フランスの作曲家、フランシス・プーランク(1899-1963)の唯一のギター曲「サラバンド」の存在を知ったのは、中学2年生か3年生の時だったと思う(1978年頃)。
兄がFMラジオでイエペスが演奏するこの曲の録音をたまたま聴いていて、私に「6弦から1弦の開放弦を順番に弾いて終わる変わった曲を聴いたよ」と教えてくれたことがきっかけだった。
その時はこの曲がプーランクのサラバンドであることなど分からなかったが、この曲を私自身が初めて聴いたのはずっと後になってのっことだった。
プーランクはフランスの6人組と呼ばれた作曲家集団の1人で、旋律感覚と和声はフォーレの影響を受けていると言われている。
幅広いジャンルに渡って作曲したようだが、20年ほど前にフォーレのピアノ曲にのめりこむようなっていたときにプーランクのピアノ曲集のCDを買って聴いたことがあった。
その時の印象は、「期待はずれ」。
要はつまらなかった、というのがその時の私の印象だ。
このギター曲「サラバンド」はイダ・プレスティのために作曲されたとのことだが、主旋律は「ピアノのための即興曲第13番」から採用されている。
構成は教会旋法を採用していると思われ、宗教的なグレゴリオ聖歌などに見られるような厳かで、神聖な雰囲気を漂させている。
作曲は1960年、楽譜はアブロニス編集の現代ギター作品選集(イタリアリコルディ社)の中の1曲として出版されているが、ピースとしては、イギリス・ロンドンのリコルディ社から出版されている(現在販売されているかは不明)。
この曲の存在は1976年に録音されたイエペスのアルバム「20世紀のギター音楽」で知られるようになったのではないかと思われる。
それ以前はオスカー・ギリアのレコード(1968年頃)やジークフリート・ベーレントの録音(録音年不明)がある。
技巧的にはさほど難しくないが、音楽表現はとても難易度が高いと思う。
簡単だからといってさらっと練習しただけで披露しようものなら、ちゃちに聴こえてしまうに違いない。
運指の選択、音質の変化、強弱の変化、構成の理解など、かなり研究する必要性が高い。
手持ちの楽譜(G RICORDI & CO (London)LTD)では、運指は誰が付けたものか記載がない。
イダ・プレスティか編集者のアブロニスか。
作曲者の可能性はゼロだ。
私が推測するに運指は編集者のアブロニスではないかと思う。
この曲を聴いたり、弾いたりしていると、何故か違和感を感じる箇所がある。
それは下記の22小節目なのであるが、突然、今までの旋法の流れが断ち切られるように曲想が変化する。
この小節の3拍目、4拍目のドの音はシャープが付くのであれが、イエペスやベーレントはナチュラルで弾いている(ギリアは#)。
Youtubeでこの曲を検索したらたくさんの投稿があったが、この小節の3拍目、4拍目のドをナチュラルで弾いている奏者も少なからずいた。
この部分(22小節目)について興味深い記事が現代ギターのバックナンバーにあった(1993年12月号)。
楽曲分析として作曲家の二橋潤一氏が寄稿した記事のなかで、二橋氏は次のように述べている。
「サラバンドの方は完全に旋法の色彩の中にありますが、22小節めだけは異質で、調性と旋法性に対する常識的な感覚があれば、旋法の味わいを損なうC#は間違いであることが分かるでしょう。不必要な#は作曲者の意図したものではないことはほぼ間違いありません。どこで紛れ込んだのでしょうか。」
オリジナルの自筆譜がどうのように記載されているか、確かめるすべはないが、果たしてこの22小節目の3拍目、4拍目のドの音はどちらが正しいのであろうか。
Youtubeではこの曲の投稿が先に述べたようにたくさんあった(技巧が優しいからか?)が、下にイエペスの演奏と、めずらしい古楽器でのアレンジものでの演奏を貼り付けさせていただく。
古楽器の演奏を聴くと、問題の22小節目のドの音に対する一つの回答が感じられるかもしれない。
Poulenc: Sarabande pour guitare, FP 179
Francis Poulenc "Sarabande"
「ピアノのための即興曲第13番」
Poulenc, Improvisation n. 13 in A minor (1958)
兄がFMラジオでイエペスが演奏するこの曲の録音をたまたま聴いていて、私に「6弦から1弦の開放弦を順番に弾いて終わる変わった曲を聴いたよ」と教えてくれたことがきっかけだった。
