緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

安くていいアームカバー見つけた

2021-07-23 21:01:18 | ギター
夏になって半袖を着るようになると、ギターを弾く時に右ひじや上腕が楽器と直接肌で接触するため、動きが悪くなってしまう。
そこで、今まで古靴下を切って自作していた写真のようなアームカバーを使っていたが、最初のうちは肌に密着していても使っているうちに生地が緩んできて下にずり落ちてくるようになってきていた。



(それにしても汚い。人にお見せできるものではないが、あえて掲載)

そこで安くていいアームカバーが市販されていないかとアマゾンで検索してみたらけっこうこれがたくさんあるのだ。
以前、現代ギター社で随分高い値段で販売されていた記憶があったため、意外だった。
さっそくメンズ用の良さそうなのを選んで注文。
2足で682円。これは安い。





今日届いて装着してみたらこれはいい!。
楽器との接触部もすべりが良く、ストレスを感じない。
いい買い物をした。

【追記202107252155】

この商品の弱点を見つけた。
このカバーを脱いだら、腕に広範囲にわたって「縞」のような赤い跡が付くのだ。
せっかくの細く、白い肌もこれでは台無しだな。


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R.サーインス・デ・ラ・マーサ作曲「ソレア」を聴く

2021-07-22 20:37:11 | ギター
レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(Regino Sáinz De La Maza、1896-1981)と言えば、ギタリスト兼作曲家、ロドリーゴ作曲アランフェス協奏曲の献呈者、初演者であり、優れた教育者であったことは、ギター愛好家の誰もが知っているクラシックギターの大家である。

自作曲はスペインの古くから伝わる音楽を素材としたものが多く、このブログでもこれまでいくつかの曲を記事に取り上げたが、今日紹介するのは「ソレア」(Soleá)という曲も、フラメンコの1つの曲種らしく、スペインの民族色の実に満ち溢れた曲だ。

このサインス・デ・ラ・マーサの「ソレア」に初めて出会ったのが高校3年生のとき、今から40年程前だが、FMラジオからホセ・ルイス・ゴンサレスの録音を聴いたことだった。
この曲に続いて演奏された同じ作曲者の「アンダルーサ」(のちにロンデーニャに改作)とともに、この後、このホセ・ルイス・ゴンサレスの録音を何度聴いたか分からない。
とにかくホセ・ルイス・ゴンサレスの音や、演奏から放射されてくる感情エネルギーにすっかり魅了されてしまったのである。
この「ソレア」は左手の押さえの困難な難曲で、ホセ・ルイスの演奏にはたくさんの音のビリツキがあるにもかかわらず、彼の演奏を聴けば聴くほど惹き込まれてしまった。

そしてこの「ソレア」と「アンダルーサ」をどうしても弾きたくなり、今は無き好楽社のカタログで探したら「アンダルーサ」は無かったが「ソレア」はあったので注文して手に入れた。高校3年生の春の頃だ。





(表紙左上に茶色い染みが付いていた。一体、何を付けたのか?)



「ソレア」という曲は、物悲しく哀愁のある中で随所で激しい感情が表出される。
フラメンコの歌や踊りが想起される。

とくにハイポジションの左手の押さえが非常に難しいこの部分は、テンポを緩めず、激しく打ち付けるような強い音で弾かなければならない。





とても激しい感情が伝わってくるフレーズだ。
頼りない貧弱な音で、恐る恐る「これでいいでしょうか~」というような、石橋を叩いて渡るような弾き方では全く興ざめしてしまうのだ。

そしてこの部分に入る直前の三連符が続くところ。
ここの弾き方は馬鹿正直に譜面通りに弾いたら、次の激しいフレーズに繋がっていかない。
ホセ・ルイスの弾き方が参考になる。

この後に現れる旋律の頭にトリルが入る部分を聴くと、小学生の時に聴いたNHKみんなの歌の何とかという歌(イカロスという言葉が出てきたような?)の旋律が思い浮かんでくるから面白い。

次のコプラの部分はアポヤンドで芯のある強い音で弾かなければ聴く人の心を素通りしていくだけであろう。



最後はハイポジションの単音に続いて強く切るような和音で終わるが、この最後の和音も強く弾かなければならない。
短く切って、残響が残るような感じだ。

Youtubeでホセ・ルイス・ゴンザレスの録音がないかと探したが無かった。
楽譜が入手しづらいためだろうか投稿数も少なく、いい演奏が皆無だった。

本当は良くないが、下にホセ・ルイスの録音を貼り付けた。
また作曲者自身の自演の録音も貼り付けておく。
これらの演奏とYoutubeで投稿されている演奏をぜひ聴き比べて欲しい。
今のギター界で何が足りないのか、何で感動する演奏や演奏家が出て来なくなってしまったのか、という理由がきっと分かると思う。

やはり聴く人の魂にまで届き、震わせる演奏でないと、繰り返し聴きたいという気持ちにさせることは出来ない。

①ソレア:ホセ・ルイス・ゴンサレス演奏(1980年スタジオ録音)

②ソレア:サーインス・デ・ラ・マーサ演奏(1953年ライブ録音)
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加古隆作曲「鎮魂歌」

