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村中孝次 川島義之
昭和9年10月5日の新聞報道
粛啓壮候。
大命一下 非常時局に於て國軍統督の重責に任じて立たるゝや、
早くも首相と會見し、
國體問題、國防問題に關し堅確なる所信を闡明せられたる閣下の烈誠決意は、
國家の爲め寔に景仰欣賀に不堪る所に御座候。
御就任後二週目、愈々大英斷の實行期に入るべきを予測し、
當初の第一歩に於て國軍盤石の基礎を堅確に打ち建てらるゝこと千願萬望に不堪候間、
僭越を不願以 下 些か卑見を申上げ、御参考に供し奉り候。
一、國體明徴の維新的徹底解決に向ひ直往邁進するを以て終始の大方針となし、
之れが爲め先づ陸軍上部の更始一新的人事を斷行し、
内外に向つてする皇道宣布の實力的核體たるの基礎を確立せらるゝを要す。
一、永田事件直後責任者 及 同事件發生の直接原因たる十一月事件、
教育總監更迭問題等の責任者を、遅くとも相澤中佐の豫審終結時迄に處置せらるゝを要す。
進退出所公明を欠き臣下の節を過るに於ては、
上大元帥陛下を蔑にし奉り、下軍紀を紊亂破壊するの罪 軽からず、
責任の所在を明かにすることなく、荏苒空過して相澤中佐の公判開廷に至らば、
世人囂々ごうごうの非難は陸軍に對し集中し、収拾し得ざる破局に堕ちるべし。
急速を要す。
以下是れを細説す。
一、左記各官は統帥權干犯問題に於ける陸相 竝 參謀總長の輔佐官として、
永田事件發生と共に即時引責すべかりしものなり。
速急に辭職せしむるを要す。
橋本陸軍次官
註、永田事件に關する部下統督上の責任を有するのみならず、左記各項に照し即時退官するを至當と信ず。
イ、十一月二十日事件關係
1、永田中將は生前各方面に對し、十一月事件直接責任者は自己に非ずとして橋本次官なりと公言せり。
2、昨年十一月二十日橋本次官は片倉少佐、辻田大尉、塚本大尉の三名の報告を基礎とし、
永田軍務局長、田代憲兵司令官を帯同、林陸相に迫り、青年將校を彈壓すべきことを鞏要せり。
3、十一月事件前後より今日に至る迄、片倉少佐等が頻りに次官々邸に出入し策動せる形跡あり。
4、辻大尉の士校中隊長罷免を最後迄反對し、同人を擁護せるは橋本次官なり。
要之十一月事件なる架空事件を惹起し、而も軍司法權の運用を拘束歪曲せしめ、
軍紊亂の重大原因を作りしは永田軍務局長と共に同斷の罪責を有す。
ロ、教育總監更迭前後に於ける策動
1、統制鞏化の美名の下に青年將校を彈壓せること、
2、教育總監更迭により表面化されたる荒木派排撃といふ皇軍私黨化、
3、教育總監更迭前後の怪宣傳による軍内攪亂、
4、教育總監更迭時の統帥權干犯問題、
5、天皇機關説排撃運動抑壓、維新機運阻止等により、重臣方面に阿附追随せること、
右は橋本次官が永田中將との合作を以て林陸相をロボット的に操縦して行ひたるものにして、
青年將校一般に永田中將に對する同様の増惡心を有しあり、警戒を要す。
ハ、相澤事件に關して
1、巷説妄信云々の怪宣傳は陸軍次官の意圖にて發表せられたる由なり。
2、其後に於ける惡辣な新聞操縦の怪宣傳は次官側近者の妄動なり。
3、事件發生後、次官々邸を憲兵の外警視廳新選組をして護衛せしめたる事實に基き、
心ある人士の情激を買ひつゝあり。
