あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

日本愛國革新本義 ( 未完 )

2017年12月01日 09時12分42秒 | 井上日召

日本愛國革新本義
橘 孝三郎


國土ヲ離レテ國民ナク、國民ヲ離レテ國民社會ナク、國民社會ヲ離レテ人生ナシ。
故ニ國ヲ愛セザルモノハ人ニ非ズ。
日本ハ 尊嚴極ミナキ皇室ヲ中心トシテ
世界ニ比ナキ團結力ヲ有スル日本同胞ノ愛國同胞主義ニヨル日本タラザル可カラズ。
ニ、日本ハ愛國同胞主義ニ生キ、愛國同胞主義ハ國體ニ生ク。
シカモ日本愛國同胞主義ヤ今何処。國體ヤ今何処。
世界ノ大勢、國内ノ實狀、一トシテ國本改造ノ急ヲ告ゲザルモノ無シ。
日本ノ危機タル眞ニ未曾有ト稱セザル可カラズ。
之ヲ救フモノハ何ゾ。
唯愛國革新ノ断行アルノミ。
生命ニ価スルモノハ唯生命ヲ以テノミスベシ。
日本愛國革新者ヨ、日本愛國革新ノ大道ノ爲ニ死ヲ以テ立テ。


どつからどこまでくさり果てゝしまつた。 どつからどこまで困り果てゝしまつた。
全体祖国日本は何処へ行く。 我々はどうなる。
---祖国日本は亡びるといふのか。我々はどうにもかうにもならんといふのか。
なんの、なんの、なんの!!!
日本は更生する。そして我々は立つ。
またかくてのみ救はるべき世界の現状であつたのだ。
みんなして、みんなして、誰もが。
みんなして、みんなして、誰もが。
俺たち日本人みんな誰もが同胞だつたのではないか。
みんな誰もが同胞だつたからこそ生きて来られたのではないか。
そして生きてゆけるのだ。
いつさいをこの本道へ引き戻さねばならん。
そした俺たち日本同胞は日本を同胞として抱きしめて立たねばならん秋がついに来たのだ。
救国済民の大道のために、そして救国済民の大道に捧げたる同志の前に、
この拙き、しかしながら真心の限りを以てものしたる此一書を贈る。
因みに本書は、或る土地での将士の会合に招かれて試みた講演筆記に、
この出版にあたつて、重ねて筆を尽したものであることを、
以前読者のお含みを願つておきたい。
昭和七年五月五日    著者

目次
第一篇  日本愛國革新の絶對性
 第一章  世界の大勢
 第二章  國内の實狀
第二篇  日本行詰の根本原因
 第一章  マルサス主義批判
 第二章  マルクス主義批判
第三章  タチバナ主義的説明
第三篇  日本救濟の大道
 第一章  西洋資本主義唯物文明の超克と日本愛國同胞主義
・・・私は皆様のために御招きにあづかつて、かうして皆様のために、
そしてそれは日本のために、真心から御話が出来るのです。
皆様はかうして昼の激しい御活動で御披露の極み、充分の御休憩を必要としてをられるに拘らず、
深夜かうして私のやうな一介の農民が物語る はしたない然し乍ら真心からの話を真心を以てお聞き取り下さつている。
この真心と真心の世界、此所こそ私は 私共人間の真実世界だと信じてをる。
いや 信じてをるといふのではございません、
此世界を離れたなら、三度の米の飯を離れたと同じやうに
私といふ人間は、魔物でなく、鬼でもない限り、人間として生きてゆけないのであります。
かくして我が愛する祖国日本も又此所に生きているのだと信じてをります。
我々はかうして皆様のやうな軍人方も、私のやうな百姓も、共に日本人たる以上 兄弟だ、
同胞だといふ観念と、さうしてお互に我々は日本人としてかように兄弟として生きている以上
この兄弟意識の上に日本を真心から抱きしめて生きてゆく事によつて
日本がはじめて生きてゆけるのだと信じてをるのであります。
即ち日本は愛国同胞主義によつて生きてるものと申さねばなりません。
同時に皆様のやうな軍人方も、私のやうな百姓も共にかうして日本人として真心を捧げ
且つ受け容れ合つて全く兄弟の如く生きて行ける、
更にお互にかうして日本を憂へ 且つ 愛してその為めに身命を賭し得るやうに日本が出来てをるからこそ
我々はかうしてをられるのだと信じます。
即ち此所に日本の国体の極みなく貴い、且つ 有難い訳合が在るものと信じてをります。
だから私は常に申してをる
「 日本は愛國同胞主義に生き、愛國同胞主義は國體に生きる 」 と。
そしてかやうに私の唱へてをります愛國同胞主義は
必ずや皆様方の真心からなる賛成支持を得るものと信じてをるものであります。

