数か月ぶりに長袖を着た。半袖で過ごすには肌寒い季節になりつつある。
このところの忙しさから来る疲れからか今日は1日何度も眠気に襲われた。
今日、久しぶりにモンポウの「歌と踊り第13番」を弾いた。
スペインの作曲家、フェデリコ・モンポウ(1893~1987)は殆どをピアノ曲の作曲に人生を捧げたが、アンドレス・セゴビアやナルシソ・イエペスといったスペイン人のギタリストであり、クラシックギターの巨匠から委託されてわずかながらもギター曲を残した。
モンポウの「歌と踊り」は全部で15曲あるが、この第13番はイエペスの依頼によって書かれたギター曲、最後の第15番はオルガンの曲であり、残り13曲は全てピアノ独奏曲である。
カタロニアなどのスペインの民謡などを素材とした短い曲であるが、素朴な構成でありながら、作曲者独特の和声が聴くものに何とも表現できない魅力を感じさせてくれる。
ピアノ曲の録音はスペインの女流ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャのものが有名であるが、私は作曲者自身が80歳を過ぎて録音した自作自演集が好きだ。とくにモンポウ自身の弾く第2番の「踊り」は、人にもよるだろうが、凍てついた心をも溶かすほどの力を持っていると感じた。
さてギター曲として作曲された第13番であるが、チェロのカザルスの編曲で有名になったカタロニア民謡「鳥の歌」を「歌」の素材にしている。暗く悲しい曲であるが世界中から愛されている曲でもある。今は無くなったが御茶ノ水のカザルスホールの開演を知らせるオルゴールもこの曲であった。
冒頭はあのtrillでなく、やや重々しい和音による前奏で始まり、主題に入るが、この和声が独特であり演奏も難しい。左手の押さえが大変なうえに、和声の音を持続させることは至難だ。この13番は最後まで和音の押さえがとても難しく、音を切らさずに持続させることは極めて難しい。
いかにもピアノの作曲家が作ったギター曲という感じがするが、イエペスは10弦ギター用に曲を部分的に変更して弾いている。10弦を必要としていない下記の箇所のような部分も原曲を変更しているが、作曲者に対しこの変更を行った訳をどのように説明したのか興味を覚える。
私は原曲もイエペスの変更版もどちらも好きであるが、原曲の方はもっと和声を豊かにしてピアノ曲として作曲した方が良かったのではないかと思う。この独特の和声を是非ピアノで聴いてみたかった。
イエペスの変更版で特色があるのは、「踊り」の中間部でやや寂しい旋律から激しい曲想に移る部分で、高音と中低音の二声が強く対比を成す部分であり、この対比の表現が凄い。ギターとは思えない突き刺すような音が聴こえてくる。まさに超名演と言える。
また「歌」の後半でメロディが低音に移行する下記箇所の独特の暗い和音と、イエペスの弾く低音の旋律が凄い。「歌」のキーとなる部分。
のどかな自然豊かで静かな場所で感じるであろう「踊り」の軽快で明るい音楽の流れが、やや崩れて不思議な感覚を感じる箇所がある。この部分の最後の2小節の最後の音をイエペスはハーモニックスで弾いている。最初のラ#のハーモニックスは自然ハーモニックスであると思われるが、6弦ギターでは出せない。明るい曲想が次第に崩れて感傷的、それも何かいつもと違う風景、たとえば美しい何か、夕陽、虹、未知の場所を見た時に感じた心境を表現したのであろうか。リタルダントするホ調の和声が何か、ふとしたもの出会って感動した後のとてもすがすがしい気持ちの良さを感じさせてくれる。
「踊り」の終結部は静かな和音で終わる。この和音が実にいい。この和音を弾くととても穏やかな気持ちになれる。ギターという楽器の持つ最大の魅力であろう。
このところの忙しさから来る疲れからか今日は1日何度も眠気に襲われた。
今日、久しぶりにモンポウの「歌と踊り第13番」を弾いた。
スペインの作曲家、フェデリコ・モンポウ(1893~1987)は殆どをピアノ曲の作曲に人生を捧げたが、アンドレス・セゴビアやナルシソ・イエペスといったスペイン人のギタリストであり、クラシックギターの巨匠から委託されてわずかながらもギター曲を残した。
モンポウの「歌と踊り」は全部で15曲あるが、この第13番はイエペスの依頼によって書かれたギター曲、最後の第15番はオルガンの曲であり、残り13曲は全てピアノ独奏曲である。
カタロニアなどのスペインの民謡などを素材とした短い曲であるが、素朴な構成でありながら、作曲者独特の和声が聴くものに何とも表現できない魅力を感じさせてくれる。
ピアノ曲の録音はスペインの女流ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャのものが有名であるが、私は作曲者自身が80歳を過ぎて録音した自作自演集が好きだ。とくにモンポウ自身の弾く第2番の「踊り」は、人にもよるだろうが、凍てついた心をも溶かすほどの力を持っていると感じた。
さてギター曲として作曲された第13番であるが、チェロのカザルスの編曲で有名になったカタロニア民謡「鳥の歌」を「歌」の素材にしている。暗く悲しい曲であるが世界中から愛されている曲でもある。今は無くなったが御茶ノ水のカザルスホールの開演を知らせるオルゴールもこの曲であった。
冒頭はあのtrillでなく、やや重々しい和音による前奏で始まり、主題に入るが、この和声が独特であり演奏も難しい。左手の押さえが大変なうえに、和声の音を持続させることは至難だ。この13番は最後まで和音の押さえがとても難しく、音を切らさずに持続させることは極めて難しい。
いかにもピアノの作曲家が作ったギター曲という感じがするが、イエペスは10弦ギター用に曲を部分的に変更して弾いている。10弦を必要としていない下記の箇所のような部分も原曲を変更しているが、作曲者に対しこの変更を行った訳をどのように説明したのか興味を覚える。
私は原曲もイエペスの変更版もどちらも好きであるが、原曲の方はもっと和声を豊かにしてピアノ曲として作曲した方が良かったのではないかと思う。この独特の和声を是非ピアノで聴いてみたかった。
イエペスの変更版で特色があるのは、「踊り」の中間部でやや寂しい旋律から激しい曲想に移る部分で、高音と中低音の二声が強く対比を成す部分であり、この対比の表現が凄い。ギターとは思えない突き刺すような音が聴こえてくる。まさに超名演と言える。
また「歌」の後半でメロディが低音に移行する下記箇所の独特の暗い和音と、イエペスの弾く低音の旋律が凄い。「歌」のキーとなる部分。
のどかな自然豊かで静かな場所で感じるであろう「踊り」の軽快で明るい音楽の流れが、やや崩れて不思議な感覚を感じる箇所がある。この部分の最後の2小節の最後の音をイエペスはハーモニックスで弾いている。最初のラ#のハーモニックスは自然ハーモニックスであると思われるが、6弦ギターでは出せない。明るい曲想が次第に崩れて感傷的、それも何かいつもと違う風景、たとえば美しい何か、夕陽、虹、未知の場所を見た時に感じた心境を表現したのであろうか。リタルダントするホ調の和声が何か、ふとしたもの出会って感動した後のとてもすがすがしい気持ちの良さを感じさせてくれる。
「踊り」の終結部は静かな和音で終わる。この和音が実にいい。この和音を弾くととても穏やかな気持ちになれる。ギターという楽器の持つ最大の魅力であろう。
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