ギター曲で最も悲しいと感じる曲の1つに、アグスティン・バリオス(Agustim Barrios Mangore 1885-1944)作曲の「前奏曲ハ短調(Preludio en Do menor 、Prelude C sharp)があげられる。
この曲を初めて聴いたのは高校3年生の時、FMラジオでスペインのギタリスト、ホセ・ルイス・ゴンサレス(Jose Luis Gonzales、1932-1998)のレコードでの演奏であった。
このFMラジオでホセ・ルイス・ゴンサレスというギタリストを初めて知った。
1981年の春の頃だっただろうか。
この時のFMラジオでは、ホセ・ルイス・ゴンサレスが2度目の来日の記念に1980年11月に聖グレゴリオ教会(ギターの録音によく利用される)で録音されたレコードの中から、サーインス・デ・ラ・マーサの「ソレア」と「アンダルーサ(ロンデーニャの旧作)」、そしてバリオスの「前奏曲ハ短調」と「郷愁のショーロ」が放送された。
私はこの放送をカセット・テープに録音し、その後就職して再発されたCDを買うまで何度も何度も聴いた。
このレコードは「ホセ・ルイスの至芸 第1集」というアルバムであったが、当時高校生だった私には買うことができなかった。
ホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏を初めて聴いた印象は、音のビリつきの多い演奏だな、左手に難点のあるギタリストだな、という印象だった。
しかし何度か聴いているうちにすっかり、彼の演奏の魅力にとりつかれてしまった。
そしてすぐにこの4曲を弾きたくなり、まずバリオスの2曲の楽譜を買い求めた。
当時バリオスが注目され始めていた頃であり、全音楽譜出版社からメキシコのギタリスト、バリオスの研究家であるヘスス・ベニーテス編の楽譜が出ていたので、これを手に入れた(当時の価格で1,200円)。
それからというもの、「郷愁のショーロ」、「前奏曲ハ短調」を馬鹿みたいに弾き続けた。
当時高校生だった私は、高校生活に不遇で勉強ばかりしていたのであるが、学校の必修クラブでギター・クラブというのがあり、そのクラブの時間に、この2曲を飽きるまで弾き続けていたことが思い出される。
つまらなく、嫌で苦しい高校生活もこの時間だけは至福のように感じられた。
高校時代、芸術科目は音楽を選択していたが、或る時、授業でギター演奏を披露する機会があり、その時にタレガのタンゴと、ヴィラ・ロボスの前奏曲第1番を弾いたのであるが、その後担任の先生を介して、音楽の先生がものすごく褒めていたよ、と聞かされてとてもうれしかったことを思い出す。
歌ではひどい目にあっていたが、このギター演奏で通信簿が5段階評価2から5に跳ね上がったのは、高校時代暗かった私にとっては少し自信をもつきっかけとなったのである。
このホセ・ルイス・ゴンサレスのLPレコードは買えなかったが、就職してから再発されたCDを買った。
しかし、このCDには「前奏曲ハ短調」が収録されていなかった。
これにはとてもがっかりした。
この「前奏曲ハ短調」は私にとってとても大切な曲であったし、なによりも初めて聴いたホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏を聴きたかった。
それから30年近くたって中古のLPレコードを手に入れた。
興奮気味にレコードの針を落とす。
あの時に何度も聴いた演奏が蘇る。
とても悲しく、激しい感情の伝わる演奏。
感動で鳥肌がたった。
凄い演奏だった。こんな音を出せるギタリストは今やいない。
11小節目から徐々にクレッシェンドし、低音が6弦開放で始まるフレーズが最高潮となるが、この6弦開放の音が凄い。感情の起伏が自然であり、かつ強い。
楽器は1964年製のホセ・ラミレスⅢ世である(ホセ・ルイスがシドニー国立音楽院の教授の仕事を終え、スペインに帰国する帰路で手に入れたブレスレットと交換したと言われる、ラミレス婦人所有だった楽器)。
ホセ・ルイス・ゴンサレスは1980年代からにわかに注目され、多くの日本人ギタリストが彼の教えを求めてスペインのアルコイに留学した。
私も1990年代初めに、御茶ノ水のカザルス・ホールで彼の生演奏を聴いたが、残念ながらこの時は最盛期を過ぎていた。
彼の最後のアルバム「タレガを讃えて(Homenaje a Tarrega)の演奏は最盛期の演奏とは別人のようだった。
しかし最盛期のホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏は素晴らしい。
ギターという楽器の持つ真に魅力ある音を引き出すことに成功したのは、セゴビアとホセ・ルイスだけではないだろうか。
ホセ・ルイスの音と、昨今のギタリストの音を聴き比べてほしい。
現代のギタリストに最も欠けていることが彼の演奏を通して浮き彫りにされる。
