角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

角館400年祭。

2011年06月17日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ22cm土踏まず付き〔四阡円〕
茶系の統一ですが、色合いが明るいので楽しそうな草履に見えますね。洋風なイメージも、ときにはイイでしょう。まさに洋風なベース生地は、こちらになります。



今日6月17日は、二年前に叔母が亡くなった命日です。三回忌は真夏が過ぎてからの予定で、今日のところは朝一番にお墓参りをしてきました。
すると角館散歩マップを片手に、いかにも観光と思しきご夫婦がお寺を訪ねてお出でです。私を見つけるなり、『佐竹北家の墓所はどの辺りですか?』。

少し返答に詰まったのは、佐竹北家の墓所は公開していないんですね。世が世なればお殿様のお墓ですから、一般人の私たちと同じような場所にはありません。本堂と母屋の渡り廊下で遮られた位置にあり、私も角館歴史案内人講習会で一度拝見しただけです。
こちらのご夫婦にもそんなご説明をして、代わりと言ってはなんですが、戊辰戦争で角館の地に眠ることとなった新政府軍の墓所をご案内しました。

関ヶ原の合戦後、佐竹家が常陸から秋田へ国替えとなって、およそ400年になります。最近の地元紙に「六郷と佐竹家」の記事が多くなっているのは、常陸佐竹家の先代当主であった佐竹義重が六郷に入り、間もなく400年を迎えるからなんですね。「鬼義重」の異名をとるほどの猛者であった佐竹義重、晩年の六郷暮らしはどんなものだったのでしょう。

佐竹義重の後継である義宣は、秋田佐竹家の初代当主です。角館は佐竹北家として明治を迎えるのですが、最初に角館の町割りをしたのは佐竹家ではなく、義宣の弟で芦名義勝なんですね。詳しい人に訊いてみるつもりですが、九年後の2020年に義勝による角館町割り400年を迎えるんじゃないかと思うんです。

まだ少し先の話ですが、大きなイベントになりそうな予感はありますね。
コメント
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