アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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自民総裁選キャンペーンに加担する「識者」の責任

2024年09月17日 | 政権とメディア
  

 自民党とマスメディアの二人三脚(共謀)による自民党総裁選キャンペーンはますますエスカレートしています。予想通りとはいえ、目に余ります(8月22日、9月5日のブログ参照)。

 その元凶はもちろん自民党とメディアですが、メディアに登場して総裁選について論評している「学者・識者」の責任も見過ごせません。テレビのワイドショー常連の「御用学者・評論家」は論外とし、ここではいわゆる「リベラル」とみられている学者の論評を検証します。

 中島岳志・東京工業大教授(政治学)は13日付京都新聞(共同配信)で、「政局より大きなビジョンを」との見出しで寄稿しています。

 中島氏は、自民総裁選を「実質的に、次の日本のかじ取り役を決定する選挙である」と断じ、だから「政局だけでなく、ビジョンを争ってほしい」と要求。「争点はどこにあるのか?」として、「自助を強調する自己責任型の政治」か「共助・公助を重視する再配分強化型」かだとしています。

 そして石破茂氏と小泉進次郎氏の主張を詳しく紹介し、「大きな政治の軸を巡って論点を提示し、他の候補者も絡む形で、議論が活発に行われることが望ましい」と結んでいます。

 大西充子・法政大教授(社会学)は、13日に日本記者クラブが主催した候補者討論会での石破氏と小泉氏の発言を比較し、こう評しています。

「野党の疑問や指摘にどこまで正面から向き合って答えるのか、そこで何を語るのか、少なくともそこまでが示されたうえではじめて、この内閣にそのまま政権を任せてよいのかの判断材料を国民が多少とも得ることができると言えるでしょう」(14日付朝日新聞デジタル)

 両氏の論評に共通しているのは、自民総裁選を「実質的に」次の首相を選ぶ選挙だとし、そのために何を「争点」にすべきか、誰が次期首相にふさわしいかを論じていることです。
 NHKなども「事実上、次の首相を選ぶ自民党総裁選」というワードを繰り返しています。メディアが総裁選報道に狂奔している言い訳もおそらくこれでしょう。

 しかし、ここには重大な落とし穴があります

 それは、自民党総裁を選ぶのはあくまでも自民党国会議員と自民党員であり、一般市民・有権者ではないという厳然たる事実です。その意味で、総裁選は自民党の内部問題であるという枠を一歩も出ることはできません。

 にもかかわらず、「争点はどこにあるのか」「そのまま政権を任せてよいのか」「判断材料を国民が得る」などと論じることは、まるで自民総裁選が一般市民もかかわる(参加する)選挙であるかのような錯覚を与えます。

 それはたんなる錯覚にとどまらず、近く必ず行われる総選挙において、総裁選で選ばれた者が率いる自民党がやはり次も政権を担う政党であるかのような印象(イメージ)を与えます。それが総選挙で自民に有利に作用することは必至であり、そこにこそ自民党の狙いもあります。

 首相はあくまでも「国会議員の中から国会の議決で」(憲法第67条)指名されるのであり、その国会は「全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(同43条)。これが主権在民の議会制民主主義です。

 自民党という1政党の党首選挙(総裁選)で首相が決定するとする報道・論評は、議会制民主主義を形骸化させるものに他なりません。「実質的に」とか「事実上」という前置詞を付けても言い訳にはなりません。

 こうした重大な問題点を捨象し、自民党の膨大な宣伝に手を貸している総裁選キャンペーン。メディアとともにそれに同調している「学者・識者」の責任もきわめて重いと言わねばなりません。

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