現代のギタリストは楽器から最大限の魅力ある音を引き出していないし、感情エネルギーに乏しい。
貧弱な音であり、聴き手の魂を震わせることは無い。聴き手の内面の深いところには決して届かない。
ホセ・ルイスのような強烈な個性を持ち、聴き手を真に感動させるギタリストはこの20年現れていない。
しかしホセ・ルイスにも欠点がある。
レパートリーが少なく、スペインもの、南米ものに偏っている。
彼のことをマエストロと呼ぶ人がいるが、私はクラシックギター界の巨匠とは認めていない。
「前奏曲ハ短調」は2分ほどの短い曲で、シンプルな分散和音の連続の曲であるが、左手は押さえが難しいし、力が奪われる曲である。
ヘスス・ベニーテス編の運指では最後まで持たない。
運指はかなり研究したが、左指の力の弱い私にとってはこの曲は最後まで弾くのがやっとであった。
ホセ・ルイス・ゴンサレス演奏の「前奏曲ハ短調」はYoutubeに投稿されていなかった。
意外なことにホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏の投稿が少ない。
彼の存在はもはや伝説となりつつあるのか。
この曲を初めて聴いたのは高校3年生の時、FMラジオでスペインのギタリスト、ホセ・ルイス・ゴンサレス(Jose Luis Gonzales、1932-1998)のレコードでの演奏であった。
このFMラジオでホセ・ルイス・ゴンサレスというギタリストを初めて知った。
1981年の春の頃だっただろうか。
この時のFMラジオでは、ホセ・ルイス・ゴンサレスが2度目の来日の記念に1980年11月に聖グレゴリオ教会(ギターの録音によく利用される)で録音されたレコードの中から、サーインス・デ・ラ・マーサの「ソレア」と「アンダルーサ(ロンデーニャの旧作)」、そしてバリオスの「前奏曲ハ短調」と「郷愁のショーロ」が放送された。
私はこの放送をカセット・テープに録音し、その後就職して再発されたCDを買うまで何度も何度も聴いた。
このレコードは「ホセ・ルイスの至芸 第1集」というアルバムであったが、当時高校生だった私には買うことができなかった。
ホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏を初めて聴いた印象は、音のビリつきの多い演奏だな、左手に難点のあるギタリストだな、という印象だった。
しかし何度か聴いているうちにすっかり、彼の演奏の魅力にとりつかれてしまった。
そしてすぐにこの4曲を弾きたくなり、まずバリオスの2曲の楽譜を買い求めた。
当時バリオスが注目され始めていた頃であり、全音楽譜出版社からメキシコのギタリスト、バリオスの研究家であるヘスス・ベニーテス編の楽譜が出ていたので、これを手に入れた(当時の価格で1,200円)。
それからというもの、「郷愁のショーロ」、「前奏曲ハ短調」を馬鹿みたいに弾き続けた。
当時高校生だった私は、高校生活に不遇で勉強ばかりしていたのであるが、学校の必修クラブでギター・クラブというのがあり、そのクラブの時間に、この2曲を飽きるまで弾き続けていたことが思い出される。
つまらなく、嫌で苦しい高校生活もこの時間だけは至福のように感じられた。
高校時代、芸術科目は音楽を選択していたが、或る時、授業でギター演奏を披露する機会があり、その時にタレガのタンゴと、ヴィラ・ロボスの前奏曲第1番を弾いたのであるが、その後担任の先生を介して、音楽の先生がものすごく褒めていたよ、と聞かされてとてもうれしかったことを思い出す。
歌ではひどい目にあっていたが、このギター演奏で通信簿が5段階評価2から5に跳ね上がったのは、高校時代暗かった私にとっては少し自信をもつきっかけとなったのである。
このホセ・ルイス・ゴンサレスのLPレコードは買えなかったが、就職してから再発されたCDを買った。
しかし、このCDには「前奏曲ハ短調」が収録されていなかった。
これにはとてもがっかりした。
この「前奏曲ハ短調」は私にとってとても大切な曲であったし、なによりも初めて聴いたホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏を聴きたかった。
それから30年近くたって中古のLPレコードを手に入れた。
興奮気味にレコードの針を落とす。
あの時に何度も聴いた演奏が蘇る。
とても悲しく、激しい感情の伝わる演奏。
感動で鳥肌がたった。
凄い演奏だった。こんな音を出せるギタリストは今やいない。
11小節目から徐々にクレッシェンドし、低音が6弦開放で始まるフレーズが最高潮となるが、この6弦開放の音が凄い。感情の起伏が自然であり、かつ強い。
楽器は1964年製のホセ・ラミレスⅢ世である(ホセ・ルイスがシドニー国立音楽院の教授の仕事を終え、スペインに帰国する帰路で手に入れたブレスレットと交換したと言われる、ラミレス婦人所有だった楽器)。