その時はこの曲がプーランクのサラバンドであることなど分からなかったが、この曲を私自身が初めて聴いたのはずっと後になってのっことだった。
プーランクはフランスの6人組と呼ばれた作曲家集団の1人で、旋律感覚と和声はフォーレの影響を受けていると言われている。
幅広いジャンルに渡って作曲したようだが、20年ほど前にフォーレのピアノ曲にのめりこむようなっていたときにプーランクのピアノ曲集のCDを買って聴いたことがあった。
その時の印象は、「期待はずれ」。
要はつまらなかった、というのがその時の私の印象だ。
このギター曲「サラバンド」はイダ・プレスティのために作曲されたとのことだが、主旋律は「ピアノのための即興曲第13番」から採用されている。
構成は教会旋法を採用していると思われ、宗教的なグレゴリオ聖歌などに見られるような厳かで、神聖な雰囲気を漂させている。
作曲は1960年、楽譜はアブロニス編集の現代ギター作品選集(イタリアリコルディ社)の中の1曲として出版されているが、ピースとしては、イギリス・ロンドンのリコルディ社から出版されている(現在販売されているかは不明)。
この曲の存在は1976年に録音されたイエペスのアルバム「20世紀のギター音楽」で知られるようになったのではないかと思われる。
それ以前はオスカー・ギリアのレコード(1968年頃)やジークフリート・ベーレントの録音(録音年不明)がある。
技巧的にはさほど難しくないが、音楽表現はとても難易度が高いと思う。
簡単だからといってさらっと練習しただけで披露しようものなら、ちゃちに聴こえてしまうに違いない。
運指の選択、音質の変化、強弱の変化、構成の理解など、かなり研究する必要性が高い。
手持ちの楽譜(G RICORDI & CO (London)LTD)では、運指は誰が付けたものか記載がない。
イダ・プレスティか編集者のアブロニスか。
作曲者の可能性はゼロだ。
私が推測するに運指は編集者のアブロニスではないかと思う。
この曲を聴いたり、弾いたりしていると、何故か違和感を感じる箇所がある。
それは下記の22小節目なのであるが、突然、今までの旋法の流れが断ち切られるように曲想が変化する。
この小節の3拍目、4拍目のドの音はシャープが付くのであれが、イエペスやベーレントはナチュラルで弾いている(ギリアは#)。
Youtubeでこの曲を検索したらたくさんの投稿があったが、この小節の3拍目、4拍目のドをナチュラルで弾いている奏者も少なからずいた。
この部分(22小節目)について興味深い記事が現代ギターのバックナンバーにあった(1993年12月号)。
楽曲分析として作曲家の二橋潤一氏が寄稿した記事のなかで、二橋氏は次のように述べている。
「サラバンドの方は完全に旋法の色彩の中にありますが、22小節めだけは異質で、調性と旋法性に対する常識的な感覚があれば、旋法の味わいを損なうC#は間違いであることが分かるでしょう。不必要な#は作曲者の意図したものではないことはほぼ間違いありません。どこで紛れ込んだのでしょうか。」
オリジナルの自筆譜がどうのように記載されているか、確かめるすべはないが、果たしてこの22小節目の3拍目、4拍目のドの音はどちらが正しいのであろうか。
Youtubeではこの曲の投稿が先に述べたようにたくさんあった(技巧が優しいからか?)が、下にイエペスの演奏と、めずらしい古楽器でのアレンジものでの演奏を貼り付けさせていただく。
古楽器の演奏を聴くと、問題の22小節目のドの音に対する一つの回答が感じられるかもしれない。
Poulenc: Sarabande pour guitare, FP 179
Francis Poulenc "Sarabande"
「ピアノのための即興曲第13番」
Poulenc, Improvisation n. 13 in A minor (1958)
個性的な運指については、最初は無視して弾いていましたが、最近は運指通りに弾いています。これはプレスティの運指だとどこかで聴いたことがありますが定かではありません。
22小節目の3拍目、4拍目のドの音ですが、私はイエペスの録音に慣れていたせいか、譜面どおりの録音を聴いたときかなり違和感を感じました。
その後譜面どおりが正しいとは思いましたが、ベーレントの録音や、Youtubeでの数々の演奏、そして二橋潤一氏の解説を知ってからは、譜面通りの展開が何かおかしいような感じを持つようになりました。
イエペスも疑問に感じて、変えたのかもしれません。