緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

パコ・デ・ルシア 「二筋の川」を聴く

2022-02-23 21:43:15 | ギター
先日、日曜(20日)の夜に何十年振りかでパコ・デ・ルシアの「二筋の川(ENTRE DOS AGUAS "RUMBA")」を聴いた。
この曲は「幻/パコ・デ・ルシア」というタイトルのレコードの1曲目に収録された曲であった。





このレコード、高校2年生の時に初めて買ったフラメンコのレコードだった。
高校2年生の冬休みだったと思う。多分お年玉で買ったのだと思う。
その時のシーンは今でも憶えている。

「二筋の川」、この曲は聴く人の心の深いところから何かを引き出すものだと思う。
クラシックとは異次元の音楽ではあるが、聴くのは好きだ。

この曲のパコ・デ・ルシアのライブ映像がYoutubeにあったので貼り付けさせていただく。
再生回数は何と15百万回。音楽としては驚異的な回数だ。

パコの右手、左手の動きに注目したい。

Paco de Lucia - Entre dos Aguas


なお、パコ・デ・ルシアの生演奏を東京で1度だけ聴いたことがある。
その時のプログラムが保存されていた。
この頃のパコの音楽はかなり前衛的に変化していたと記憶している。





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サーモン・チャーハン作ってみた

2022-02-23 16:59:35 | グルメ
最近、実家にいたときに食卓に出てきた母の手料理を思い出すことがある。
遠い昔のことだが、母が料理の腕が上がったな、とふと思った時があった。
私が高校生の頃だ。
このとき、ロールキャベツなるものが初めて食卓に出て来たことがあったのだが、食わず嫌いの私は見ただけで、「何これ?。これはおいしくない!」と決めつけて一口も食べなかったことがあった。
その時の母から「何で?、おいしいのに」と非常に残念やら悲しいやらの入り混じった言葉を投げかけられたのを今でも憶えている。

またこんなこともあった。
高校生のとき、それはいつ貧血で倒れてもおかしくないほど青白い顔をして勉強ばかりしていた頃だったのだが、ある日の日曜日、大学受験の模擬試験が行わわれるので朝早く学校に行かなければならない時だったのだが、いつもは朝食はパン食と決まっていたのに、その日に限って何と、鍋焼きうどんが出てきたのだ。
朝に鍋焼きうどんが食卓に出てきたのは初めて。驚いた。
「朝っぱら、鍋焼きうどんなんか食えるわけないだろ!」と文句をつけた。
すると母いわく。「いいしょ。なんもー」
結局、その鍋焼きうどんをしぶしぶ食べて模試を受けにいったことはよく覚えている。確か冬の頃だったと思う。

高校生の頃から後で食卓に出てきた料理でおいしかったと記憶しているものを1つ思い出した。
「サーモン・チャーハン」
今日をこれを自分で作ってみようと思い立った。

まず、ご飯を炊く。
新しい米を買っておいてよかった。古い米は0.5合も残ってなかった。



外側を一度も洗ったことの無い埃にまみれたジャーに米1校を入れる。



材料はこれ。シンプルだ。



次に卵焼きを作る。
たまごは先日買った高級たまごだ。

コーヒー染みのついたカップに高級たまごを1個落とす。



黄身が赤い。高級たまごだけあって、安物の卵とは全然違う。

かき混ぜる。



1個だけじゃ足りないかな。もう1個足してみることにした。コレステロールは大丈夫か?。



ドイツ製超高級フライパンにといた卵を流し込み、蓋をする。





いいあんばいになってきたらフライパン返しで裏返しにして少し焼く。
超高級フライパンだけあって、たまごがフライパンの底にくっつかない。表面処理などしてないのに。すごい。



焼き上がったら、チャーハンサイズに小さく切る。



切ったたまごは次の具を切るのに邪魔になるので器に入れておく。



お次はねぎだ。



お次はサーモンだ。チリ産の冷凍養殖サーモンだ。



これをチャーハンサイズに小さく切る。
解凍されたこともあって、切りにくい。皮がすんなり切れてくれない。一部ミンチに。



ねぎとサーモンを別の大きなフライパンで先に炒める。



ねぎ&サーモン炒め完成。



次に炊き上がったご飯をフライパンに入れる。



そして得体の知れない、チャーハンの素という白い粉を降り注ぐ。
胡椒は使わなかった。何故か。
それは逆流性食道炎で荒れた食道を刺激することで、せきが出るためである。

全体炒め完了。



完成したチャーハンを皿に移す。完成だ。



日の当たる明るい場所で、もう1枚写真撮影。



さた、味はどうか。
上手い!。意外にもおいしかった。成功だ。
やはりサーモンを入れたのが良かった。これは全然違う。絶対お勧め。
これは誰かにご馳走するときの筆頭料理になるだろう。

