goo blog サービス終了のお知らせ 

緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

NHK銀河テレビ小説「黄色い涙」テーマ曲を聴く

2016-11-20 21:50:39 | 映画
小学生だった1970年代前半の頃をふと思い出していたら、浮かんできたのが「黄色い涙」というテレビドラマのテーマソングだった。
1974年にNHKの夜9時40分から10時までの20分間に放映されていた懐かしいドラマだ。
長島慎二原作、主演:森本レオ、下條アトム、岸部シロー、保倉幸恵、長澄修。
主題歌は小椋佳作曲の「海辺の恋」。

私の両親は大のNHK好きで、私も必然的にこの銀河テレビ小説というドラマを見ることになった。
(高校を卒業し、親元を離れるようになってから、NHKは殆ど見なくなった。現在は年1回のNコンを見るくらい)
この銀河テレビ小説は1972年から1989年まで続いた長寿番組であるが、小学校時代~中学校2年生くらいまでしか見た記憶がない。
この「黄色い涙」の他記憶に残っているのが、1975年の「青春のいたみ」、1976年の「居酒屋」、1977年の「オリンポスの果実」、1977年の「翔べない夜」。
「翔べない夜」はドラマを見たというより、番組でギターを弾いた中林淳真の演奏を聴くために見た。
この「翔べない夜」は番組終了後すぐに全音からギターピースが出版され、買って弾いたことがある。
記憶に残っているこれらのドラマの中で、とりわけ鮮明に覚えているのが「黄色い涙」だった。

古いおんぼろアパートに、漫画家、画家、シンガーソングライターなどを目指していた若者が住んでおり、彼らの日常の共同生活の交流を描いた、ほろ苦くもユーモアのある面白いドラマだった。
彼らは貧しく、食べていくのも大変という生活をしていたが、それが何故か楽しく希望に満ちており、繰り広げられる騒動が面白かった。
思い出すシーンは、アルマイトの洗面器でカレーは作ったが、底に穴が空いて床にこぼれてしまったり、出前でとったかつ丼を取り合って床に落としたり、画家志望の若者の絵が4千円で売れて束の間の贅沢を味わったり、恋人を山で失って気がおかしくなった女性に求婚されてそれを信じたり。
不器用だけど純粋な心を持った若者たちだったが、自分の能力の限界を知り、サラリーマンへ転身し、立派な姿を見せるところでこのドラマは終わる。
ただ森本レオが演じた漫画家志望の若者だけが漫画家の道をあきらめずに、汽車の中で漫画を描き続けるシーンがラストシーンだったと思う。

ドラマの内容も面白く記憶に残ったが、この小椋佳のテーマ曲がシンプルだけどなんともしみじみとした哀愁のある曲で、この曲を今までずっと忘れなかった。
今日、もしかしてYoutubeにあるかもしれないと思って検索したらあった。
番組オリジナルでなかったのが残念だったが、実に42年ぶりにこの曲を聴いて感極まった。

1974年頃というと、オイルショック、浅間山荘事件、火炎瓶による交番や路線バスへの放火事件などを思い出す。
日本はまだ貧しさを残していたが、私から見るとこの時代の日本人の生み出すものは今の時代には得られないいい感性を持っていたと思う。



コメント (2)    この記事についてブログを書く
« テレビドラマ「5年目のひと... | トップ | 神奈川大学マンドリンアンサ... »

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
うちのホンカン (fado)
2016-11-21 16:42:03
緑陽さんこんにちは
1970年代は我々にとって激動の時代でしたね。
しかし、若い年齢がそう感じさせてくれたのかもわかりませんが「夢」とか「希望」なんていう青臭い感覚を持てた時代だと感じていましたね。
毎日が生き生きとしていたように思います。
歌にしてもメロディーと詩がしっかりとマッチしたものが多く、今の歌のように字幕がなければ何を言っているのかわからないような「歌もどき」とは違いますよね。

