Youtubeで伊福部昭作曲のギター曲「箜篌歌」のハープ編曲版の演奏を見つけた。
演奏者は木村茉莉さん。
伊福部昭:ハープのための箜篌歌
木村茉莉さんと言えば、三善晃門下の現代音楽作曲家、故、毛利蔵人氏の「プリズマティック・カラーズ」などの録音で名前を知っていたが、現代音楽専門の演奏家という印象があったため、この「箜篌歌」の演奏は意外に思った。
毛利蔵人の現代音楽は恐ろしく暗く不気味で聴く人を選ぶが、私は彼の音楽が好きだ。
この「箜篌歌」のハープへの編曲は恐らく作曲者自身のものと思われるが、ハープ以外にも二十五絃箏版があり、箏奏者の第一人者、野坂恵子氏の超名演がある。
二十五絃箏への編曲は作曲者自身か野坂氏によるものなのか、記憶があいまいだが、いずれにしても野坂氏のこの曲に対する強い欲求により実現されたものであることは間違いない。
驚くことに野坂氏は「箜篌歌」だけでなく、伊福部昭の他のギター曲である「古代日本旋法による踏歌」と「ギターのためのトッカータ」も二十五絃箏版で録音、さらに二十五絃箏の二重奏で「交響譚詩」まで録音した。
伊福部昭の「箜篌歌」(1969年作曲)の存在を初めて知ったのは、ギターを始めて間もない頃だった中学1年生の頃だったと思う。
確か初めて使った全音の「独習者のためのギター教本(阿部保夫著)」の巻末の出版案内に、「古代日本旋法による踏歌」と「箜篌歌」の楽譜が紹介されており、その短い紹介文に、日本のみならず海外でも注目される曲であろう、と書かれていたのが思い出される。
しかし当時これらの曲のうち「古代日本旋法による踏歌」は阿部保夫により昭和30年代、「ギターのためのトッカータ」は同じく阿部保夫により昭和40年代に録音されたが、「箜篌歌」を録音したギタリストは皆無で、この3つのギター曲が揃って世に出されたのはずっと後になる。
また楽譜もずっと長い間絶版だった。
これらの曲がとても優れており、今では海外の演奏者も注目するほどになったにもかかわらず、当時の日本では全く顧みられなかった。
何で顧みられなかったのか。当時は前衛音楽全盛だったから? 日本民族的音楽は古臭いとみなされていたから?
確かにこの時代の伊福部昭も演奏機会が少なく、じっと我慢の時代だったようだ。
数年前に渡辺範彦が1970年代に弾いた「箜篌歌」の録音CDを聴いたが、そのCDの解説で、1970年代初めに開催された大阪万博のある会場で、この「箜篌歌」がBGMとして流されたが、この会場の来場者が最も多かったことはこの「箜篌歌」の魅力に人々が潜在的に惹かれていったからではないか、というようなことが書かれてたが、この解説の言っていることは恐らく当たっていると思う。
「箜篌歌」という曲が音楽的構成力に優れているだけでなく、我々日本人が知らずとも、潜在的に持つその奥深い日本的郷愁とも言うべき根源的な情緒を刺激する力を有しているからではないか。
だから木村茉莉や野坂恵子のようなギター弾き以外の優れた奏者もこの曲の魅力にはまって自分の楽器に移して弾きたいと強く思ったに違いないと思うのである。
ちなみに「箜篌歌」は5年くらい前の東京国際ギターコンクールの本選課題曲に採用された。
「箜篌歌」の録音だけがずっと後になったことを先に書いた。
何かのきっかけでこの曲の録音があることを知ったのは20代半ば過ぎの頃だったと思う。
フォンテックというレーベルから伊福部昭作曲のギター曲全3曲が収録された録音が出ていた。
そうだ、まだ東京の社員寮にいた頃だ。
あの古く暗い陽の当たらない部屋で、「住吉」とか「樽平」といった日本酒を一升瓶でガブ飲みしながら、チャイコフスキーの交響曲「悲愴」や伊福部昭の「交響譚詩」を何度も気の済むまで聴き入っていた時だ。
今までの人生で最も辛かった時代であったが、これらの曲が何とかつなぎとめてくれていたのかもしれない。
そして今は無き秋葉原の石丸電気まで行って探したが在庫はなく、店員がメーカーに問い合わせしてくれたが、既に廃盤となっていた。
CDではなくLPレコードだった。
その後1、2年経ったであろうか。
このレコードを偶然にも当時渋谷にあった「シャコンヌ」というギターショップで見つけた。
その時の嬉しさは今でも憶えている。
演奏者は西村洋氏。
私が理想とする音や演奏スタイルを有する優れたギタリストだ。
このレコードで初めて「箜篌歌」と「ギターのためのトッカータ」を聴いた。
あの暗い埃にまみれた東京の寮で聴いたのだ。
「箜篌歌」は長大な曲だったが、その日本的情緒を強く感じさせる素晴らしい音楽に聴くたびに感動した。
しかし考えてみると一昔前、今のようにインターネットの無い時代は音源を探すのは大変なことで、偶然、幸運といった要素もあった。
しかし聴きたい音源を探し出すことは今よりも苦労と出費を伴ったが、その過程は楽しくもあった。
「箜篌歌」の特色は長い分散和音が続くところだ。
この分散和音の和声が非常に特徴的で、まさに伊福部昭にしか出せない魅力を持っている。
決して明るく、物音のするような所で聴こえてくるような音楽ではない。
昔の日本人が、静かな深夜に瞑想する中で浮かんでくる様々な抑圧された感情、それは主に表現され得なかった苦しみ、悲しみ、寂しさ、侘しさなどを主体としたものだと思われる。
明治以降の西洋化される前の日本人は、欧米人のように感情をストレートにあからさまに出すのではなく、内に秘める傾向、特質があったのではないかと思う。
海外との交流を絶ち、厳しい封建制度だったという時代背景の影響はあるだろうが、昔の日本人は、あえて、感情を表に出さず、何か別の形、手段、例えば短歌、俳句、礼法などに替えて表現することに美的価値を置いていたのではないか。
そこには世界に類を見ない「奥ゆかしさ」という独自の感性が感じられる。
この「箜篌歌」を演奏することは容易ではなく、左手が非常に疲弊する。
作曲家自身の運指はよく考えられていて感心するが、うまく脱力しながら押さえないと途中で力尽きてしまう。
私は次の部分が最も好きだ。
日本的情緒が最も刺激される部分。
木村茉莉氏の演奏に注目したい。随所に出てくる強い音にその気持ちが表れている。
後半部終わり近くのPiu Mossoは速度が速くなるが、残念なことに西村洋も木村茉莉も速度を変えていない。
ここからしばらくして現れるffから先は、抑圧された情念が炸裂する部分なのだ。
ここは速度を速めていないと情念が十分に表現されない。
しかしそれにしてもハープでの演奏は物凄く難しいものだと感じられる。
この「箜篌歌」はクラシックギター曲にするには勿体ないほどの名曲だと思う。
近いうちに二十五絃箏版の演奏の感想を記事にしたい。
【追記】
伊福部昭のギター曲に、「JIN」(1932年)、「ノクチュルヌ」(1933年)という初期作品があるらしい。
「ピアノ組曲」が作曲されたのと同じ頃だ。