4、師團長會議に於ける噴飯に価する訓示内容に對する反感、
等 橋本次官に對する反感は、時日の經過と共に惡化するのみなり。
今井軍務局長
註、十一月事件關係者に對する處分、教育總監更迭、八月人事異動に關し、
橋本次官、永田軍務局長と相列んで重大輔佐の責を分たざるべからず。
前掲 橋本次官の 「 註 」 各項目の大部は概ね是れを今井中将に適用し得べし。
而して是等の責に恐懼するの臣節と道義とを全うせずして、軍務局長の要位に就きしのみならず、
橋本次官に代り次期次官に累進せんとする野望を抱けるは、奸惡不忠の譏そしりを免れ難く、軍内外の非難高し。
杉山參謀次長
註、參謀總長宮殿下に對し奉り輔佐宜しきを得ず、
殿下の御徳を瀆し奉りたりといふ非難は軍の内外に亘り喧囂けんけんたり。
一、十一月事件の惹起、同事件に關聯して軍司法權の歪曲亂用 及 排他的策動陰謀、
總監更迭問題を廻る惡宣傳等枚擧に遑なき皇軍攪亂の元兇たる左記各官を即時罷免せらるゝを要す。
新聞班長 根本大佐
軍事課員 武藤中佐 池田少佐 片倉少佐
註、永田中將が天誅に伏せしは是等統制派と稱せらるゝ數氏の妄動陰謀の代表的一人たりしに依る。
少なくとも上記四名を処分せざれば、十一月事件以來の軍内混亂を恢復する能はざるべし。
一、十一月事件 竝 同誣告事件に於て、永田軍務局長等と結託し、軍法會議長官の威令に服せず、
軍司法權を私斷歪曲し、皇軍紊亂の重大原因を惹起せる左記二法務官を罷免せらるゝを要す。
大山法務局長
島田第一師團法務部長
一、永田事件に於て非武士的行動を以て國軍の威信を失墜し、士気に惡影響を及ぼしたる
左記の兩官を即時罷免し、 以て軍紀を確立し、士風を振起せらるゝを要す。
山田砲兵大佐
新見憲兵大佐
一、相澤中佐直属上官は同中佐の新任地着任前なるに鑑み、新旧共夫々引責處分せらるゝを要す。
一、三月事件、十月事件の大逆不逞のものたりしは、既に世間周知の事實となりて、
今や如何に庇護隠蔽せんとするも不可能にして、來議會に於ける最大政治問題となりて、
皇軍の爲め致命的打撃たるは必至の勢なりとす。
其の憂國の志は哀むべしと雖も、夫の至尊に匕首を擬する底の國體冒瀆は斷じて許すべからず。
速かに斬謖の断を以て兩事件首謀者を處斷し、國體の大義を確立するに非んば、
陸軍を目して皇軍の名に隠れ竜袖を擁して不義を維持するものとする國民の非難憤騰し、
軍民分離の重大結果を招來すべし。
兩事件の速急処置は、美濃部、金森等の處分問題より數段緊切なる國體明徴の具現策なりと信ず。
現下軍内部に於ける多少の動揺は實に興國維新の機運潑刺磅礴し、
國家生命の已むに已む能はざらんとする躍動の一現象に過ぎず、
姑息弥縫は徒らに激發の惨禍を招くのみにして、
維新回天の一路を嚮上することによつてのみ軍の一體的統一を庶幾し得べく、
以て軍民一致 眞の皇國大日本確立の聖戰ものあるを奉信候。
國家の爲め愈々以て不屈不退轉の御勇斷を切々奉悃願候。
頓首再拝
昭和十年九月十九日
東京市渋谷区代々木
村中孝次
陸軍大臣川島義之閣下
虎皮下
〔註〕 便箋一七枚にペン書き。
封筒表 「 陸軍大臣川島義之閣下御直坡 」
裏 「 東京市渋谷区代々木山谷町一二五番 村中孝次 」
二 ・二六事件秘録 ( 別巻 ) から