あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

打てば響く鐘の音のように

2017年12月14日 04時36分16秒 | 安藤輝三


菅波三郎中尉  安藤輝三中尉
ある日、
歩兵第三聯隊の機関銃中隊将校室にいた菅波三郎中尉は、
営門をせわしげに出て行く一人の将校が窓越しに目についた。
そういえば先刻より幾度か往来している。
当時、機関銃中隊は営門に最も近いところにあったので、
見るとはなしによく見えたのである。
翌日、昼の将校集合所で、
菅波はこの将校が第十一中隊の安藤輝三中尉であることを知って
たちまち好感を抱いた。
ところが、安藤の外出が、
除隊して失業中の兵の就職運動であったことを知って、菅波は驚きかつ感激した。
菅波は隊付将校としての責任と負担を乗越えて、
旧部下のために尽力する安藤の親身な真剣さに心打たれたのである。
菅波中尉は鹿児島から着任したとき、
歩三には家族的雰囲気や親密さに欠けるものがあるとみていたが、
菅波は安藤の情味的な人柄に魅せられ、
この将校こそ昭和維新への同志として欠くべからざる人物と確信した。
数日後、夕食後に、
聯隊内独身者将校の宿舎ある安藤中尉の部屋を、初めて菅波中尉が訪れた。
安藤中尉の部屋には調度品らしいものは何一つなく、
部屋の隅に使い古された机がぽつんと無造作におかれ、
机上のコップに一輪の白い花がさしてあった。
およそ殺風景な男っぽい部屋だけに、
菅波にはこの一輪の白い花が、
主人公の人柄を偲ばせているような気がして、
「 花は一輪に限りますね 」
と 菅波がいうと、安藤は、
「 兵隊がさしてくれたんですよ 」
と 朴訥とした口調でいかにもうれしそうな表情をみせた。
菅波は再び安藤の人柄を思い知らされたような気がした。
それは 部下を愛しつつ 絶対の信頼を寄せる青年士官の素朴な姿であった。
菅波は安藤の言葉にますます信頼できる人物と確信した。
菅波はようやく重い口を開いた。
「 いまの世の中をどう思いますか 」
「 とにかく、生きてゆくのに大変なようです 」
安藤は就職運動の困難さを顧みるように 実感をこめて応えた。
こういう場合、安藤のような性格の男は、どう応えても自分の言葉に空虚なものを感じてしまう。
菅波は軽くうなずきながら、諄々と語り始めた。
それは晩夏の夕に、日本の将来と政治の腐敗を憂えて、津々と流れる菅波節である。
こういうときの菅波の話術は抜群のうまさを発揮する。
ロンドン海軍会議後以降の国際情勢、ソ連極東軍の重圧、蒋介石国民政府による中国の統一、
これに対して国内の政党政治の腐敗、軍上層部の堕落、民衆の生活苦など、
菅波の爽やかな弁舌には尽きるところがない。
安藤は 打てば響くように感動の色を面に漂わせた。
菅波は最後に国家改造論で締めくくって話が終った。
安藤は菅波の人柄とその思想にすっかり魅せられた。
菅波流にいえば、彼が安藤の魂に火をつけ、あとは安藤が自ら燃えていったことになる。
安藤は少しでも早く歩三の将校団を啓蒙することを主張したが、
菅波はいまだ時期尚早ととて、人を選ぶには時間がかかることを強調した。
菅波らしい慎重さである。
時に菅波三郎中尉二十七歳、
安藤輝三中尉二十六歳の若さであった。

・・・リンク→ 
貧困のどん底 
暁の戒厳令  芦澤紀之 著 から


昭和八年元旦

2017年12月14日 01時15分51秒 | 山口一太郎

昭和八年の元旦に私は酒に酔って、
陸軍省の玄関の時計を叩きこわした。
陸相の荒木はそれで怒った。
私は荒木はこれでたいした者ではないと思った。

山口一太郎          荒木貞夫         渋川善助
同じ正月
渋川善助が家に年始に来て
座敷の隅に重ねておいた客用座布団を日本刀で五枚切り落とした。
・・・山口一太郎