緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

チック・コリア 「トリオ ミュージック ライブ・イン・ヨーロッパ」を聴く

2021-02-14 21:00:23 | ジャズ
一昨日の夕刊と昨日の朝刊にジャズミュージシャンのチック・コリアの死去を知らせる記事が載っていた。
享年79。





チック・コリアの音楽、演奏に初めて触れたのは今から35年近く前になる。
就職で東京に出てきた私は、その開放感と、自分の好きなものをある程度は買える収入を得たことから、それまでの貧乏学生の反動で本やレコードをずい分買ったものだった。
そんな時にクラシックギター以外のジャンルの曲も聴いてみようという心境になり、まずはジャズを聴き始めた。
その時に初めて買ったレコードがチック・コリアの「トリオ ミュージック ライブ・イン・ヨーロッパ」というアルバムだった(1984年9月、ウィリサウ及びロイトリンゲンでのライブ録音)。



これはある意味、初めて聴いたジャス曲としては{当り」だった。
とにかくこのアルバムの曲(とくにA面の3曲)や演奏にすぐに惹き込まれて毎日何度聴いたものだった。
これをきっかけにジャスにのめり込んだ。しかしこの熱中は1年もたたないうちに終焉を迎える。
当時出版されたばかりの、寺島靖国著「辛口ジャズノート」に感銘し、この本に紹介されていたレコードを買い集めていった。
それがちょっとした楽しみだった。
マンションのワンルームで営業したレコード屋さんもあったっけな。

何故、ジャズ熱が1年で覚めてしまったのか。
この1年の間にかなりの枚数のアルバムを聴いたのだが、チック・コリアの「トリオ ミュージック ライブ・イン・ヨーロッパ」の曲や演奏しか記憶に残らなかったのである。
ビル・エバンスの「枯葉」も随分と聴いたはずなのであるが、今、この「枯葉」の演奏は記憶にほとんど残っていない。
しかし「トリオ ミュージック ライブ・イン・ヨーロッパ」の演奏は細部にわたって殆ど今でも記憶に残っている。
結局、今から思うと私はジャズ音楽に興味を覚えたのではなく、チックコリアトリオの演奏するこの「トリオ ミュージック ライブ・イン・ヨーロッパ」の音楽のみに感動し、好きになっていたのはないかと、ということだ。

今日本当に久しぶりにのこのアルバムを聴こうとレコードを出したらカビだらけだったので、レコードを買ってすぐに録音したカセットテープを聴いてみた。







カセットテープもかなり劣化していて音が歪んでしまっていた。
しかし演奏から伝わってくるものは、就職して間もない頃に何度も聴いていたあの頃のままだった。
何ともいえない、言葉に言い表せない魅力。
知らずに惹き込まれていく音楽、演奏

残念ながらYoutubeには無かった。

1.ザ・ループ
2.アイ・ヒア・ア・ラプソディ
3.サマー・ナイト -夜も昼も-

チック・コリア(ピアノ)
ミロスラフ・ヴィトウス(ベース)
ロイ・ヘインズ(ドラムス)

この時代に買ったチック・コリアのアルバム







寺島靖国氏が痛烈に批判したアルバム「リターン・トゥ・フォーエバー」



1941年、米ボストン生まれ。
ジュリアード音楽院中退。
初期はスタン・ゲッツやマイルス・ディビスと共演。
グラミー賞67回ノミネート。23回受賞。
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松田先生との出会い (fado)
2021-02-15 18:46:28
松田先生との出会い

 緑陽さん、こんにちは、先週の土曜日、姫路に住む私の尊敬する松田先生の奥様から電話が来ました。松田先生、ご逝去の連絡でした。
 つい1か月ほど前、松田先生とは電話で楽しく、ギターのことや先生が所有するトーレスの話など楽しくさせていただいたばかりでしたので、本当にびっくりしました。その日は、深夜まで眠れず、先生の書かれた本を出してきて読みました。次の日(昨日)は日曜日でしたので、終日、先生のCDを聴いていました。下記は松田先生との出会いを綴った雑文です。ご覧いただけると幸いです。
 ブリームすでに亡くなり、ジョンは変貌し引退、最後のマエストロ、松田先生がなくなった今、クラシックギターはどこに向かうのでしょうね。