ホセ・ルイス・ゴンサレスは1980年代からにわかに注目され、多くの日本人ギタリストが彼の教えを求めてスペインのアルコイに留学した。
私も1990年代初めに、御茶ノ水のカザルス・ホールで彼の生演奏を聴いたが、残念ながらこの時は最盛期を過ぎていた。
彼の最後のアルバム「タレガを讃えて(Homenaje a Tarrega)の演奏は最盛期の演奏とは別人のようだった。
しかし最盛期のホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏は素晴らしい。
ギターという楽器の持つ真に魅力ある音を引き出すことに成功したのは、セゴビアとホセ・ルイスだけではないだろうか。
ホセ・ルイスの音と、昨今のギタリストの音を聴き比べてほしい。
現代のギタリストに最も欠けていることが彼の演奏を通して浮き彫りにされる。
現代のギタリストは楽器から最大限の魅力ある音を引き出していないし、感情エネルギーに乏しい。
貧弱な音であり、聴き手の魂を震わせることは無い。聴き手の内面の深いところには決して届かない。
ホセ・ルイスのような強烈な個性を持ち、聴き手を真に感動させるギタリストはこの20年現れていない。
しかしホセ・ルイスにも欠点がある。
レパートリーが少なく、スペインもの、南米ものに偏っている。
彼のことをマエストロと呼ぶ人がいるが、私はクラシックギター界の巨匠とは認めていない。
「前奏曲ハ短調」は2分ほどの短い曲で、シンプルな分散和音の連続の曲であるが、左手は押さえが難しいし、力が奪われる曲である。
ヘスス・ベニーテス編の運指では最後まで持たない。
運指はかなり研究したが、左指の力の弱い私にとってはこの曲は最後まで弾くのがやっとであった。
ホセ・ルイス・ゴンサレス演奏の「前奏曲ハ短調」はYoutubeに投稿されていなかった。
意外なことにホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏の投稿が少ない。
彼の存在はもはや伝説となりつつあるのか。
宇都宮さんも、私と同じ経験をなさったのですね。
私はホセ・ルイスの弾く、バリオスの前奏曲ハ短調、郷愁のショーロ、サーインス・デ・ラ・マーサのソレア、アンダルーサ、、そしてセゴビアの弾くタンスマンのポーランド組曲が好きでした。
カセットテープで何度も聴きました。
ホセ・ルイスは1984年に札幌でコンサートをやりましたが、聴く機会を逃しました。
その後1990年代初めに御茶ノ水で初めて実演に触れましたが、その時は最盛期を過ぎた演奏だったのが惜しまれます。
やはりあの番組でしたか。私もセゴビアのポーランド風組曲、ジョンの大聖堂、ブリームの大序曲、ホセ・ルイスの郷愁のショーロなどなど・・・夢中になってカセットテープに録音しました。大聖堂と郷愁のショーロには特に衝撃を受け、ベニーテス編の楽譜とジョンのバリオス名曲集のLPを入手しました。
ホセ・ルイスが亡くなってからしばらく経ちますが、生演奏を聴けなかったのが残念です。
前奏曲ハ短調の記事、お読み下さりありがとうございました。
おっしゃるとおり、1981年の春に放送された番組に間違いないと思います。宇都宮様もお聴きになっていたのですね。
この番組ではセゴビアの他、若い時のブリームの貴重な録音、ジョン・ウィリアムスのバリオスの大聖堂など、普段私が到底聴くことがない曲がふんだんに盛り込まれており、とても興奮してカセットテープレコーダーを回していたことが思い出されます。
おっしゃるようにホセ・ルイスの音は瑞々しく生命力に溢れています。
今、彼の演奏が忘れ去られていることが残念です。
ご紹介いただいたYoutubeの演奏、早速聴かせていただきました。ありがとうございます。
1994年に録音されたジョン・ウィリアムスの2回目の録音ですね(1回目は1979年か1980年です)。
2回目の録音の方が1回目よりも少し速度が遅くなっています。
この2回目の録音は既にスモールマンという楽器に替えた後の演奏で電気処理もされた演奏なのですが、結構聴きました。
しかし個人的には、1回目の演奏の方が絶対お勧めです。
この時は楽器はフレタを使用していた時であり、聴かせどころではジョンの往時の打ちつけるような、心に喰いつくよう素晴らしいタッチが聴きとることができます。
録音も素直で自然なものです。
ありがとうございました。
おすすめのホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏ではないの
ですがジョン・ウィリアムズの演奏がありましたので
朝の静かな時間に聴かせていただきました。
ありがとうございます。
https://www.youtube.com/results?search_query=Prelude+in+C+minor+-+Barrios+-+John+Williams+