右申し上げました私の題目は、決して歴史社会的実在性を離れました所の、
虚構的空論では毛頭ございません。
此点特に皆様方の御注意置きをお願ひ申したい。
成る程歴史の草創は夢の如くにしてつかまへ所がないに相違ございません。
しかしながら、畏れ多くも我が神武天皇が国を御肇めに相成りました事情を拝察いたしまするに、
彼の西洋諸国に於て普通示されてをるような、所謂征服国家と申しまして、
農耕部民を武力を以て征服いたし、これを奴隷化してこれに経済的給付一切を負はしめ
武力を有するものはその上に君臨して一国家を打ち立てましたのとは根本的に相異つてをるのであります。
却てその正反対を成就なさりましたので、
即ち 長髄彦ながすねひこが農耕部民を切り従へて
征服国家の芽を噴き出さうとしてをつたのを 東征遊ばされて之を打倒し、
奴隷化された農耕部民を開放なされた、
換言すれば国民解放の実を行はせられて、此所に私された覇道化された日本を始めて王道化し、
以来万世一系世界に比なき国体の基礎を定めさせられ給ひしものと解せざるを得ないのであります。
でありませんので、若しも征服国家を神武天皇が打ち立てられたものと仮定いたすならば、
大化の改新をどう考へてよろしいでせうか。
日本歴史にその比較を見出す事の出来ない国民解放、国家改造の大革命が
中大兄皇子即ち天智天皇の御手によつて成就されたなぞといふ事実は考へても見得ない事柄だらうと存じます。
兎角何事にもよらず西洋流にほか物を見ず、物事を考へ得ないやうになつてをる只今の人々には
東洋の、特に日本の上の如き特別な事情が全く解せられないやうに思はれます。
革命或は改造と申せば所謂 弁証法的唯物史観の示すやうな階級性にのみ結びつけて考へ去つて
他あるを知らないものゝやうに見られますが、
かやうな考へ方はとんでもない偏見に人々を陥れて救ふ可からざるものにしてしまうものです。
我々は理屈で現実をしぼり殺してしまふやうな事をしてはなりません。
理屈は現実をほどくためのものでなくてはならんのであります。
余談はさておき、日本に於きましては、国がある支配者によつて危くされますと、
きつと君民一体で愛国革命を遂行し来たのであります。
これが即ち日本の永遠性を確実にして来た根本義であると同時に、
此所に国体の比類なき貴さが光つてをると申さねばならんのであります。
所が目下我々の生活実状はどうなつたでせうか。
日本の現状は何としたものでせうか。
考へて見るまでの事でもなければ語る程の事でもありますまい。
日本もよくも此所まで腐れたものだと思ひます。
実にひどすぎる。
何でも金です。
金の前には同胞意識もなければ、愛国精神もない。
国体の光の如きは何処をどうして了つたのだか、すでに認識の領域をすらかすめないやうに思へます。
申すまでもなく金を得んがためには誰よりも上手に買ひ、誰よりも上手に売らねばなりますまい。
この売買は勿論商品にのみ止まるものではありません。
一切合切何でもかんでも売り得るものは売りとばす、
そしてそれを誰でもが精限り根限りありつたけの力を尽して行つてゆく。
株券や商品なら勿論営利的売買目的に造られてをるのだから当たり前だが、
目下人々は平気で地位を売り名誉を売り節操を売る。
いや同僚を売り 妻子まで売る。
そして遂に国家まで売る。
売国奴の溢れたる事蓋し現状に過ぎたる時代が日本歴史の如何なる時期に見出されるでせうか。
そしてその内状の醜にして 且つ 浅ましきは到底目も当てられない。
一切は金力によつて独占化され、支配者の堕落はその極端に達して万民枯死せんとしてをるの現状は
又我々をして黙視することをゆるさんのです。
---考へるまでの事ではない、語るまでの事ではないと思ひますものゝ、
つい申上げずに止まれなくなる。