 松田先生との出会いは・・・と言っても、雑誌やレコードでですが、私が20代の前半頃、今、仙台でギター製作を行っている同郷の友人に、「松田二朗さんという凄いギタリストがいる。」と教えてもらい、松田先生のレコードを購入しました。確か、片面に、三宅榛名さん編曲の「日本の歌」、もう片面には「アルハンブラ・魔笛などの名曲」の入ったオムニバス盤でした。魔笛の変奏を聴いたときには背中に鳥肌が立つような衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えています。それまで、イエペスや阿部保夫さんなど色々な人の「それ」を聴いていましたが、ダイレクトに音楽を感じたのは松田先生がはじめてでした。それから、「バッハを弾く」や「プラテロと私」などを購入し、それこそ盤が擦り切れるほど聴きましたが、レコードからCDへと変わり、また、レコードプレーヤーも使えなくなり、街のCDショップを覘いてみたのですが先生のCDはどこにも無く、先生の演奏を聴くことができなくなってしまいました。それからは、巷で噂になっているギタリストなどのCDを購入して聴いていました。最初は、めまぐるしく動く指に驚きを感じていたのですが、「感心はするが感動はしない」ということで、次第にギターのCDを聴かなくなってしまいました。11年ほど前パソコンをいじるようになり、遂に先生のホームページとめぐり合いました。早速、CDを購入し、逸る気持ちを抑え、スピーカーの前で全身を耳にして聴き入ってしまいました。スピーカーから流れてくる先生の演奏に「この音楽が聴きたかったのだ!」という感覚、長年、恋焦がれた人に再会できたような気持ちでした。思い余って、先生にEメールをしたところ、返信があり感動しました。そればかりではなく、2010年には、遂に札幌で先生のリサイタルを聴くことができ、また、打ち上げの会食で先生とお話をすることさえ出来ました。その時、リサイタルを聴いた感動への感想を書き先生に送った次第です。下記にその文面を乗せさせていただきましたので、御覧いただけたなら幸いです。
 
2021年2月15日(月)Fado・札幌

ギターは小さな星のオーケストラ

ついにその日がやってきました。「松田晃演~名器トーレスを奏でるクラシックギターコンサート~」・・・私は、この日をどれほど待ちわびたことか・・・

真っ白いタキシード姿の松田先生が、愛用の名器トーレスを携えステージに現れました。にこやかな笑顔の後、一瞬、遠くを見つめるような目を愛器の指板に移し、静かに和音を奏でました。神技ともいえるような、弾き鳴らされた六つの音から一音だけが強調され、静かなホールを柔らかく満たしたとき、不覚にも目頭が熱くなり、目を上に向けました。私の右と左の席に座っていた教え子が、不思議そうに私の方を見つめている気配を感じながら、グラナダを身体全身で受け止めていました。

グラナダ・・・二十代のはじめごろ松田先生のレコードから流れてくるこの曲の持つ「古(いにしえ)の昔から吹き抜ける地中海のぬるい風」が私の心の襞に染み込んでしまいました。目の前で奏でられている小さなギターがこれほどまでにダイナミズムをもっているのか・・・!コントラバスに支えられたバイオリンとビオラのピチカートをぬうように透明なスペインの旋律を奏でるオーボエといった響き・・・。
まるで、一つ一つの旋律が各自、美しさの主張をもって奏でられる、ロンカルリの次に弾かれたソルの練習曲(月光)。単純な練習曲がこれほどまでに生命を与えられるのを始めて耳にしました。それは、ある意味衝撃にも近い感動でした。また、禁じられた遊びのテーマがあれほど音楽的に響いたのも聴いた事がありません。

休憩を挟んで最初に弾かれた、バッハの前奏曲の最初の一音は私の鼓膜をあっさり打ち破ってしまいました。それから次々と奏でられる先生の音楽・・・ポンセの爽やかさ、タルレガの詩情、ビラロボスの神秘性、最後に弾かれたグラナドスのスペイン舞曲第10番の明るくはじけるように弾むリズム・・・。アンコールの「聖母の御子」の余韻を引きずりながら、至福の時間は幕を閉じました。やはり、松田先生のギター音楽は「小さなオーケストラ」ですね。当日は音楽を胸いっぱい吸い込んでエネルギーを充電できました。ありがとうございました。
2010・24・21 Fado
追伸
22日は、私の拙いギターを見ていただきありがとうございました。緊張のあまり口から心臓が飛び出しそうになりました。目の前で聴かせていただいた先生のギター・・・。本当に夢のような時間を過ごさせていただきました。

