あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

藤井齊 『 昭和6年8月27日の日記 』

2017年12月09日 09時57分39秒 | 藤井齊

『 郷詩会の會合 』
赴任先の九州大村海軍航空隊から參加した藤井が、
井上日召の家 ( 代々木上原の権藤成卿の借家 ) に歸ると、そこへ對馬がガリ版刷りを持ちこんできた。
「 全艦隊に送るべく宛名を書き終えた 」 という。
よく見ると、「 陸海軍靑年將校一同 」 と書かれている。
「 満蒙問題に就て陸海軍合同すべし 」 と呼びかける文書で、
藤井は、
「 これはいかぬ、早速止めさせろ 」
と 青山參道アパートの菅波三郎宅に集まっていた對馬の仲間たちを説いて止めることにした。
藤井はこの日の午後、海軍の同志である古賀、三上卓海軍中尉、井上らと共に
霞ヶ浦海軍航空隊の小林省三郎司令を訪ねて 「 革命 」 への決意を問い、
さらに參謀本部ロシア班長の橋本欣五郎中佐、大川周明らと會う約束をし、
「 本年秋の義擧 」 について詳しく調べ 知らせる約束をした。 ・・ 十月事件

我等はそれに代わつて之を擴大--深刻化し
指導して 我等の革命になさんとするものなるが故なり、

斯くて陸海軍の合同はなるべし

陸軍はどうも政治革命迄しか考え居らざる様子、
先ず一辺やらせよ、而る後 之を叩きつぶすし我任なり、
恐らくは革命の本体なるべし
・・・8月27日

藤井齊
藤井斉、昭和6年8月27日の日記 
・・・検察秘録五 ・一五事件 より

・・と 陸軍側に信を置かず、
政権奪取とは違う直接行動の蹶起をこの時點で練りつつあった。
それゆえ、對馬が持込んだ満蒙問題の呼びかけ文書を中止させたのも、
大事の前に海軍側の名前が漏れるのを危惧したためと思われる。
郷詩會や翌8月27日に集った靑年將校の中に、末松太平中尉もいた。
郷詩會を機に、西田税の自宅を聯絡場所として、
陸海軍有志や井上日召グループが毎晩のように顔を合わせていた。
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『 郷詩会の會合 』 ・・昭和六年八月二十六日
この会合のあとも、私は何ごともなかったように戸山学校に通い、剣術、体操に励んだ。
そして毎晩のように西田税のうちに出掛けた。
藤井斉大尉、古賀清志、中村義雄中尉、大庭春雄、伊東亀城少尉らの海軍や、
菅波三郎、村中孝次中尉らの陸軍や、井上日召、小沼正、澁川善助らが、
このころの西田のうちで出合う常連だった。
会えば語り合い、語りあえばそこに何物かが胎動した。
それは 「 郷詩会 」 を 単なる組織固めに終らせたくなかった、
海軍のペースに乗ったものだった。
・・・ 末松太平 ・ 十月事件の体験 (1) 郷詩会の会合