テレビドラマも然り、全てとは言いませんが、若者の感性をはぐくんでくれたように思います。

緑陽さんが見たという「黄色い涙」を私は見ておりませんが…。
TBS系の東芝日曜劇場で、倉本聰さんの原作と脚本によりHBC(北海道放送)が製作し1975年から81年にかけて全6作がシリーズ化された「うちのホンカン」が心に残っています。
北海道の小さな町の駐在所に勤務する「ホンカン(大滝秀治さん)」と妻の「さち(八千草薫さん)」そして、娘の「雪子(仁科明子さん)」が赴任先の様々な町でおこる出来事を人間味あふれるテレビドラマに仕上げたものです。全て一話完結で、毎回、心が洗われる思いでした。
主題歌の「ふりむけば」を歌っているのは、福沢恵介さんというかたで、なんとなくビリーバンバンのヒット曲「さよならをするために」という曲に似ている素敵な歌でした。
人間は誰でも、何気ない日常の中にほんの小さな幸せを発見した時あたたかい感性が育つものですよね。
「ホンカン」シリーズは、テレビドラマは、こうでなければという見本のようなものでした。

時期アメリカ大統領のトランプ氏の暴言が子供たちに与える悪い影響(大統領候補が言っているのだから人種差別をしていいのだ・イスラム教の人たちを罵っていいのだなどなど)、それに対して、「彼は信頼できる人…」と発言した安倍総理・・・。感性のかけらもないように思います。
築地の豊洲への移転問題、移転が決まらず日々困り果てている人たち(死活問題)、それを見殺しにしている小池知事!
感性も才能もない方たちが政治を行うとこうなるという見本でしょうね。熟慮した迅速な対応、国民の幸せの為が基本のはず。

暗い世相の中、昨日は日ハムの優勝パレードが行われ、道民に力を与えてくれました。見に行った人たちの中には涙を流している人もいたくらいです。

取り留めのない話になってしまいましたね。
それではまた…。
返信する
Unknown (緑陽)
2016-11-21 23:02:21
fadoさん、こんにちは。コメント下さりありがとうございました。
おっしゃるように1970年代は激動の時代でしたが、とてもいい時代でした。
私のこれまでの人生で最も楽しかったのが1970年代でした。
この時代は朝が来るのが楽しくて楽しくて、希望に満ちていましたね。
「ホンカン」シリーズは見た記憶がないのですが、東芝日曜劇場は何度か見た記憶があります。
うちの親はくそまじめでNHKばかり見ていたので、民放を見ることは一苦労だったんです。
その反動で親元を離れてからNHKは殆ど見なくなってしまいました。
大滝秀治さんと言えば、特捜最前線ですね。すごい熱演でした。今こんな俳優いないです。
「太陽にほえろ」も、マカロニ(萩原健一)やジーパン(松田優作)の時代の演技が凄かった。露口茂などの脇役も迫力が桁違いでした。
マカロニを殺した真犯人を最後に追い詰めたのに、その真犯人がチンピラに刺されて、山さん(露口茂)が激怒してそのチンピラにビンタ張った時は演技とは思えなかったですね(本当に激怒していた)。
同じ頃に放映されていた、大江戸捜査網という時代劇、杉良太郎や里見浩太郎が主役の時代ですが、これがまた面白かった。1回、1回毎に感動ものでしたね。
貧しく弱い立場の庶民を食い物にした悪者を最後に渾身の刀裁きで成敗するシーンはスカッとしたものです。
もうこんなドラマ作れないと思います。

音楽もフォークソングの時代。まだ小学生だったのであまり聴いた記憶はないのですが、グレープの精霊流しやガロの学生街の喫茶店は聴いていたかな。
中学生になってからは、かぐや姫や風などを聴いていました。

安倍総理の訪米、まだトランプ氏のことなど殆ど分からないのに、信頼できるだなんて、自分に都合のいいように解釈しているとしか思えない発言ですね。
豊洲への移転問題、役所のずさんさには本当にあきれます。20代前半、本社勤務だった頃、役所に仕事で行ったことがありますが、本当に役所という所は効率が悪く、人間関係も悪そうですね。ちょっと私など役所の中に居たら息が詰まってしまいますね。

日ハムの優勝パレード、新聞で見ました。沿道にすごい人の数でしたね。栗山監督は栗山町のログハウスを自宅にしているとか(自家用車で球場に通っているそうですね)。

北海道もずいぶん寒くなってしまったようですね。
でも今が一番いい季節(枯葉や突き刺すような寒さ、低い日差しが印象)に感じます。
(これもfadoさんがおっしゃる、何気ない日常のほんの小さな幸せというのかもしれません)

ありがとうございました。


返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

映画」カテゴリの最新記事