あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

此処に頑是ない子供がいる 「 命令、殺して来い 」

2017年12月24日 11時51分48秒 | 大蔵榮一

昭和十年六月三日の土曜日、
学校では授業の終わったころ、
「 本日午後一時、将校全員第一講堂に集合すべし 」
という校長命令が出た。
教官はもちろん軍楽隊、主計、軍医、学生に至るまで、
将校と名のつくものは全員集合という命令は、
近ごろ異例のものであった。
「 なにごとだろう ? 」
「 よほど重大なことだろう ? 」
と、だれも想像し得ない命令だったので、
みんな小首をかしげながら集合した。

全員集合し終わったとき、
深沢友彦校長が長岡幹事を従えて第一講堂にはいってきた。
幹事、長岡大佐は小わきに相当分厚い書類をかかえていた。
よく見ると 『 正規類集 』 らしい。
『 正規類集 』 というのは
陸軍のあらゆる制度、規則を集めたものである。
校長は演壇に進んだ。
「 ただいまから幹事に重大なことを説明してもらうから、
諸君は謹聴してもらいたい 」
校長に代わって、幹事が演壇に立った。
小わきにかかえた 『 正規類集 』
をおもむろに大机の片隅においた。

「 オレは中隊長、諸君は小隊長と仮定する。
問題、ここに一人のがんぜない子供がいる。
命令 『 殺してこい 』、
諸君はどうするか 」
開口一番、長岡幹事は厳然として問題を出した。
全員水を打ったように静かになった。
幹事はしばらく全員を見回していた。
「 栗原中尉、どうするか 」
栗原凱二中尉は
陸士四十一期生で、
金沢歩兵第七聯隊から派遣されていた将校学生である。
第一次上海事変で金鵄勲章を頂いている豪の者だ。
「 ハイ、殺しません 」
と、きっぱり答えた。
「 その隣、江藤中尉 」
「 ハイ、殺しません 」
と、これまたきっぱり答えた。
江藤五郎中尉は、
陸士四十三期生で
丸亀歩兵第十二聯隊から派遣されていた将校学生である。
栗原中尉も江藤中尉も、ともに ブラックリストにのせられている革新青年将校で、
青年将校の会合などには常に出席していた組であった。
私は、問題の内容と、名ざされた二人が栗原と江藤であったので、
幹事のいわんとするところが那辺なへんにあるのか、おおむね察することができた。
明日曜日の偕行社における会合に出席することを阻止しようとする意図に違いない、
と判断した。
「 だからおまえらは間違っているのだ 」
と、幹事は二人をたしなめた。
「 上官の命令はいかなる命令であっても、直ちに従うというのが原理だ。
このことについては、
かつて関東大震災のとき甘粕 ( 正彦 ) 憲兵大尉の命令で、
その部下鴨下上等兵が大杉栄の甥を殺したことがあったが、
その折り陸軍省、参謀本部、教育総監部から代表を出して、
統帥ということに関して徹底的に検討を加えて得られた結論は、
いかなる命令といえども
上官の命令には直ちに服従しなければならぬということであったのだ。
そのために鴨下上等兵の犯した殺人罪は、
上官の命令に従ったのであるから無罪ということになったのだ。
すでにそういう結論が出ている。
たとえ がんぜない子供であっても、上官の命令であれば殺すのがほんとうだ。
栗原中尉にしても江藤中尉にしても、『 殺さぬ 』 という答えは間違っている 」
私はこの幹事のいうことには、真っ向から反対であった。
しかも形而上の問題を多く含んでいる統帥を論じようとするのに、
『 正規類集 』 のような形而下の規則一点張りの書類を目の前において、
統帥を云々しようとする態度は、私には納得できないものがあった。
「 幹事殿、質問があります 」
私は、立ち上がった。
「 幹事殿はただいま
『 いかなる命令といえども上官の命令には従わなければならぬ 』
といわれましたが、
まことそのお言葉には間違いありませんか 」
私は念を押した。
「 間違いはない、その通りだ 」
「 しからばこんどは、私が問題を出します。
私は師団長で、あなたは聯隊長と仮定します。
問題。
『 長岡聯隊長は部下聯隊を率いて、宮城を占領すべし 』
この問題ははなはだおそれ多い問題ですが、
日本の歴史をひもといてみますと、
そういう事実は何回となく繰り返されています。
今後も絶対にないとは保証できないことであります。
幹事殿はこの場合どうなさいますか。
いかなる命令といえども従わなければならぬならば、
当然占領すべきと思われますが、どうなさいますか 」
「 それは別だ 」
幹事は顔のまえで両手を大きく交差して振りながら、例外を認めた。
「 じゃ、一歩をゆずりましょう。
日ソ開戦中だと仮定します。
ここにもしソ連軍に渡ったら、日本を敗戦にみちびくような重要な機密書類があります。
問題。
『 聯隊長、この機密書類をソ連に五十万円で売ってこい、師団長命令だ 』
幹事殿、どうなさいますか 」
「 売りに行く 」
と幹事は、小さな声で答えた。
私は、この幹事の答えをきいて、少なからぬ憤りを覚えた。
「 幹事殿、私は幹事殿と全く違った考えであります。
師団長がかりにそういうばかな命令を出したとしたら、
私はまず師団長き気が狂ったのではないかを確めます。
もし正気でいっているのであれば、軍隊内務書に示されている通り、
その誤りを訂ただすために意見具申をして、その誤りをやめてもらいます。
それでもなおきかなければ、師団長を一刀両断にします。
そして、喜んで上官殺害の罪に服したいと思います 」
私は、私の言葉にだんだん熱を帯びてくるのを、
自分ながら制することはできなかった。
「 幹事殿は、ただいま、
命令とあらばあえて国を売るようなことでも平気でやるといわれましたが、
これは驚くべきことで、許し難い行為といわなければなりません。
それはかたちだけの命令服従であって、決して真の服従ではないと思います。
いいかえればそれは単なる盲従で、かえって統帥を破壊するものであります。
わが国の統帥は、そんなかたちだけのものではありません。
命令を下す上官は、その態度においていささかの私心も許されません。
すべてを天皇に帰一したかたちにおいて命令は下るべきであります。
命令を受ける部下もまた、
天皇に帰一したかたちにおいてその命令に従うべきであります。
幹事殿が問題として出されました 『 ここにがんぜない子供がいる。殺してこい 』
という命令には、私は断じて無批判に服従すべきではないと思います。
したがって
栗原中尉、江藤中尉の答えは、不用意にこれを間違いと断することはできません。
私はむしろ、彼らの答えは正しいと思います 」
このような私の反論に対して、
長岡幹事はあくまで省部の形式的結論をたてにとって、
約一時間にわたって私との間に激論を戦わせた。
「 おまえはオレのいわんとすることが、まるでわかっていない 」
と、幹事は頭ごなしに私の反論を押えようとした。
「 そうです。私は幹事殿のいわれることは全くわかりません 」
と、私も負けてはいなかった。


大蔵栄一 
二・二六事件への挽歌  か


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