あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 粛啓壮候 」 と冒頭せるもの

2017年12月19日 16時56分22秒 | 靑年將校運動

「 粛啓仕候 」 と冒頭せるもの
村中孝次 署名

十月一日発行

十月九日禁止
  村中孝次 
陸軍大臣ニ對スル上申書トシテ認メタル如キモ、同時ニ軍部有力者ニ發送シタルモノ、

如クシテ其ノ内容ハ陸軍部内ニ於ケル諸問題ノ内面的事情ト認メラル、
事項ヲ暴露的ニ記述シタルモノナルガ、斯ノ如キハ軍ノ厳粛ナル存立ヲ曲説諚妄セルモノニシテ
軍ノ威信ヲ失墜セシムルト共ニ 人心ヲ動揺セシメ、
以テ社會不安ヲ惹起スル虞おそれアリ。

粛啓仕候
大命降下 非常時局ニ於テ 國家統督ノ重責ニ任ジテ立タルルヤ早クモ首相ト會見シ、

國體問題ニ關シ堅確ナル書信を闡明せんめいセラレタル閣下ノ烈誠決意ハ
國家ノ爲 寔ニ景仰欣賀ニ堪ヘザル處ニ御座候
御就任二週間愈御英斷ノ實行期ニ入ルベク豫測シ
當初ノ第一歩ニ於テ國家盤石ノ基礎ヲ堅確ニ打チ建テラルルコト千願萬望ニ不堪候間僭越ヲ不願以下
いささカ卑見ヲ申上ゲ御參考ニ供シ奉リ候
一、
國體明徴維新的徹底解決ニ向ヒ 直往邁進スルヲ以テ終始ノ大方針ト存ジ
之ガ爲先ヅ陸軍上部ノ更始一新的人事ヲ斷行シ
内外ニ向ッテスル皇道宣布ノ實力的核體タル基礎ヲ確立セラルルヲ要ス
二、
永田事件直接責任者及同事件發生ノ直接原因タル十一月事件 教育總監更迭問題ノ責任者を
遅クトモ相澤中佐ノ豫審集結迄ニ処置セラルルヲ要ス
進退出處公明ヲ欠キ臣子ノ節ヲ過ルニ於テハ 上大元帥陛下ヲ蔑ニシ奉リ 下軍紀ヲ破壊スル罪 輕カラズ
責任ノ處在ヲ明ニスルコトナク集中シ 収拾シ得ザル破局ニ墜ルベシ  急速ヲ要ス
以下之ヲ繼説ス
一、左記ハ統帥權干犯問題ニ於ケル 參謀總長ノ補佐官トシテ永田事件發生ト共ニ 即時引責スベカリシモノナリ
  速急 橋本陸軍次官ニ辭職セシムルヲ要ス
  註。永田事件ニ關スル部下統督上ノ責任ヲ有スルノミナラズ
        左記各項ニ照シ 即時退官スルコトヲ至當ト信ズ
イ、 十一月二十日事件關係
 1  永田中將ハ生前各方面ニ對シ 十一月事件直接責任者ハ自己ニ非ズシテ橋本次官ナリト公言セリ
 2  昨年十一月二十日 朝 橋本次官ハ片倉少佐、辻大尉、塚本大尉ノ三名ノ報告ヲ基礎トシ
     永田軍務局長 田代憲兵司令官ヲ帯同 林陸相ニ迫り 靑年將校ヲ彈壓スベキコトヲ鞏要セリ
 3  十一月事件前後ヨリ今月ニ至ル迄 片倉少佐等頻リニ次官邸ニ出入リセル形跡アリ
 4  辻大尉ノ士校中隊長罷免ヲ最後迄反對シ 同人ヲ擁護セルハ橋本次官ナリ
     要 之 十一月事件ナル架空事件ヲ惹起シ 而モ軍司法權ノ運用ヲ拘束歪曲セシメ
     軍紊乱ノ重大原因ヲ作リシハ 永田軍務局長ト共ニ同斷ノ罪責ヲ有ス
 橋本虎之助中将
ロ、教育總監更迭前後ニ於ケル策動
 1  統制鞏化ノ美名ノ下ニ青年將校ヲ彈壓セルコト
 2  教育總監更迭ニ依リ表面化サレタル荒木派排撃ト言フ皇軍私黨化
 3  教育總監更迭前後ノ怪宣伝ニ依ル軍内攪亂
 4  教育總監更迭時ノ統帥權干犯問題
 5  天皇機關説排撃運動抑壓維新機運阻止等ニ依リ 重臣方面ニ追從セルコト
   右ハ橋本次官ガ永田中將トノ合作ヲ以テ林陸相ヲ ロボット的ニ操縦シテ行ヒタルモノニシテ
   靑年將校一般ニ永田中將ニ對スルト同様ニ増惡心ヲ有シ警戒ヲ要ス
ハ、相澤事件ニ關シテ
 1  巷説盲信ノ怪宣伝ハ陸軍次官ノ意圖ニシテ發表セラレタル由ナリ
 2  其後ニ於ケル惡辣ナル新聞操縦ノ怪宣伝ハ次官側近者ノ盲動ナリ
 3  事件發生後 次官官邸ヲ憲兵ノ外 警視廳新撰組ヲシテ護衛セシメタル事實ニ基キ
     心アル人士ノ憤激ヲ買ヒツツアリ
 4  師團長會議ニ於ケル噴飯ニ価スル訓示内容ニ對スル反感等 橋本次官ニ對スル反感ハ