2021-07-18 23:44:25 | ピアノ
今日は社会人マンドリンクラブの練習がちょっと遠い所であった。
今日新たに発見したのだが、何度も練習を積み重ね、またギター以外の各パートの音が聴こえてくるようにしたがって、だんだんと、この曲ってなかなか「いい曲だな!」と感じられる曲をあらためて意識するようになった、ということだ。
いろいろな種類の感情が随所で高揚してくるのが感じられるようになってきた、ということだろうか。
さてその曲とは何か。
10月の演奏会を聴きにきてくれることを期待したい。

練習が終わった後は、数人で反省会。
しばらくぶりだ。
私はノンアル。ノンアルでも結構いける。
私の場合は飲んでも飲まなくても気分にあまり変化がないので、これからノンアルで参加してもいいと思う。

今日も遅い時間となった。
静かな夜の部屋で、この曲を聴いてから体を休めることにしたい。

鎮魂歌/加古隆/ピアノ/Requiem/Takashi KAKO/piano
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懐かしい中学校時代の校歌を聴いた

2021-07-18 00:05:11 | その他の音楽
今日は講習会の仲間とオンライン飲み会で先ほどお開きに。
明日と言っても日付が変わってしまったが、マンドリンクラブの練習でちょっと遠い所まで出かけなければならない。

昨日、ふと、中学校時代の校歌のことが頭に浮かんできた。
中学と言っても入学した中学校であったが、親が家を新築して転校するまで8か月ほど在籍した学校であった。
この中学での思い出は今までの人生の中でも最も楽しかったものだ。
転校した中学も楽しかったが、この中学での8か月間の出来ごとは、自分の人生体験の中での長い年月の中で、最も印象深く、自分が最も自分に正直に生きることの出来た期間でもあった。

この中学校は合唱がさかんで、2年生や3年生が歌う合唱曲から伝わってくる熱気は今でも記憶に強く残っている。
(モルダウとかハレルヤ)
学校の行事で校歌を歌う機会も多かったが、この校歌を歌う上級生の歌声やピアノ伴奏も40年以上たった今でも思い出すことができる。とくにピアノ伴奏は強烈に印象に残っている。演奏した人も覚えている。

この校歌がもしかしてYoutubeにあるのではないか、という考えが浮かび、まさかとは思ったがあった。

Youtubeの音源を直接公開できないでの、スピーカーを通して録音したものを下記に貼り付けた。
全体合唱ではなかったのが残念だったが、40数年振りに聴いて、その当時のさまざまなことがよみがえってきた。
とくに後半部のフレーズは忘れられないものだ。

某中学校校歌
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合唱曲「沈黙の名」を聴く

2021-07-16 21:27:33 | 合唱
今日の夜、いつものように静かな週末の夜であったが、しばらく疎遠になっていた合唱曲を聴いた。

作詞:谷川俊太郎 作曲:三善晃 合唱曲「沈黙の名」
演奏:北海道立札幌北高等学校(平成12年度NHK全国学校音楽コンクール全国大会高等学校の部)

この曲、この演奏は私が今までたくさん聴いて来た合唱曲、合唱演奏の中ではトップクラスのものであり、このブログでもこれまで何度か記事に取り上げたことがあった。
今日久しぶりに聴いたが、冒頭から知らないうちに強い感情が溢れ出てきた。
この曲の持つ力は計り知れない。
合唱曲の中でも間違いなく屈指の名曲と言える。
これほど曲と詩が高次元で融合した合唱曲は無いのではないかと思えてくる。

この詩に出てくる主人公は間違いなく戦争体験者であろう。
「呼ぼうとして、ついに呼びえなかったもの」、「名づけられぬものの名」。
何故ならば、このものの「名」は、「彼女らを不幸にするばかりだから」、「故知らぬさびしさに誘うばかりだから」。

この詩の作者は答えを鑑賞者に問うている。
恐らく戦争の体験の無い世代には理解を求めても得られぬものなのかもしれない。
しかしこの主人公には戦争体験者として何かを伝えたいという強い衝動があった。

執拗に繰り返される「夏よ」という言葉。
伝えたくても伝えられない激しい葛藤、理解されぬことの淋しさ、無意味さ、諦念の情、あたたかいやさしさ。

この曲を聴くと心がリセットさせる。是非聴いて欲しい。それも無心に。
5分にも満たない、このシンプルな曲が秘めているさまざまな感情の持つ力が、聴く人のしばられた心を解き放ってくれる。

手持ちのCDから冒頭の録音をMP3に落としてリンクを貼った。
音が悪くなっている。ちゃんと聞くならCDの方が絶対いい。

作詞:谷川俊太郎 作曲:三善晃 合唱曲「沈黙の名」
演奏:北海道立札幌北高等学校(平成12年度NHK全国学校音楽コンクール全国大会高等学校の部)


【追記202107171055】

今日、昨日に続きこの谷川俊太郎さんの詩「沈黙の名」をあらためて読んでみた。
この詩の中に出てくる若い娘たちとは、この土地の人たちではなく、夏にだけ、つまり観光などで夏休みにだけ訪れる人たちではないかと感じた。
現在は、美しい花々、木々、小鳥たちに満ち溢れている平和で美しいこの地も、かつては戦争の舞台として数多くの死者を出したという負の歴史があったのかもしれない。
この詩の主人公はこの土地に生まれ育ち、この地で恐ろしい戦争を体験したのではないか。
主人公は、今となっては想像できないこの美しい地で、かつて戦争が繰り広げられ、多くの人々が犠牲になった、ということを少女たちに伝えたかったのかもしれない。
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