あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 騒動を起したる小作農民に、何で銃口を向けられよう 」

2017年12月04日 11時08分48秒 | 大岸頼好


大岸頼好
中尉

昭和五年頃は
全国の農村のいたるところで
頻々と小作争議が発生していた。
この年の夏、
仙台の大岸中尉に呼ばれた末松少尉は、
大岸から次のような話を聴かされている。

木曽川流域でも
小作人が川の堤防を切り崩して、
地主の田畑を水びたしにする騒動があって、
軍隊が鎮圧に出動したことがあった。
このときの状況を部隊の下士官だった分隊長が日記をつけていた。
「 もし小隊長が農民に射撃を命じたら、
果して自分は部下に射撃号令をかけることができたであろうか。
自分もそうだが、部下もその多くが小作農民の子弟である 」
大岸中尉は
わざわざ青森から招いた末松少尉にこの話をしながら
「 社会の根本的改革をしなければ兵の教育はできない。
軍隊は存立し得ない。
いま 軍当局は 良兵良民
を強調するが、
これはむしろ 良民良兵 でなければならない 」
と いう趣旨を語り
末松も共鳴している。
この挿話を階級的対立として軍隊存立の危機とみるのが当然だろうが、
小作人に生活の権利が保証されていない悲劇である。
地方聯隊の兵の多くは小作人の子弟であった。
尽忠報国の義務を課せられながら、
一旦事ある場合にも生命の保証されない兵、
しかも その兵である青年を軍隊にとられて、
残された家族の生活の権利さえも保証されていない社会、
それでも争議や一揆があれば軍隊は治安維持のために出動をして、
時には親兄弟に銃口を向けることさえないとは限らない。
小作人の子弟であった兵が、
同じ苦しみに喘ぐ小作人たちに銃口を向けることは、
その苦しみを知るが故にできるはずはなかったのである。

暁の戒厳令  芦澤紀之 著 から