デザートはこれだ。



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熊谷賢一作曲 マンドリンオーケストラのためのボカリーズ第9番「海原へ」を聴く

2022-02-22 22:03:09 | ギター
久しぶりにマンドリンオーケストラ曲を聴いた。
熊谷賢一作曲 マンドリンオーケストラのためのボカリーズ第9番「海原へ」。

熊谷賢一:ボカリーズⅨ「海原へ」


私が学生時代、初めて熊谷賢一作品を弾いたのがこの曲だった。







学生時代、熊谷作品はかなりの数を演奏したのだが、学生時代の頃はその真価に気付くことは出来なかった。
熊谷作品の真価に触れて理解できるようになったのは、それから30年を経過していた。

熊谷作品の中に、マンドリンオーケストラのための群炎第6番「樹の詩」という曲があるが、この曲、物凄くいい曲です。
マンドリンオーケストラ曲の中でも最高傑作の一つだと思っている。
不思議なことに、ボカリーズ第9番「海原へ」を聴いていると、群炎第6番「樹の詩」と共通するものを感じるフレーズがいくつか出てくる。
この2曲は同じ頃に作曲されたからなのだろう。
群炎第6番「樹の詩」は1982年5月作曲(母校マンドリンクラブは1984年7月に演奏)、ボカリーズ第9番「海原へ」は1983年9月作曲(母校マンドリンクラブは1983年11月に演奏)。





「樹の詩」と同様、この「海原へ」を聴くと強い感情が湧き起ってくる。
この頃の熊谷さんがもっとも伝えたかったことが感じられる。
この曲から感じられる熊谷さんの気持ちを私なりに感じたままに言わせてもらうならば、「打ちのめされどん底で光を失っている者を、そこから立ち上がり、這い上がろうとする力を与えようとしている、純粋な気持ちで彼らに手を差し伸べて、この手につかまって」と言っているような気がするのだ。まさにどん底からの再生力をテーマとしているのではないか。

こんな強いメッセージ力をもったマンドリンオーケストラ作品ってなかなか無い。

学生時代の楽譜の最後に記載されていた熊谷さんの詩(冒頭のナレーション)を下記に掲載する。

僕はひと粒の雨だった
君もひと粒の雨だった
日が昇ればすぐに溶けてしまう
風が吹けばすぐに消えてしまう
僕はひと粒の雨だった
君もひと粒の雨だった
人に踏まれれば二度と起きあがれない
車にひかれれば二度と立ちあがれない
僕はひと粒の雨だったけれど
君もひと粒の雨だったけれど
ひと粒の指と指が触れあえば
どこかで優しい涙があふれる
百粒の肩と肩が触れあえば
どこかに小さな水たまりができる
幾万の胸と胸が触れあえば
どこかで小さな川が流れ始める

また1983年11月の母校マンドリンクラブ定期演奏会のプログラムに記載されていた、恐らく熊谷さん自身が書いたと思われる解説文を転載する。

「- 霧雨の中、水の滴が葉をつたい、小さな川に落ちました。小さな川は、小さな力しかありませんが、それでも何か向かっていました。- やがて谷をめぐり滝を超え、ほかから流れた川と一つとなって、大きな川に成長します。その流れは絶えることなく、せせらぎと、陽の光を満面にしながら、夢と、大きな希望に満ちた海へと、まっすぐに進んでいくのです - 。」

学生時代に弾いた熊谷さんの作品をギターが弾けなくなるまでの間に一度でもいいから演奏したい。
「熊谷賢一展」なるものを立ち上げちゃおうかな。
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日本酒「浦霞」の酔いが回った後のアンダルーサ

2022-02-20 23:19:10 | ギター
日本酒「浦霞」の酔いが回っていい気分になってきたところで、調子に乗っていつもの「アンダルーサ」を弾いてみた。

日本酒「浦霞」の酔いが回った後のアンダルーサ いつになったら新曲を録音する? 2022年2月20日

明日、4;40起き。こんんあに夜更かしして大丈夫なのか。
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日本酒「浦霞」+亀田のサラダせんべいを飲み食いした直後のアルハンブラ

2022-02-20 22:39:51 | ギター
日本酒「浦霞」を飲み、亀田のサラダせんべいをパリパリ音をたてながら食べて、気分のいいところをアルハンブラを弾いてみようと思い立った。

日本酒「浦霞」+亀田のサラダせんべいを飲み食いして、ほろ酔いい気分のアルハンブラの想い出 2022年2月20日22:26

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