※コロナ禍にあり、先生にお線香をあげることが出来なくとても残念です。
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Unknown (緑陽)
2021-02-16 21:56:16
fadoさん、お久しぶりです。
松田晃演さんが、亡くなられたのですね。
fadoさんが初めて私のこのブログにコメントを下さったときに、松田さんのことを絶賛されていたことを思い出します。
一人の演奏家、音楽家との衝撃的な出会いがあり、そして本人に是非会って直接話しをしたい、という強い気持ちを実際に行動に移して実現されたことは素晴らしいことだと思います。
その気持ちがあったからこそ、松田さんもfadoさんに応えようとして下さったのではないでしょうか。

私が松田さんの演奏を初めて聴いたのは、1982年4月に放映された「NHKギターを弾こう」でした。
オープニング曲はカタロニア民謡の「プラニー(哀歌)」でした。当時はよくこの番組にこの暗い曲を選んだな、と思ったものでした。
松田さんはその番組ではハウザーⅡ世の楽器を使っていました。あまり感情を出さない厳しい方、という印象でしたね。(たしか手の綺麗なご婦人(受講生)の発言にかなり厳しく反応されていたような?記憶があります)。
その後2001年に出版された「ギターは小さな星のオーケストラ」というエッセイを発売されてすぐ読みました。ジョン・ウィリアムスの若い頃やセゴビアの講習会でイエペスとセゴビアが大喧嘩した時のエピソードなど、裏話もあり興味深かったですね。
その後はfadoさんに教えてもらった「天国と地獄」を買って読みました(未だ完読していませんが)。
この著作にこんなことが書いてありました。
「そうであるかそうでないかは別としてわたしは今のコンクールは無い方が好いと思いますし、応募しない方が良いし、ましてや、コンクールを目標に芸術的音楽家を目指して稽古をしても意味がないでしょう。コンクールとは名前が悪いのであって「ギター競演会又は競技会」とでもすれば好いのでしょうか。(中略)コンクールに入賞される方がわたしの所に習いに来られる事がありますが、音楽的に私と違った方向の音楽を目指して進んで行っておられるのにはひどく驚きます。」
これは考えさせられますね。私は東京国際やスペインギター音楽コンクールを20年以上ほぼ毎年聴いてきましたが、このコンクール優勝者で「本当の意味で」聴き手を感動させられる音楽を奏でられるように成長し、活躍している方は果たしているのでしょうか?。甚だ疑問に感じます。
それはコンクールが音楽の本質を離れてしまっていっているからなのではないか。
音量、技量のみに力点を置いた審査に偏ってしまっているように感じます。

クラシックギター界は1980年代になってから大きく流れが変わったように感じます。
その最たるものが音の出し方にあります。
この頃から日本でたくさんレコードやCDを出していたプレーヤーの録音を現在たまに聴きますが、聴いていられないほど汚い音を出してますね。しかも軽くて薄っぺらい。
その陰に隠れる(?)ようにして、地味であはるが、素晴らしい演奏や録音を残していた方もいますね。
西村洋さん、田部井辰雄さんといった方です。
あと佐藤紀雄さんの「武満徹12の歌」のレコード、これも素晴らしい演奏だった(セゴビア系とはかなり違うけど)。
最近、昔買ったレコードで田部井辰雄さんのスペイン舞曲第5番の録音を聴いたのですが、凄い演奏です。
横道にそれてしまいましたが、80年代からセゴビアの流れを汲む演奏家が隅に押しやられてしまったのは、大きな損失だと思いますね。
はっきり言ってセゴビア亡き後のこの35年間、演奏に熱狂できるものって数えるほどしかありません。
そう考えるとfadoさんは松田さんという本当の音楽を伝えることのできる師に出会い、10年という長い間交流を持てたことはとても幸せなことだったのではないでしょうか。
fadoさんの気持ちの強さと行動力の賜物だと感じます。
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