アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「皇室外交」・天皇インドネシア訪問の危険な政治性

2023年06月17日 | 天皇制と憲法
   

 徳仁天皇と雅子皇后は17 日から即位後初の「皇室外交」(エリザベス英女王葬儀などは除く)として、インドネシアを公式訪問します。
 メディアは「両陛下で模索する「新しい皇室」インドネシア訪問、その一歩に」(15日付朝日新聞デジタル)など賛美一色です。しかし、この「皇室外交」には見過ごすことが出来ない問題がいくつもあります。

 そもそも天皇は、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(憲法第4条)のであり、その「国事に関する行為」(国事行為)は憲法第6条、7条によって12項目に限定されています。この中に「外国訪問」はありません。天皇・皇后の「公式外国訪問」はそれ自体が憲法違反なのです。

 そこで歴代自民党政府は、外国訪問は「私的行為」でも「国事行為」でもない「天皇としての行為」=「公的行為」だとして強行してきました。

「天皇を外交上元首として扱ったり、さらには制度化されていないいわゆる天皇の「公的行為」の拡大によって天皇の政治性、権威性をさらに高めようとする試みが行われている。その例としては…国会開会式への出席と「お言葉」…植樹祭や国民体育大会への出席…たび重なる「皇室外交」などをあげることができる。多くの憲法学者が違憲とするこのような「公的行為」の拡大が天皇の権威性を高めるための巧みな政治的演出であることは言うまでもない」(舟越耿一・長崎大教授『天皇制と民主主義』社会評論社1994年)

 政府(宮内庁)は、「政治とは一線を画す意味合いから、「皇室外交」という言葉は使わない。「国際親善」としている」(15日付朝日新聞デジタル)といいます。そうした姑息な言い換えをしなければならないのは「皇室外交」が憲法違反だからです。

 さらに問題なのは、「皇室外交」が「天皇の権威性を高めるための政治的演出」にとどまらないきわめて危険な政治性を持っていることです。その意味は2つあります。

 1つは、天皇裕仁・日本の戦争責任の隠ぺい・風化を図ることです。

 徳仁天皇は何かにつけ父・明仁上皇を模範としていますが、明仁氏が皇太子時代に裕仁に代わって行った外国訪問、天皇になって美智子皇后と繰り返した「慰霊の旅」の最大の特徴は、日本がかつて裕仁の下で侵略した国々で、その犠牲者に対する謝罪は一切行わず、戦死した日本兵の「慰霊」に終始したことです。

 もう1つは、「皇室外交」が時の政権の政治戦略に沿った「天皇の政治利用」になっていることです。

 たとえば、明仁天皇・美智子皇后は2016年1月にフィリピンを公式訪問しましたが、その半年前、安倍晋三首相(当時)はフィリピンを訪れ、自衛隊とフィリピン軍の「共同演習・訓練の拡充」で合意しました。まさに日米比軍事一体化が政治的焦点だった最中での天皇・皇后のフィリピン訪問だったのです。

 今回の徳仁天皇・雅子皇后のインドネシア訪問はどうでしょうか。

 第1に、インドネシアはかつて帝国日本が占領した国です(1942年3月)。倉沢愛子・慶応大名誉教授によると、「日本軍によって軍用飛行場などで強制労働を強いられた労務者は約400万人」(15日付朝日新聞デジタル)にのぼります。

 徳仁天皇は今回、ジャカルタにある「独立戦争を戦った残留日本兵の墓地」に供花する予定です。一方、日本の侵略の犠牲となった労務者らの墓地・慰霊碑を訪れることはありません。
 倉沢氏は、「日本兵に半強制的に働かされたインドネシアの労務者らの慰霊こそ大きな意味がある」(同)と指摘しますが、徳仁天皇の予定にそれはありません。まさに明仁天皇の「慰霊の旅」の二番煎じです。

 第2に、岸田政権は今回なぜインドネシアを訪問先に選んだのでしょうか。
 報道では以前から招待を受けていたことや飛行時間が短いことなどが挙げられていますが、政府の正式な発表はありません。

 インドネシアはグローバルサウスの中心国の1つです。その立場から、先のアジア安全保障会議でもウクライナ戦争を即時停戦させるための和平案を提示しました(写真右)。ウクライナ政府はこれを即座に拒否しました。

 グローバルサウスをG7 陣営に引き込むことは、ウクライナ戦争をめぐって、さらには今後の世界情勢において、米バイデン政権とそれに追随する岸田政権の重要課題です。
 今回の天皇・皇后のインドネシア訪問が、そうした政権の政治的思惑と無関係だとは考えられません。
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