知の事実です。皇族には、移動の自由、職業選択の自由、言論・集会の自由などの基本的人権はありません。

 立憲主義といわれている日本の社会に、憲法の基本的人権が保障されていない特別な一団が公然と存在するのです。きわめて異常な現実と言わねばなりません。

 これは皇族だけの問題ではありません。基本的人権の保障に例外をつくることは、憲法体系・民主主義体制に風穴を開けることに他ならず、その影響は重大です。

 皇族に憲法上の人権が保障されていない問題は、必然的に天皇制そのものの是非を問い直すことに直結します。なぜなら、天皇制を温存したまま皇族に基本的人権を保障することは不可能だからです。

「そういう不条理な制度をつくったのは、憲法(とりわけ第一条、第二条)なのであって、憲法自体を改めなければならないのである。個別の取り極めを違憲だと決めても片付くものではない。きつい言葉で言えば、それはお門違いである。

 皇室典範の個々の規定を個別に改正して事態を収拾しようとする政策に頭から反対するつもりはない。しかし、これは対症療法でしかなく、暫定措置的な効果が期待されるにすぎない。天皇制(天皇家)が憲法上の制度たるをやめないかぎり、(皇族の―引用者)不自由・拘束は遺憾ながら制度とともに付いてまわらざるを得ない」(奥平康弘著『「萬世一系」の研究(下)』岩波現代文庫2005年)

「秋篠宮長女の結婚」が投げかけているのは、まさにこの問題にほかなりません。

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