あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

後顧の憂い 「 何とかしなけりゃいかんなァ 」

2017年12月06日 12時36分14秒 | 香田淸貞


「 近ごろ、オレはつくづく思うことがある。
兵の教育をやってみると、果たしてこれでいいかということだ。
あまりにも貧困家庭の子弟が多すぎる。
余裕のある家庭の子弟は大学に進んで、麻雀、ダンスと遊びほうけている。
いまの社会は狂っている。
一旦緩急の場合、後顧の憂いなしといえるだろうか。
何とかしなけりゃいかんなァ 」

と、香田が私に慨嘆したことがあった。
( 昭和六年の事 ) ・・・
二・二六事件の挽歌 大蔵栄一  著

香田清貞 
幼年学校二年生頃、
圧迫を受けて居た時代でありまして、自由主義赤化思想が侵入し、
為に 其判断に迷って来ました。
次で士官学校予科に入りても共産主義の道理が判然せず、
本科に入りてから之を解決せねばならぬと考へ、
一時は軍人を辞めなければならぬとも決心致しました。
之は解決せずして士官学校を卒業したのであります。
其後は隊付となり一君万民尊皇絶対の観念が明確に認識し得ました。
之は大部分兵隊に接して教はったので、
これなら大丈夫将校として務まると思ひました。
其処でもう一つ不安であったのは、
日本には貧富の差が大で、之は甚だ不合理な事であり、
指導する立場に在るものは
兵をして戦場に於て後顧の憂なからしめねばならぬと思ひ、
其欠陥は指導的立場にあるものの責任と思料し、
結局政治的問題に及んだのであります。
政治にかかはると云ふ事が、翼賛を明確に示してあるので、
軍人の任務としては良い場合には良い、
悪い場合には悪いと 明確に云はねばならぬと思ひました。
云ふ方法に付、我々の直属上官に云ふのが大切な事と考へ、
之を実施して居りましたが、
此等の原因が常に減じないので其方法は大した効果が無いと考えました。
其頃迄には、部外部内との関係なく、一人で思索を練って居りました。
原因が減じないと考へたのは、
共産主義を心奉した兵が、年々二、三名入隊するのが続いたのと、
軍事救護を受ける者の数が年々増加の傾向があるからです。
此の様な兵が増えるから、対外関係が悪化するので、
此等の兵を以て戦場に立たねばならぬと云ふ事になって来ました。
対外関係とは、「ロンドン条約」 「ワシントン条約」 等が 私の頭に映じて居りました。
結論としては、
此状態を早く直して戦闘能力旺盛な兵をつくらなければ対外的に危険なりと考へました。
矯す方法は如何にすべきか判らない状態になりました。
其は 十月事件が起る前の考であります。
十月事件が第一聯隊内で問題になりまして、聯隊内で中少尉会を開きました。
其時十月事件の目的、経過を栗原中尉が話しました。
中少尉会では、二つの討論が出ました。
其一つは軍人にして如斯問題に参与するのは不可なりと云ふのと、
一つは原則として不可なるが之に参与するのは止むを得ない事であるかも知れぬ、
との議論がありまして、
後の方の議論をするものは栗原外一、二名位であった様に思ひます。
其中少尉会で感じたのは、
議論の良悪よりも、
栗原中尉が激しいので専任者が圧迫排斥する気運が濃厚でありました。
私は其時両方の議論に対し善悪を考へずして、
中少尉会の空気に対し関心を持って居りました。
個人的感情で後輩を排斥するの気分があるのは良くないと考へました。
そこで自分は、之等の問題の中に飛込んで見ると云ふ気になりました。
其後一、二日の後、菅波大尉に遭はないかとの話がありましたので、
同期生で且幼年学校友達であるので、彼の居宅である神宮前の「アパート」で遭ひました。
其時二、三名の顔の知らない将校が直接菅波大尉と話が出来ないので、其人達の話を聞いて居りました。
其話は私は以前から考へて居た考と同じであるから、其話に共鳴して帰りました。

十月事件の発覚になった晩かと思ひますが、菅波の家に将校が沢山集まって居りました。
其時の話は十月事件の決行に就ての話でありました。
十月事件指導者の思想并に計画共に不同意の点がありました。
菅波に対し、十月事件に対する意見を聞いた処、
菅波は不同意だが勢がついて居るものを止める訳には行かぬので、
菅波が考へて居る様に指導する必要がある。
之が為め其中に飛込む必要があると云ひました。
そうでないと、十月事件の動きが反国家的なものとなる虞れがあると云ひましたので、
それなら判ると私は答えまして、
其人達と其行動を共にしても好いと思ひまして、
十月事件が天意により止まって呉れればよいと思って居りました処、
情報で取止めになったと聞き、其席に居た人々が其は好い事だと云ひました。
そこで同席の人々は、自分と同じ考であると判りましたので、信頼の気分が起こりました。
其後軍人の持する改革思想には種々なものがある事が判りましたので、
其後研究して居りましたが、
私としては軍人の改革思想に差があるので、之をまとめる必要があるのと、
之が実行の為めに血を流すことをさけねばならぬと考へて居りました。
之が為め軍隊内に情を以て上下左右が一体となるには、
腹蔵なく膝を交へて話さなければいかぬ。
斯の如くして昭和維新をどうしても実行しなくてはいかぬと云ふ考に纏れば、
流血の惨を極めて少なくして昭和維新を断行することが出来ると思って居りました。

憲兵調書 香田清貞 訊問調書 ニ・ニ六事件秘録(一) から