此間、車中で純朴その物な村の年寄りの一団と乗合せました。
耳を傾けるともなくそれ等の人々の語り合つてる話に耳傾けて、
私は皇国日本の為心中、泣きに泣かざるを得なかつた事がありました。
その老人達が何を語り合つてるかと申すとこんな話をしていたのです。
「 どうせついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに 」
「 ほんとうにさうだ。さうすりあ一景気来るかも知らんからな、
 所でどうだいこんな有様で勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ。」
「 いやそりゃどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゅうても強いからのう。」
「 そりあ世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつゞくまい。」
「 うむ・・・・」
「 千本桜でなくとも、とかく戦といふものは腹がへつてはかなはないぞ。」
「 うむ、そりやさうだ。
だが、どうせまけたつて構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつゝけることだ。
 勝てば勿論こつちのものだ、思ふ存分金ひつたくる、
まけたつてアメリカならそんなにひどいことをやるまい、
かへつてアメリカにの属国になりゃ楽になるかも知れんぞ 」
私は実にこの純朴な老人の言を聞いて全く自失せざるを得なかったのです。
皆様どうです。
此所まで来ればもう何もかもない、
そいて失礼だが皆様は高禄を食んでいられるから
世の実状に尠からず遠ざかつておいでになるだらうと御推察申上げますが、
前に私は農家経済の解剖を試みまして御説明申上げた所でほぼ御わかりだと信ずるが、
上のやうな恐るべき言を農村の老人の口からまで聞かねばならん事実を
決して根拠なしと申す事は出来ないのです。
衣食住は人間生活の根本です、その如何によつて並の人間は菩薩にもなれば、狼にもなる。
特権階級、政党屋、財閥等、所謂支配層に属するものが
常に売国奴的行為を敢てして居つて眼中国ある事を知らんやうになつてしまつた時、
その下敷となつてる勤労大衆がどうして彼等の指揮の下に彼等の支配せる国を国と思ふ事が出来ませうか。
現にかくいふ私は、彼の日本一なりと称せらるゝ大銀行の大御所なる所の人物が、
自分の伜を英国のイーストンスクールへ出してをるのだが、そいつが其処を卒業するとケンブリツチ当りへはいつて
出るとロンドンの従つて世界金融の市場の心臓なるロンバートストリートへやつて仕込む、
そいつを日本へつれて来て日本の金融界の王座へすえる。
こんな人間を私は私の同胞たる日本人なりとはどう考へたつて考へられんのです。
しかもこの 「 日本人でなし 」 に金をせびらにや日本の正党政治なるものが立つて行けず、
日比谷座で財閥の印袢天を着にや泥芝居がうてんといふに至つては
到底私はこんな政治を日本の政治と思ふわけにはいらんのです。
かくて動かされてをる日本の現状はごらんの通りで、こんな日本を私は日本と思ふわけにはまいらんです。
然るとき私共の納税の義務、兵役の義務なるものゝ訳が分からなくならずにをられませうか。
---語るまでもないと思ふ事柄をつい語らずにをられなくなりましたが・・・・
・・・
 第二章  政治組織
 第三章  經濟組織
 第四章  敎育組織
 第五章  國防組織

現代史資料5  国家主義運動3  から




澁川善助 ・ 御前講演 「 日露戰役の世界的影響 」

2017年12月01日 04時43分28秒 | 澁川善助

大正十四年三月、
陸軍士官学校予科を
恩賜の銀時計を拝受して卒業した澁川善助は、
その卒業時に、
皇太子 ( 昭和天皇 ) の御臨席を仰いで
「 日露戦争の世界的影響 」
と 題する
御前講演を行っている。

澁川善助
謹んで
「 日露戰役の世界的影響 」
に ついて申上げます。
日露戰役は、
實に 二十億に近い戰費と、百万の兵員とを以て
國家の生存の爲に國力を傾けての大戰爭でございまして、
當時の日本にとっては 寔まことに尠すくなからぬ負担でありました。
又、東洋諸國には申すまでもなく、
西洋までも政治上に、外交上に、思想上に、
將又はたまた軍事上に 及ぼした影響は意想外に大きなものでありました。
それにも拘らず、
當の日本人が比較的之等の點に想ひ至ることの寡すくないのを
遺憾に思ふ次第でございます。
此の戰役は、日本自身に對しましても、
政治上、社会上、思想上、其の他種々の方面に
多大の影響を与へて居るのでございますが、
それは此ここには省はぶきまして、
唯 諸外國に及ぼしました軍事方面意外の影響のみを概略述べて見ようと思ひます。