     時日ノ經過ト共ニ惡化スルノミナリ
 今井軍務局長
 註
 十一月事件關係者ニ對スル處分 教育總監更迭 八月事件人事異動ニ關シ
 橋本次官、永田軍務局長ト相列ンデ重大補佐ノ責ヲ分タザルベカラズ
 橋本次官ノ 「 註 」 各項目ノ大部ハ概ネ是ヲ今井中將ニ適用シ得ベシ
 而シテ是等ニ恐懼スルノ臣節ト道義トヲ全ウセズシテ軍務局長ノ要位ニ就キシノミナラズ
 橋本次官ニ代リ 次期次官ニ累進セントスル野望ヲ抱ケルハ
 奸悪不忠ノ譏そしリヲ免レ難ク軍内外ニ避難高シ
 杉山參謀次長
 註
 參謀總長ノ宮殿下ニ對シ奉リ 補佐宜シキヲ得ズ 
 殿下ノ御徳ヲ瀆シ奉リタルト云フ非難ハ軍ノ内外ニ亘リ喧囂タリ
 十一月事件ノ惹起 同事件ニ關連シテ
 軍司法權ノ歪曲亂用及排他的策動陰謀 總監更迭問題ヲ迫ル惡宣伝等
 遑いとまナキ皇軍紊亂ノ元兇タル左記各官ヲ即時免ゼラルルヲ要ス
 新聞班長  根本博 大佐
 軍事課員  武藤章中佐
 同  池田純久中佐
 同  片倉衷少佐
 註
 永田中將ガ天誅ニ伏セシハ是等 統制派ト稱セラルル數氏ノ盲動陰謀ノ代表的一タリシニ依ル
 少ナクトモ上記四名ヲ處分セザレバ 十一月事件以來ノ軍内混亂ヲ回復スル能ハザルベシ
一、
十一月事件竝ニ同誣告事件ニ於テ永田軍務局長等ト結託シテ軍法會議長官ノ威令ニ服セズ
軍司法權ヲ私斷歪曲シ 皇軍紊亂ノ最大原因ヲ惹起セル左記二法務官ヲ罷免セラルルヲ要ス
大山法務局長
島田第一師團法務部長
一、
永田事件ニ就テ非武士的行動ヲ以テ國軍ノ威信ヲ失墜シ 士気ニ悪影響ヲ及ボシタル
左記兩官ヲ即時罷免シ 以テ軍紀ヲ確立シ 士気ヲ振起セラルルヲ要ス
山田長三郎砲兵大佐
新見英夫憲兵大佐
一、
相澤中佐 直属上官ハ同中佐ノ新任地着前ナルニ鑑ミ 新旧共夫々引責處分セラルルヲ要ス
一、
三月事件 十月事件ノ大逆不逞ノモノタリシハ既ニ世間周知ノ事實トナリテ
今ヤ如何ニ庇護隠蔽セントスルモ不可能ニシテ來議會ニ於ケル最大政治問題トナリテ
皇軍ノ爲メ致命的打撃タル必至ノ勢ナリトス
其ノ憂國ノ士ハ哀ムベシ、
夫レ至尊ニ ヒ首ヲ擬スル底ノ國體冒瀆ハ斷ジテ國體ノ大義ヲ確立スルニ非ズ
人ハ陸軍ヲ目シテ皇軍ノ名ニ陰レ 竜袖ヲ擁シテ不義ヲ維持スルモノトス
國民ノ非難ニ騰シ 軍民分離ノ最大結果ヲ招來スベシ兩事件急速処置ハ
美濃部金森ノ處分問題ヨリ數段緊切ナル國體明徴ノ具現ナリト信ズ
現下軍部内ニ於ケル多少ノ動揺ハ實ニ開國維新ノ氣運溌溂砕薄シ
國家生命ノ已ム能ハザラントスル動キノ現レニ過ギズ
姑息弥縫ハ徒ラニ激對ノ惨禍ヲ招クノミニシテ 維新回天ノ一路ヲ向上スルコトニヨッテノミ
軍ノ一體化統一ヲ庶幾シ得ベシ
以テ軍民致真ノ皇國大日本確立ノ聖戰鴻業ニ翼賛シ奉リ得ルモノト奉存候
閣下素ヨリ決意ノ牢固抜クベカラザルモノアルト奉信候
國家ノ爲愈々以テ不退轉ノ御勇斷ヲ切ニ奉悃願候    頓首再拝
村中孝次

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「 粛啓仕候 」 と冒頭せるもの
「 思想月報 」 (昭和十一年五月号、四三号 )
陸軍大臣が、林銑十郎から川島義之にかわったのが、昭和十年九月五日であり、
相澤事件 ( 八月十二日 )  百ケ日目に山田砲兵大佐は自刃しているので、
この手紙は、相澤中佐の豫審中に書かれたものであろう。
( 公判は十一年一月二十八日 )
新任した陸軍大臣川島大将に対する上申書として書いたものであるが、
同時に軍部の有力者にも発送した。
内容の趣旨は、「 粛軍に關する意見書 」 と ほぼ同じであるが、
「 粛軍に關する意見書 」 以後の相澤事件、八月二十六日の師團長會議にふれている轉が新しいことである。
「 噴飯に価する 」 と 書かれている林陸相訓示は高宮太平 『 軍国太平記 』 参照。   
 

現代史資料 4  国家主義運動 1  から