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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

軽く扱われたときどうするか

2020-10-14 23:18:03 | 心理
最近あることに挑戦し始めたが、それによって時間の使い方にメリハリが出てきた。
寝る前の僅かな時間でも書きたいと思ったときは何のテーマでもいいから、一筆書いておこうと思う。
心理のテーマのつづき。

軽く扱われる
ぞんざいに扱われる
粗末に扱われる

このような扱いを受けると人は自然に怒りが生じる。
この時、この怒りをしっかりと感じ、相手に明確に抗議する人もいれば、怒りを感じても無意識に抑圧(感じないようにして)し、相手の扱いをそれが自分のことにように受け入れてしまう人もいる。

後者のような人が鬱になる。
あるいは鬱になるのを回避するために、自分より弱い立場の人(例えば子供や配偶者、部下など)、あるいは、新聞やネットなどへの投稿などの手段で特定の人物に抑圧された怒りを発散させる人もいる。

鬱になるような人は、親などから理不尽な扱いをそのまま(自動的に)受け入れるように、心のパターンを強固に植え付けられている。
このパターンを崩していくことは並大抵のことではない。
重い人は何十年もかかるだろう。解決しようともがきながら、努力もむなしく一生を終える方もいる。

この強固なパターンを崩す糸口として何があるか考えてみた。

①冒頭にあげた、軽く扱う、ぞんざいに扱う、粗末に扱う人で、恒常的に行っている人というのは、心に深刻なダメージを受けて、そのダメージから生じる不快感に苦しんでいる不幸な人であると理解する。
つまり、自分がダメな人間だからそのように扱われるのではなく、そのような扱いをする人こそが心に深刻な問題を抱えていると、捉え方を変換させる。
他の人には見せないが、自分には見せるその人の本性(真の姿=苦しんでいる)が、その時に現われていると見ていい。

②①のような問題を抱えた人ほどではないが、時に人を軽く扱う面を出す人がいる。
そのような人は、接する相手によって対応を変化させている。
飲食店の店員などにぞんざいな口のききかたをするような人だ。
このような人は、日常接している人に対しても、自分にとって重要性が無ければ丁寧さを欠くふるまいや言い方をする。
このようなタイプの人から、何か言われたときカチンと来ることがある。
この時、かなり強く不快感を感じたならば、過去のトラウマが反応している可能性が高い。
もしくはトラウマが無い場合は、今まで周囲から大事に扱われた経験ばかりで生きてきて、人はお互いに丁寧に対応するのが当たり前と思っているような場合である。
この時かなり強い不快感を感じたことから、その相手に対しその後継続的に敵とみなしてしまうことがあるが、このような捉え方が根付いてしまうと、ますます苦しみのパターンが強化され増幅されていくから避けた方が良い。
このような人の場合、そのような変な一面があるのだ、捉えたい。
そしてその人のそのような一面は、自分の本質には無関係であると気付き、切り捨てることが必要だ。
実際、そのような人は、自分が相手にしたことを特段意識していないし、明確な悪意でしているというより、その人特有の強いていれば避けがたい悪い面が出た、という程度の場合が殆どであろう。

(この続きは後日)
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