第一には、
立憲運動であります。
弱小なる一寸法師が巨大な北極鬼を斃した理由は、
日本が立憲國でありまするに反し、
露西亜がまだ専制國であつたからであると考へられまして、
随所に立憲運動の流行を見たのでございます。
隣國支那に於きましては、
日清戰役後既に立憲運動の萌きざしを見たのでありましたが、
此に及んで政府が進んで憲政の調査に着手し、
明治三十九年、即ち一九〇六年には、將來 國家を開くべきことを宣言致しました。
波斯ペルシャに於きましては、
進歩主義の人々がその運動に功を奏しまして、
一九〇六年に新憲法が布かれたのでありました。
土耳古トルコに於きましても、
日露戰役前から憲政問題の爲に國内汾亂勝がちに見えましたが、
一九〇八年に至って遂に立憲政體が成立し、
更に青年 「トルコ」 党内閣すら出現したのでありまして、
此にも日露戰役の影響を認むるのでございます。
敵國露西亜に對しましては重大な變動を与へました。
即ち 戰役半ばには既に立憲運動が起り、
色々な不祥事を惹き起しました結果、
遂に國會即ち 「デューマ 」 の開設となったのでございます。

第二には、
國民的運動であります。
白色人種に抑壓されて居りました有色人種が、
此の戰役後、その國民的運動を非常に深めた感があるのであります。
印度、埃及エジプト、アフガニスタン等がそれでございます。
日露戰役は、啻ただに日本が露西亜の侵略を制止したるのみならず、
又、東洋に侵入せる白人勢力打破の烽火であるとも申すことが出來まして、
亜細亜開放の戰役に外ならぬのでございました。

第三に申上げますのは、
世界外交史上に及ぼした影響であります。
先づ指を屈すべきは日英同盟であります。
此の同盟は防禦同盟から攻守同盟に改まり、
その包合する範囲も印度にまで擴がりまして、最も高潮に達したのでございます。
次は英露の接近であります。
此は正まさしく欧州外交上に於ける一大變動であると思はれます。
從って英露佛の三國協商が成立致しまして、独墺伊の三國同盟に對抗する有様となりました。
次は独墺兩國の活躍であります。
「 カイゼル 」 ウィルヘルム二世は、奉天大会戰の結果が知れまするや否や、
直ちに軍艦に搭じて佛蘭西の勢力範囲なるモロッコに至りて、
その君主を籠絡して第一回モロッコ事件を惹き起したのであります。
蓋し 「カイゼル 」 は、
露西亜が同盟國佛蘭西の爲に立つこと能はざるを見まして、
かくの如き強硬な對佛政策に出たのでありました。
又、バルカンに於て常に露西亜と相爭って居りました墺太利は、
露西亜の頽勢たいせいに乗じ非常に活動し始めまして、
日露戰役の數年前から軍事的占領をして居りました所の
土耳古トルコ領ボスニア・ヘルツェゴヴィナの併合を宣言するに至りましたるも、
此に機械を促へたものでございました。

第四には、
統治者と國民との關係が自然であって、
殊に國民が熱誠な忠義心を以て統治者に仕へ奉ることは、
戰爭の勝利を期する所以で、
又、健全なる國家を作る大原因であると云ふことを知らせたことであります。
之が爲、外人の武士道を研究するものが段々増加しました。
乃木大將の事蹟等も、往々外國の著者に引用せられることとなりました。
又、日本の國運の發展につれて、
欧羅巴の或る極端なる學者は、日本の膨脹を阻止するが爲には、
統治と國民とを疎隔することに注意しなければならぬ、
と 發表して居るものさへも出て來ました。

以上は日露戰役の世界的影響の、
主として政治、外交、思想方面に關する概要でございます。
今や日本の思想界は兎角動揺致しまして、頗る憂慮すべきものがあります。
此の時に当つて、
日本國民が未曾有の眞劍を以て
君國の御爲めに戰ひました日露戰役
並びその世界に及ぼしたる影響を想ひますれば、
うたた感慨の情 切なるものがあるのでございます。
此れにて講演を終へます。